小倉 山荘 百人一首。 ご挨拶

56.和泉式部 あらざらむ~ 小倉百人一首

小倉 山荘 百人一首

【百人一首マメ知識】 〔第26首/貞信公〕 小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ 宇多上皇が御幸した際、 小倉山の紅葉があまりに素晴らしかったので わが子である醍醐天皇にも見せてあげたいと思ったそう。 実際に小倉山の紅葉を目にしてみると、 その気持ちが手に取るようにわかります。 で、上皇に代わって、お付きの貞信公 (藤原忠平) が 「小倉山の峰のもみじ葉よ、もしおまえに心があるのなら、 今度、天皇の行幸(みゆき)があるから、 それまで散らずに待っていておくれ」 とその思いを歌に詠み、醍醐天皇に奏上しました。 ここまでは素敵な親子愛。 【百人一首マメ知識】 こんなにも父の愛情に包まれていた醍醐天皇なのに、 こののち、父 (宇多上皇) に仕えている菅原道真が 自分に対する謀反を計画していると思い込み、 道真公を左遷してしまうんですね。 道真公は宇多上皇に身の潔白を訴え、 宇多上皇も醍醐天皇の説得にあたろうとしたのですが、 御所の門を閉ざされてしまい、 結局、道真公は京都から大宰府へ左遷されてしまいます。 道真公は今でこそ学問の神様ですが、 大宰府で没した後は、怨霊として恐れられました。 参考までに、百人一首の道真公の歌も 宇多上皇の御幸に同行した際に詠んだ歌。 【福岡1】梅の季節じゃなくても梅づくし〜太宰府天満宮〜• 早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。 定家が百人一首を編纂の為に逗留したとされる地は数箇所存在するとされておりますが、実際は当時の交通困難な時代背景を加味しても、近畿近辺だけだったというのが真相だと思われます。 定家といい種田山頭火といい、全国各地に訪問跡なる地を称し、碑なども建立されている所も多く存在しますが、明治期以降に存在した山頭火なら兎も角、定家が九州に下向し鹿児島に逗留たなど、明月記を一読すれば有り得ない史実であり、観光客が呼び込めると算段した愚かな地元連中が騒いでいるだけで、全く事実を捻じ曲げた馬鹿げた話です。 明月記は平家物語と平行して読むと、当時の時代背景が見えてきます。 横浜臨海公園.

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百人一首

小倉 山荘 百人一首

今でもお正月になると、かるた遊びとしてお茶の間に登場しま すし、学校の国語の授業でもよく取り上げられます。 皆さんも一度や二度は「天の原振りさけ見れば」とか、「長々 し夜を一人かも寝む」などの歌を口にしたことがあるのではない でしょうか。 今で言うなら、さながら「和歌版・オールタイム・ベスト100」 といったところでしょうか。 1162(応保 2)年〜1241(仁治2)年]だと言われます。 定家は、平安時代 末期の大歌人藤原俊成の息子として生まれ、時の上皇後鳥羽院の 寵愛を受けて有名な「新古今和歌集」を編纂しました。 その後、定家は院から勘当を受け、翌年の承久の乱による院の 失脚で復活するなど波乱の生涯を送りますが、1235(文暦2)年 に宇都宮頼綱の依頼で、嵯峨中院の小倉山荘の障子色紙を染筆す ることになります。 そこで、書き送ったのが百人一首の元になる「百人秀歌」でし た。 それが後に若干改められ、後世の人の手によって刊行されて 「小倉百人一首」として広く親しまれるようになったといいます。 それは、小倉百人一首が800年近い時を経て、未だに人々 の口の端に上ることでも証明されています。 どうぞご愛読いただき、古典をひもとく一助にしていただければ 幸いです。

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今でもお正月になると、かるた遊びとしてお茶の間に登場しま すし、学校の国語の授業でもよく取り上げられます。 皆さんも一度や二度は「天の原振りさけ見れば」とか、「長々 し夜を一人かも寝む」などの歌を口にしたことがあるのではない でしょうか。 今で言うなら、さながら「和歌版・オールタイム・ベスト100」 といったところでしょうか。 1162(応保 2)年〜1241(仁治2)年]だと言われます。 定家は、平安時代 末期の大歌人藤原俊成の息子として生まれ、時の上皇後鳥羽院の 寵愛を受けて有名な「新古今和歌集」を編纂しました。 その後、定家は院から勘当を受け、翌年の承久の乱による院の 失脚で復活するなど波乱の生涯を送りますが、1235(文暦2)年 に宇都宮頼綱の依頼で、嵯峨中院の小倉山荘の障子色紙を染筆す ることになります。 そこで、書き送ったのが百人一首の元になる「百人秀歌」でし た。 それが後に若干改められ、後世の人の手によって刊行されて 「小倉百人一首」として広く親しまれるようになったといいます。 それは、小倉百人一首が800年近い時を経て、未だに人々 の口の端に上ることでも証明されています。 どうぞご愛読いただき、古典をひもとく一助にしていただければ 幸いです。

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