パスカル ラプンツェル。 ブレーズ・パスカル

「塔の上のラプンツェル」パスカルの正体!モデルとなったカメレオンの種類や性別についても

パスカル ラプンツェル

『塔の上のラプンツェル』は今とはちがう環境に身を置き、新しい経験を積むことの素晴らしさを教えてくれます。 今回は、この映画に関する意外な事実をご紹介しましょう。 【1】ディズニー初の3Dで描かれた長編の冒険物語 ディズニーにとって50作品目の長編アニメーションでもあります。 でもそんな気負いは一切感じませんよね。 【2】監督について 監督のネイサン・グレノは『ムーラン』(1998)のムーシューを手がけるアーティストとして、ディズニーでのキャリアをスタートさせました。 『塔の上のラプンツェル』を監督する前は、『ブラザー・ベア』(2003)、『ルイスと未来泥棒』(2007)、『ボルト』(2008)に携わりました。 『ルイスと未来泥棒』ではレフティの声まで!驚きですよね! 【3】実際に存在する場所を参考に描かれている たとえば王国はモン・サン=ミシェル、秘密の谷はロカマドゥールがモデルになっています。 ディズニー映画に影響を与えた、いろいろな場所に実際に訪れてみても楽しそうですね。 【4】パスカルの色は当初パープルとブルーでした その後、さまざまな過程を経て、最終的にグリーンに落ち着きます。 その理由は、ラプンツェルの髪や洋服の色との相性がぴったりだったから。 ちなみにパスカルは当初、リスによく似たデザインでした。 【5】『ピノキオ』(1940)と『シンデレラ』(1950)からインスピレーション アニメーターが主に参考にしたのは"シェイプ・ランゲージ"と呼ばれるもの。 とても繊細な手法ですから、映画を観ていてもまったく気づかないかもしれません。 ですが、こういった手法により、ディズニーの古典映画が持つおとぎ話の感覚が、この映画にも息づいているのです。 【6】ラプンツェルは両親に似ています これは明らかですね。 王と王妃がラプンツェルの父母であることを観客に気づいてもらうためには、見た目が似ていなくてはなりません。 通常、子は親から生まれるもの。 しかし、この作品の場合は、ラプンツェルを先にデザインした後、両親を彼女に似せてデザインしたのです。 両親に似ているというのは間違いで、両親が彼女に似ていると言ったほうが正しいでしょう。 【7】 ランタンではなく花火にしようと考えていた ランタンを使うアイデアを考案したのは、ストーリーアーティストのジョン・リパ。 制作チームは、製作総指揮のジョン・ラセターが今まで見たことのないようなアイデアに、驚くだろうと思っていました。 ラセターを含めたミーティングの際、この案を伝えたところ、実はラセターと奥さんが結婚記念にボラボラ島を訪れ、ランタンに灯をともしたことがあると判明したのです!みんなとても驚きましたが、ラセターはそのアイデアを大いに気に入りました! 【8】お城のデザインは周囲の村にも反映されています アーティストたちは、王と国民の間に大きな隔たりができないようなデザインを心がけました。 形状や建築ディテールに統一感を持たせる工夫をしているのです。 ですが、やはりお城は目立たせたかったため、村の建物はすべて3階建てかそれ以下で描き、違いを出しています。 【9】イケメン会議が映画の成功に大きく貢献 そのミーティングに、スタジオの女性たちはお気に入りの男性俳優や、セレブの写真を持ち寄りました。 そして、彼らの何がそれほどカッコいいのかについて、とても真剣に話し合ったのです。 その日から、そのミーティングは"ホット・ガイ・ミーティング"(イケメンについての打ち合わせ)と呼ばれるようになりました。 彼女たちのたゆまぬ努力とディスカッションのおかげで、美しく描かれた"フリン・ライダー"の顔が出来上がりました。 【10】おとぎ話は、途中で風刺劇になりかけた アリエル/野獣/ポカホンタス/ターザンのキャラクター・アニメーターで、最初にこのアイデアを売り込んだグレン・キーンは、この映画を純粋なおとぎ話にしたいと思っていました。 しかし、この映画を風刺的に描き、タイトルを『三つ編みをほどいたラプンツェル』にするという話が出ます。 グレンはその意見に対して「そういうタイプの映画はやれない。 路線を戻さないと私にはできない」というような主張をしたのです。 そして、映画の路線は元に戻され、彼が担当することとなったのです。 結果は大成功でしたね! 【11】気が遠くなるほど長かった製作期間 それはもう「いつになったら終わるの!」と叫びたくなるくらい。 実は制作は1937年頃から始まっていたのです。 『ラプンツェル』は、『白雪姫』 1937 に続く作品のコンセプト制作中に考案されるものの不採用になったのです。 ちなみに、この時に考案されたその他の作品は、『シンデレラ』 1950 、『ふしぎの国のアリス』 1951 、『ピーター・パン』 1953 、『リトル・マーメイド』 1989 、『美女と野獣』 1991 でした。 さあ、これで『塔の上のラプンツェル』の新事実を完全制覇しましたね! ここで得た新しい知識を、友だちにぜひシェアしてみてくださいね! 『塔の上のラプンツェル』 発売:ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社.

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ラプンツェルのパスカルがかわいい!性別やモデル・種類やグッズについても

パスカル ラプンツェル

ラプンツェルは生まれてからずっと、育ての親マザー・ゴーテルから塔の外に出ることを禁じられていました。 ラプンツェルは「塔の外に出てみたい」とゴーテルに伝えますが、冷たくあしらわれてしまいます。 翌朝、盗賊フリン・ライダー(ユージーン)が塔に侵入。 しかしフライパンで殴られ、気絶してしまいます。 目を覚ましたフリンに、ラプンツェルは「私をランタンの灯りが見える場所に案内しなさい」と言い放ち、外の世界に出ることに。 母への後ろめたさを感じながらも、初めて見る外の世界に胸を躍らせるラプンツェル。 一方、森の中に衛兵の馬がいるのを見て塔に引き返してきたゴーテルは、ラプンツェルがいなくなったことを知ります。 事態を察したゴーテルは、ラプンツェルを探し始めるのでした……。 実は、ラプンツェルのあの髪は日本人アーティストによってデザインされたということは知っていましたか? ラプンツェルの髪をデザインしたのはCGアーティストの糸数弘樹さん。 塔の上のラプンツェルではモデリングという分野を担当しました。 モデリングとは、紙の上に描かれたイラスト原画を3DCGの世界で動くように立体的にデザインする作業です。 糸数さんは、ラプンツェルや王様など主要キャラクターのモデリングを担当されたそう。 もちろんラプンツェルの特徴的な長い髪も、糸数さんのデザインです! 「どんな動きをさせれば自然に見えるか」というのを一番に考えながら、ラプンツェルの髪を1本1本手作業で描かれたんだそう。 その理由は、ラプンツェルの声を担当した声優のマンディ・ムーアさんにあるようです。 マンディ・ムーアさんはアメリカ出身のシンガー・ソングライターで、いつも舞台の上では裸足でパフォーマンスをしています。 靴を履かずにのびのびと歌うマンディさんの姿にインスピレーションを受けた監督が、ラプンツェルのキャラクターデザインに裸足の要素を付け加えたそう。 原作のグリム童話には登場しない彼の魅力的なキャラクターは、どこからきたのでしょうか? その答えは、ラプンツェルの制作現場にありました。 ラプンツェルのスタッフは、これまでにない新しいディズニープリンスをつくるため企画チームを結成。 メンバーは女性のみ。 毎回の会議で「自分が一番セクシーだと思うプリンス像」をプレゼンしあい、ユージーンは誕生しました。 すべての人種・文化圏の人に受け入れてもらえるディズニープリンスをつくるのは、とても大変な作業なんですね……。 年齢は軽く400歳を超えるといわれ、その美魔女っぷりはゴーテルのコスチュームにもしっかりと反映されています。 ラプンツェルやお妃様が着ているのは17世紀頃のヨーロッパで流行したロココ調のドレスですが、ゴーテルが着ているのはコタルディというドレスです。 コタルディは14世紀頃に流行したドレスで、現代におけるチュニックのようなデザインだそう。 日本で例えると、現代で一人だけ戦国武将のような着物を着ている、というような感覚でしょうか。 もしラプンツェルが塔の外へ自由に行くことを許されていたら、ファッションの違和感でマザー・ゴーテルの本当の姿に気づけたかもしれませんね。 一見プリンセス要素がなさそうなタイトルですが、それには理由があったのです。 ディズニーはその原因を「題名にプリンセスを出しすぎたため、男性客の人気が落ち込んだ」と結論づけました。 しかし、ラプンツェルは初のPG指定を受けてしまったディズニープリンセスなんです! 実は、アメリカは映画のレイティング(年齢制限)の規定が日本より厳しいことで知られています。 ジョーズなどのパニック映画はもちろん、ディズニーやジブリのような子ども向けアニメがPG指定になることも。 ラプンツェルの場合は、塔に誘拐されるというラプンツェルの生い立ちや、ユージーンがティアラを盗むシーンなどが問題視されたようです。 しかし、制限付きとはいえ全面禁止というわけではなく、あくまで「保護者の検討が必要」という程度だそう。 ラプンツェルの構想から公開に至るまでの期間は、歴代ディズニーアニメのなかでも最長の約70年! グリム童話の「髪長姫」をベースにした長編アニメの企画は、実は1940年代から始まっていました。 1940年代といえばダンボやバンビなど、今もなお愛されるディズニーのクラシックアニメが生まれた時代です。 さらに、2000年代に入って制作が本格化しはじめてからも監督の交代など様々なトラブルに見舞われ、当初の予定より3年遅れての公開となりました。 もし1940年代にラプンツェルが公開されていたら、白雪姫の次に古いディズニープリンセスになっていたかもしれませんね。 しかし、幼少期のラプンツェルの日本語吹き替えは一体だれがやっているのでしょうか? 幼少期のラプンツェルの吹き替えをしているのは、諸星すみれさん。 かかった時間に比例して、製作費もケタ違いの高額となってしまいました! その金額、なんと約2億6000万ドル! 日本円にすると約309億8700万円という、企業の資本金レベルの大金がラプンツェルに使われたのです。 これをラプンツェルの本編時間(約100分)に換算すると、1分あたりなんと約3億3000万円! ラプンツェルの映画1分間にかかった製作費で、シンデレラなどの名作ディズニー映画がまるまる1本作れてしまうのです! また、この想像もできないレベルのラプンツェルの製作費は、数あるディズニー映画のなかでもぶっちぎりのトップ。 製作費第2位のシュガーラッシュ(約1億6500万ドル)をはるかに超える高額なんです。 どれだけお金をかけてでも最高のものを作ろうとするディズニーの資金力と制作意欲には、脱帽しかありませんね。 パークで買える!ラプンツェルのおすすめグッズ.

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塔の上のラプンツェル

パスカル ラプンツェル

影響を与えた人物:• 、、、、、、、など ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、 - )は、の、、、、、、、である。 神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。 ただし、短命であり、三十代で逝去している。 死後『』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。 「 人間は考える葦である」などの多数の名文句やなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『』は有名である。 その他、、、などの発見で知られる。 ポール・ロワヤル学派に属し、を代表する著作家の一人でもある。 かつてフランスで発行されていた500紙幣に肖像が使用されていた。 「パスカリーヌ」 パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住する。 パスカルは学校ではなく、家庭で英才教育を受けた。 父親はやアマチュア科学をたしなんでおり、その知識をパスカルに授けた。 しかも、自宅には当時の一流のや科学者が頻繁に出入りし、自宅は一種の「サロン」や「サークル」の状態になっており、彼はそうした大人たちの集いにも顔を出し、様々な知識を吸収することも出来、大人たちと討論したり思索を深めたりすることで、その才能が本格的に開花した。 、16歳の時に、『円錐曲線試論』を発表。 17歳の時には、の構想・設計・製作に着手し、それを見事に2年後に完成させた。 これによって、父親の徴税官の(計算の)仕事を楽にしようとしたのだ、とも言われている。 またこの計算機の設計・製作に過度に没頭したことが、パスカルの肉体を傷め、病弱となり、寿命を縮める原因のひとつとなった、とも言われている。 その他の数学、自然哲学の業績 [ ]• 「」の創始 (賭け・賭博についての考察より)• の求積問題• 「」(流体の平衡についての理論)の提唱(、におけるの単位、に名を残している) 等々。 神学者、キリスト教弁証家として活動 [ ] 、パスカル一家はの弟子らと出会い、信仰に目覚め、に近づいてゆく。 、父が死去。 妹ジャクリーヌがに入る。 パスカルは一時期、に出入りするようになり、人間についての考察に興味を示す。 、再度、信仰について意識を向け始め、ポール・ロワヤル修道院に近い立場からものを論ずるようになる。 - 、『プロヴァンシアル』の発表。 神の「」について弁護する論を展開しつつ、の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。 また、を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。 そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。 だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。 ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『 』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。 のについて確率論を応用しながら的にを行った「」など、現代においてもよく知られているパスカル思想の多くが記述されている。 『パスカルの賭け』において、パスカルは、多くの哲学者や神学者が行ったようなを行ったわけではない。 パスカルは、そもそも異なる秩序に属するものであることから神の存在は哲学的に(論理学的に)証明できる次元のものではないと考え、同時代のルネ・デカルトが行った証明などを含め哲学的な神の存在証明の方法論を否定していた。 パスカルは、確率論を応用した懸けの論理において、神の存在は証明できなくとも神を信仰することが神を信仰しないことより優位であるということを示したのである。 で実際に創業した。 これまで、馬車と言えば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず(今日のにあたるは、に登場、ほどなく、パリにも登場している)、パスカルの実現したこのシステムは今日のに当るものである。 最晩年 [ ] パスカル自身は乗合馬車の創業6ヶ月後に、体調がいよいよ悪化し、死去。 39年の生涯を閉じた。 死後、パスカルが病床で着ていた着物(肌着)の襟の中に、短い文書が縫い込められ、隠されているのが発見された。 そこに書かれていたのは、彼自身が以前に体験した、回心と呼ばれる宗教的な出来事だった。 哲学 [ ] 流の哲学については、に関係する特定の分野でのそれなりの成果は認めつつも、神の愛の大きな秩序の元では、デカルト流の理性の秩序が空しいものであることを指摘した。 また、「 哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」とする有名な記述も残している。 それはパンセの断章番号4の部分である。 それは以下に引用する。 幾何学。 真の雄弁は、雄弁をばかにし、真の道徳は、道徳をばかにする。 言いかえれば、規則などない判断の道徳は、精神の道徳をばかにする。 なぜなら、学問が精神に属しているように、判断こそ、それが直感に属しているからである。 繊細は判断の分け前であり、幾何学は精神の分け前である。 哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、11頁。 パスカルが懐疑論を重要視しているという後述の「懐疑論・確率論」の節の内容と関連することであるが、上述のようなパスカルの態度は、後に登場する哲学者以後の哲学史においての流れにある「」を基調とするいわゆる「反哲学の哲学」に共鳴し、またはそれに先駆的であると言われることがある。 また、ニーチェ自身の思索においても、パスカル思想への関心は強く、パスカルからの影響が見られる。 考える葦 [ ] 有名な「 人間は考える葦である」とは、はの中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによってを超える、というパスカルの哲学者としての宣言を表している。 それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている。 パスカルが人間をひとくきの葦に例えて記述した文章は、哲学的な倫理、道徳について示した次の二つの断章である。 そこでは、時間や空間における人間《》の劣勢に対し、思惟(そして精神)における人間《》の優勢が強調されている。 人間はひとくきの葦にすぎない。 自然のなかで最も弱いものである。 だが、それは考える葦である。 彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。 蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。 だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。 なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。 宇宙は何も知らない。 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。 われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。 だから、よく考えることを努めよう。 ここに道徳の原理がある。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。 考える葦。 私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。 私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。 空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。 考えることによって、私が宇宙をつつむ。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、226頁。 秩序の三段階 [ ] 先述した「考える葦」は物体に対する精神の偉大さを説いたものであり、その上、パスカルはそれよりもさらに小さな愛のほうが偉大であると説く。 いわゆる・・という秩序の三段階であり、これは最も著名なパスカル思想の側面である。 『パンセ』には、例えば次のような文章がある。 あらゆる物体、すなわち大空、星、大地、その王国などは、精神の最も小さいものにもおよばない。 なぜなら、精神はそれらのすべてと自身とをするが、物体は何も認識しないからである。 あらゆる物体の総和も、あらゆる精神の総和も、またそれらのすべての業績も、愛の最も小さい動作にもおよばない。 これは無限に高い秩序に属するものである。 あらゆる物体の総和からも、小さな思考を発生させることはできない。 それは不可能であり、ほかの秩序に属するものである。 あらゆる物体と精神とから、人は真の愛の一動作をも引き出すことはできない。 それは不可能であり、ほかの超自然的な秩序に属するものである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、526頁~527頁。 懐疑論、確率論 [ ] 『パンセ』においては、主にやを重要視した思索、人間考察が目立つ。 また、「懐疑論は宗教に役立つ 」としている特徴もある。 確率論について言えば、「」などを含むいくつかの神学的な思弁において「 懸けの必要性 」を重要視していることは特筆すべき点である。 また、懐疑論においては、その他、確実性や不確実性についての論理的な思弁がいくつも見られる。 パスカルの懐疑論がどのようなものであったかについては、パスカルの論理における懐疑論の意味を示している文章からさしあたり以下の四つを参照する。 懐疑論。 この世では、一つ一つのものが、部分的に真であり、部分的に偽である。 本質的真理はそうではない。 それは全く純粋で、全く真である。 この混合は真理を破壊し、絶滅する。 何ものも純粋に真ではない。 したがって、何ものも純粋な真理の意味においては、真ではない。 人は殺人が悪いということは真であると言うだろう。 それはそうである。 なぜなら、われわれは悪と偽とはよく知っているからである。 だが、人は何が善いものであると言うだろう。 貞潔だろうか。 私は、いなと言う。 なぜなら、世が終わってしまうだろうからである。 結婚だろうか。 禁欲のほうが優っている。 殺さないことだろうか。 なぜなら、無秩序は恐るべきものとなり、悪人はすべての善人を殺してしまうだろうからである。 殺すことだろうか。 なぜなら、それは自然を破壊するからである。 われわれは、真も善も部分的に、そして悪と偽と混じったものとしてしか持っていないのである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、242~243頁。 懐疑論反駁 〔これらのものを定義しようとすれば、どうしてもかえって不明瞭になってしまうというのは奇妙なことである。 われわれは、これらのものについて、いつも話している〕われわれは、皆がこれらのものを、同じように考えているものであると仮定している。 しかしわれわれは、何の根拠もなしにそう仮定しているのである。 なぜなら、われわれは、その証拠を何も持っていないからである。 なるほど私は、これらのことばが同じ機会に適用され、二人の人間が一つの物体が位置を変えるのを見るたびに、この同じ対象の観察を二人とも「それが動いた」と言って、同じことばで表現するということをよく知っている。 そして、この適用の一致から、人は観念の一致に対する強力な推定を引き出す。 しかし、これは肯定に賭けるだけのことは十分あるとはいえ、究極的な確信により絶対的に確信させるものではない。 なぜなら、異なった仮定から、しばしば同じ結果を引き出すということをわれわれは知っているからである。 これは、われわれにこれらのものを確認させる自然的な光を全く消し去ってしまうというわけではないが、すくなくとも問題を混乱させるには十分である。 の徒なら賭けたであろう。 だが、これは自然的な光を曇らせて独断論者たちを困惑させ、懐疑論の徒党に栄光を帰させてしまう。 その徒党は、この曖昧な曖昧さと、ある種の疑わしい暗さとのうちに、存するのである。 そこでは、われわれの疑いもすべての光を除くことができず、われわれの自然的な光もすべての暗黒を追いはらうことができない。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、246頁。 懐疑論者、、たちなどのすべての原理は真である。 だが彼らの結論は誤っている。 なぜなら、反対の原理もまた真であるからである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、247頁。 パスカルは、自身がとしての側面を持っているからということもあるが、個別の事物事象、個別的な事例への観察から的な思弁を行う哲学者であり、その結果、「」などを含めて的な思索を残した。 そして、完全に明晰な真理とされるものをも懐疑し続けた。 これは、同時代(17世紀)の思想を代表する合理主義哲学者が、「 明晰判断」を重視する的なによって普遍的な概念を確立しようとしていたことと比較して対極的である。 「」については、そちらの頁を参照されたい。 著書 [ ]• 『』Essai pour les coniques、。 『プロヴァンシアル』Les Provinciales、1656 - 1657年。 がから批判されたとき、匿名でジャンセニスムを擁護した。 Histoire de la roulette、1658年。 パスカルが生前に構想していた書物のための原稿やメモ書きの断片が、死後に整理されて出版されたものである。 様々なテーマについての文章が含まれており、フランスでは、哲学書(、、世界論、、、、人生論)、文学、信仰のための書・神学書などとして読まれてきている。 印象的で含蓄のある表現も多数含まれており、それらは現在でもしばしば引用句として使われ続けている。 また、『パンセ』のなかに含まれている章節の一つである「」は、哲学書としては、世界初の的書物でもある。 主な日本語訳 [ ]• 『』、・共訳。 、改版2018年• 別版『パンセ』、同上、(全2巻)• 別版『パンセ』(白水社)、由木康による単独訳、多数重版• 『パンセ』、訳・注解、(全3巻)、2015-2016年 - 詳細な訳注• 『パスカル 数学論文集』 訳、、2014年• 『パスカル 科学論文集』 訳、岩波文庫 - 人文書院版に改訳を収録• 『メナール版 パスカル全集』 ・塩川徹也ほか訳、、1993-1994年• 『生涯の軌跡 1・2』のみ刊行(全4巻予定)• 『パスカル全集』全3巻、松浪信三郎ほか訳、• 『パスカル著作集』全7巻・別巻2、ほか訳、 - 別巻は研究論集と伝記• 『パンセ』 教文館キリスト教古典叢書、田辺保訳、新版2013年 脚注 [ ]• 『パスカルとその妹』(、1963年)7ページ• 例えば、イデー選書版の邦訳『パンセ』(由木康訳)に載せられている解説において、その旨が書かれている。 ニーチェは時代を問わず様々な哲学者を引用して検証するが、中でもパスカルからの引用は数が多く、パスカルの文言が多用されている。 そのことは、の『暇と退屈の倫理学』(、2011年)などにおいて言及されている。 パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、246頁。 パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、184~241頁。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキクォートに に関する引用句集があります。 外部リンク [ ]•

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