こく し りん てん。 篆刻(てんこく)とは

国展

こく し りん てん

2 見出し字8,600字・篆書34,071字を充実収録。 3 「新・常用漢字表」、「新・人名用漢字」にも対応。 4 初心者にとっても親切、篆書がやさしく使えるさきがけの時代別文字区分。 5 中国篆刻字書の編纂底本に採用される。 篆刻の本場・中国の字書編集でも大活躍。 6 「技能検定試験」の選定図書に。 国家検定も認める信用性。 7 20誌以上の篆刻入門書が推薦紹介。 他薦がなにより信頼の証。 2 パソコン、タブレット、スマートフォンで、どこでもらくらく閲覧。 3 篆文総数、なんと44545字。 圧倒的文字情報量を誇る。 4 見出し字には「説文解字」を示し、字の本義を記す。 5 甲骨・権量・石鼓・明清名印まで、幅広く充実収録。 6 各篆文には、その「裏づけ」をハッキリさせる出典を示す。 7 不便だった文字検索を、『篆刻字林』増訂新版との連携で一発解消。 号は初め耕石のちに畊石、字は子修、甘いもの好きで安古廬先生とも。 明治8年11月17日、千葉県海上郡 嚶鳴村(現在は旭市)琴田3062番地に服部耕雨(八代治左衛門)の長男として生まれた。 服部家は江戸時代、琴田村代々の名主。 幼名彦太郎。 明治19年(12歳)耕雨隠居し相続して九代治左衛門を襲名した。 開成中学を経て、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学び、明治25年(18歳)ごろ高田緑雲の門に入り篆刻を学ぶ。 明治41年(34歳)ごろ牧野望東等と共に俳誌『高潮』を創刊。 明治44年(37歳)ごろ角田竹冷の後を受けて日本新聞俳壇の選者となる。 のち単独で『高潮』の編集発行を引き受ける。 大正9年平和博覧会の篆刻部門において銀牌に入賞。 昭和初年から日本美術協会の審査委員、日本書道作振会、泰東書道院、東方書道会の各役員ならびに審査委員なる。 著書には篆刻関係で『篆刻字林』のほか『六書通正』があり、俳句関係では『慶弔俳句集』、『芭蕉句新講』、『俳句文法』、句集『おほばこ』がある。 東京都牛込区(現在は新宿区)新小川町3丁目19番地で死去。 享年65。 戒名は薫徳院慧鑑輝詠畊石居士。 手に馴染んで持ちやすくコンパクトで、教室まで他の荷物を持って行っても苦になりません。 (奈良 和田さま) ・ページを開いた時の製本の丁寧さに感心しました。 初心者でこれまで数冊の字典を購入しましたが、見易さでは一番だと思います。 (千葉 高橋さま) ・価格は少し高めですが、篆書体がたくさん掲載されていてとてもうれしい。 見やすくて便利。 (東京 熊谷さま) ・表紙の材質が変わり開きやすくなった。 (東京 細井さま) ・字数が多く、字が大きいのは助かっている。 さらに安価であれば。 (宮城 伊藤さん) ・2本程度の栞紐をつけてほしい。 (山口 松塚さま) ・大変見やすい。 文字の時代区分は分りやすい。 (兵庫 淡路さま) ・これで3冊目。 買い換えるたびに使いやすくなっている。 価格、デザインとも丁度良い。 装丁の色味と質感も気に入った。 (千葉 川名さま) ・篆刻を始めるにあたっての歴史ある必携基本字書でしょう。 (長野 竹村さま) ・価格が5000円以下なら2年前に買っていた。 (神奈川 福田さま) ・印篆の種類が多く、大篆刻字林『六書通正』デジタルブックとの連携で、更にそれが充実したことを悦んでいる。 (大阪 玉置さま) ・低価格になり、内容も更に充実。 すばらしい! 落ち着いたデザインも可。 (京都 太田さま) ・今まで旧版を使用していたが、増訂新版は非常に使いやすく感心した。 (兵庫 井上さま) ・付録に人名・干支・数字・カタカナ・ひらがな・アルファベットを付けてほしい。 (北海道 三木さま) ・増訂新版は、大きさ・価格とも手ごろになった。 独学で篆刻を楽しんでいるが、『篆刻字林』に勝る字書は、今のところ見つけられない。 (大阪 中家さま) ・これだけの篆文を集め整理した内容にしては、手ごろな価格設定だと思う。 (埼玉 伏木さま) ・非常に見やすく、いつも手元に置いて活用している。 価格もリーズナブルでありがたい1冊。 (大阪 北田さま) ・使いやすいが、価格はもう少し安いと求めやすいと思う。 専門書なので仕方がないか。 (埼玉 榎木さま) ・ほどよく文字の成り立ち説明があって勉強になる。 (茨城 菊地さま) ・大篆刻字林『六書通正』デジタルブックとの連携、画期的な出版に感服します。 (茨城 山内さま) お問い合わせはお気軽に! 三圭社(さんけいしゃ) 東京都大田区北千束2-17-13 〒145-0062 TEL. 03-3729-2855 FAX. 03-3729-9269 Email C Sankeisha.

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画材・ものづくりのアートロコ

こく し りん てん

・ ・ ( ) ・ ・ ( ) 殷(商) [ ] 中国において篆刻史はすなわち印章の歴史である。 古くは三代(・・)に起源があるとする説もあり、からが発掘されている。 しかし、この殷璽については懐疑的な声が多い。 戦国時代 [ ] 現在確認できる最も古い印章はまで遡ることができる。 この時代の印章はすべて鉥(のちの)と呼ばれたことから特に 古鉥(こじ)と総称される。 材質は多くが銅であるが銀や玉もみられる。 朱文(陽刻)、白文(陰刻)ともにみられ、という書体が使われている。 政治と経済が大きく変容した戦国時代に臣下の関係や商品取引の保証として印章が必要とされ、やのに利用された。 文字以外に絵などの図像印、特に動物をモチーフにした 生肖印が多い。 このような図像印はまで細々と存在したが以降は消滅し、日本のに一時的に復活する。 秦・漢 [ ] のの時代には印章制度( 印制)が整い、印章は辞令の証としての役割を持つようになる。 皇帝の用いる印を 璽とし、官吏や一般用は 印と呼ぶようになった。 これに加えには将軍の印を 章と呼ぶようになる。 印章の材質やサイズ・形、式などで階級や役職を表した。 このとき印文にを用いることが正式となり、になってもこの制度は踏襲され、(摹印篆)といわれる印章用の篆書が登場した。 現代に至っても印章に篆書を用いるのが一般的なのはこの慣習が続いているからである。 またこの頃といわれる鳥や虫、魚などをモチーフにした独特の書体も用いられている。 材質は皇帝のみがでその他は位順に金銀銅の金属印であった。 はで刻され、金属印は鋳造(鋳印)された。 戦場などで役職を任命するような時間的余裕がない場合には、金属に直接掘り込み作成(鑿印)されたが、これを「急就章」と呼んだ。 六朝・隋・唐 [ ] のにとという印工の名前が確認できる。 この二人は専門職とはいえ、自分で刻して鋳造したことから名前が確認できる最初の篆刻家である。 には小篆の他にと呼ばれる風変わりな書体も用いられた。 またの文献に紙に朱印で捺印したという最も古い記録がみられる。 が中国を統一するといよいよの使用が一般的となり、印章は封泥から紙に捺して使うようになった。 このため印文は陽刻が主流となりサイズも大きくなる。 引き続きになると・が浸透したことや国際化が進んだことで印文にや・異民族の文字(・・)が刻されることもあったが、そのほとんどはやはり篆書を用いた。 この唐代になってはじめて印章を美術的に論じた文献が散見されはじめ、次第に印章に芸術性が求められるようになる。 宋・元 [ ] になると不正を防ぐ目的でにはと呼ばれる独特のくねくねと折り曲がる書体が用いられ、まで続いた。 しかし、この九畳篆は美術性に乏しく雅を好む・などからは一切顧みられることはなかった。 には支配民族であるなどが漢字を知らないことからが多く用いられる。 このような中で文人の余技としての篆刻は、のが開祖とされる。 米芾以前は文人自身が字入れしたとしても刻んだのは専門の職人であった。 印材が・・・など硬い材質であったためである。 米芾は自著『書史』や『画史』の中で 治印(印章の作成)について論じており、その印影が粗削りで拙劣である点などから、自ら印材を刻んだ最初の文人と推定される。 から盛んとなったは・・に印章を加えた総合芸術となっており、文人画家である米芾が自らの美意識に適う印影を求めたからだと思われる。 米芾の革新的な試みから200年近く経過した元末にようやく・が登場する。 書家・画家として有名な趙孟頫は、「 円朱文」と呼ばれるを用いた柔和な印を好み、後世に影響を与えた。 また吾丘衍の「三十五挙」(『学古編』)は最初に著された篆刻理論書として後進に尊重された。 彼らは上古の正しい印法への復古を説いて、代から継承されるの陋習を是正した。 しかし、趙・吾は自ら印を刻むことはしなかった。 彼らと交流の会ったはその印影が拙劣であることから自刻したものとされる。 元末のは(の一種)という柔らかい石を印材に用いた。 これはひとつの発明であり、代に文人の間に篆刻芸術が広まる最大の功績となった。 王冕も 漢印から学び自己の風格を持った印を作成した。 明・清 [ ] 中期の・の二人はもっとも傑出した篆刻家であり「文何」と称され尊敬を集めた。 文彭は篆刻に生涯を傾け、漢印の研究を行ってその作風にとり入れ篆刻の発展に尽くした。 それまで職人に頼ってなどに刻させていたが偶然手に入れた(石印材)に自ら刻した後は、二度と他の印材は用いなかったという。 この逸話がほかの文人にも伝わり、石印による篆刻が一気に広まったとされる。 文彭の弟子の何震は (新安印派)の祖として知られ、その一派に多くの篆刻家を輩出した。 ・・・・・などである。 徽派は地方()を拠点に代中期まで盛行し各地に拡がった。 漢印の正統な作風を基礎に新鮮味を加えた作風であった。 一方、18世紀になるとにを開祖として (西泠印派)が興る。 徽派と同じく漢印を基礎としていたが、旧習から脱却し素朴な力強さを特色とした。 ・・・・・・など優れた篆刻家が育ち、 西泠八家と呼ばれた。 清末期にが沈滞する篆刻に革新を行ない(新徽派・後徽派)の祖となった。 繆篆を用いるという旧弊を打破し保守的な復古主義を刷新した。 、その後に・・などの弟子が育ち、このうち趙之謙は鄧派と浙派を総合して(趙派)を打ち立て優れた功績をあげた。 このほか、清末には・など次々と優れた篆刻家が現れている。 日本の篆刻史 [ ] 「」を参照 意匠 [ ] 主にを刻することから篆刻という。 ただし、、、、、あるいは肖形(イラスト)を彫ったものも含めることがあり、厳密な定義はない。 素材 [ ] 篆刻に用いる主要なは石であるが、金属、竹、骨、牙、角、植物の種子等も用いられる。 また、最近では、入手と加工の手軽さから、が用いられる事もある。 印材とされる鉱物としてはが一般的である。 これは3. 5ほどの比較的柔らかい鉱物であり、特別の技術を要さず容易に加工ができる。 これら石印材は朝鮮半島、タイ、ミャンマー、モンゴル、日本にも産するが、産出の質、量、加工技術、流通においてもっとも主要なのは中国であり、の、の、、のなどが広く安価に流通している。 中国印石三宝:田黄(寿山石の一つ)、芙蓉(寿山石の一つ)、鶏血石(昌化石の一つ)の素材は美麗かつ稀少で、非常に高価であり、軟宝石と称されることもある。 その稀少価値故、既に印が彫られたものを印材として再利用し、高値で取引される事も有る。 篆刻と離れて、印材自体が収集、投機の対象となることも多い。 用具 [ ] 篆刻を行う道具は印刀(篆刻刀、或いは鉄筆)と呼ばれる。 篆刻における印刀は、木彫等で用いられる印刀(先端が鋭角で片刃のもの)とは異なる刃物を意味する。 篆刻用の印刀は多くの場合両刃の平刀で、直角に研ぎ出された両角を利用して彫る。 刃幅は5-20mm程度であることが多い。 篆刻を行う時に印材を固定する道具を印床と呼ぶ。 木製のものが多い。 用途 [ ] 篆刻作品は書画の(サイン)として利用されることが多いが、押捺した印影自体が独立した作品でもあり、鑑賞の対象となる。 印影を多数集めた作品集をという。 種類 [ ] 形態 [ ]• 白文(陰刻)• 朱文(陽刻)• 姓名印• 雅号印• 引首印(関防印)• 肖形印• (収蔵印) 形状 [ ]• 変形印• 関防印 引首印 著名な篆刻家 [ ] 中国の篆刻家 [ ] この節にはやの一覧が含まれていますが、 によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。 脚注を導入して、記事のにご協力ください。 ( 2018年4月)• 『篆刻の歴史と発展 印学史』・ 共訳、〈篆刻叢書〉、1988年9月。 、『篆刻の歴史と鑑賞 中国鉥印源流』 訳、〈秋山叢書〉、1982年10月。 銭君匋 共著『印と印人』・・ 共訳、〈藝林叢書 選訳I〉、1982年9月。 『日本篆刻物語 はんこの文化史』、2002年3月。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 世界大百科事典 第2版『』 - 古典篆刻作品• この項目は、・に関連した です。 この項目は、に関連した です。

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篆刻(てんこく)とは

こく し りん てん

それは石のハンコは書や絵画の人たちが使用するハンコのようで まだ一般的に使用されることが少ないからでしょう。 掛け軸など毛筆で書いた人の名前の下に押してあるハンコです。 落款 らっかん ともいうことをお聞きになられたことがあると思います。 篆刻は歴史的には随分古く伝統的なだけに、 決まりごともたくさんありそうです。 私の嫌いな「権威」が肩で風を切って歩いているような 結構面倒くさい世界のようにも感じます。 自由気ままで「なんでもあり」の世界。 権威や伝統などという面倒くさいものはどこにもない。 個性を全面的に押し出すという手法。 この「楽しい印」の世界は人間を長くやっていると、 知らぬ間にしばられている見えない魔物から 解放してくれるということが分かりました。 自由な気持ちで彫った「得水印」 依頼主の近くにある渦を巻いて流れる川をイメージしています。

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