はなちゃん。 安武信吾さんとはなちゃんの、今。あれから10年、父の子育て 第2話

はな (タレント)

はなちゃん

皆さんこんにちは。 はなちゃんです。 はなちゃんとコラボろう!第一弾「アイノカタチ」。 イェイッ!! 一緒にコラボっても良いよとおっしゃっていただける方は、ぜひお気楽ご気楽にご連絡くださいませ。 撮影は、スマホやタブレットなどでOKで~す。 そして、6月14日(日)、大垣駅前通り「アトラエンチ」にて開催されましたSPANKY SHOTさんLIVEに行ってきました~! 店頭のガラス戸全開、換気バッチリすぎるほどOK。 いつもぶっつけ本番のSPANKY SHOTのお二人は、この自粛期間に珍しく合わせ練習されたとか。 ここ数か月のうち一番の運動量?! 足が・・・ ダイソーでGET! はなちゃんです。 曲は星野源さんの「恋」。 ボーカル&演奏メンバー&ダンサーさんを募集します!! はなちゃんとコラボってもいいよ!とおっしゃっていただける方は、メッセンジャー、メール、LINE、コメント欄にてご連絡くださいませ。 はなちゃんからは、カホン、Key、ダンサーが参加します。 谷汲山華厳寺参道イメージキャラクター「いのりちゃん」。 動画が追加できた都度、アップしていきますね。 はなちゃんLIVE いくつか予定がありますが、開催の目処がつきましたらお知らせさせていただきますね。

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居酒屋 はなちゃん(すすきの駅/居酒屋)

はなちゃん

千恵さんが亡くなって以来、はなちゃんはお母さんから受け継いだみそ汁づくりが毎朝の日課となりました。 安武さん: 「当時、はなは5歳でしたが、僕と一緒に台所に立つようになったのは千恵の四十九日が終わった頃。 きっかけは、はなが紙に書いたこんな言葉でした。 あさすること かおあらう おいのり えさやり さんぽ てあらい みそしるづくり あさごはん……これがはなのしごと 実はこれ、はなが千恵と台所で交わした約束事で、その中には『みそしるづくり』というのもちゃんと書かれていたんですね。 僕は、千恵が旅立ってから深い喪失感でうつ状態が続いていたんですが、これを読んでようやく目が覚めて、『千恵とはなに申し訳ない、このままじゃいけない』と気持ちを切り替えることができました。 それから生活を立て直し、はなが毎日みそ汁を作るようになったんです。 生きる意味すら失っていた僕を、はなが助けてくれたんです。 はなはその後、みそ汁作り以外の家事も手伝うようになりました。 そういえば、はながまだ小学生の頃、インタビューで『はなちゃんはなぜ、毎日おみそ汁を作るの?』と聞かれた時、『パパが笑ってくれるから』と答えたことがあります。 もう今は声に出して言うことはありませんが、きっと同じ気持ちで作っているのだと思います」 千恵さんからみそ汁づくりを教わる中で、はなちゃんはそれを自分の毎朝の役割だと認識していったのでしょう。 安武さん: 「実は、『はなちゃんのみそ汁』が広く知られるようになって、『亡くなった母親は、みそ汁づくりを父親に教えるべきだった』『子どもを台所に立たせるなんて虐待だ』などの中傷を受けることも少なくありませんでした。 家庭の事情はさまざまです。 いろいろな考え方があって当然ですが、千恵は幼い娘に『自分の役割』を持たせたかったのではないでしょうか。 つまり、自分の役割を持った娘は、親に感謝されることで『自分は家族に必要とされている』ことを実感できるようになります。 それは『生まれてきて良かった』と、自分の生を肯定することにもつながります。 その自己肯定感こそが、これからの長い人生、困難を乗り越えて生きていくための大きな力になっていくわけです」 ところで、はなちゃんはなぜこれまで、みそ汁づくりを嫌がることなく続けてこられたのでしょうか? 安武さん: 「幼児教育の専門家よると、子どもが台所に立ちたがる年齢のピークは5歳ぐらいだそうです。 しかし、親も忙しい。 子どもに台所を占領されたら、たまったもんじゃないから追い出してしまう。 子どもはせっかく興味を持ち始めた『食』に触れる機会を失ったまま成長し、親が『そろそろ料理ぐらいは教えなきゃ』と思う頃には、塾だ部活だと忙しくてそれどころではない状況に。 そうして『食べることの本質』に目を向けないまま成長すると、その子の将来の食生活にも大いに不安が残ります。 はなは幸運にも4歳の頃から千恵に料理を教わったので、その後も食に興味を持って楽しく続けてこられたのだと思います。 子どもが台所に立つことは、とても深い意味があると思うんです。 台所は、栄養とか調理だけではなく、他者への思いやりや情感豊かな心を育む場でもあります。 もちろん、最初からそんなことがわかっていたわけではありませんが、はなが成長するにつれてそう実感するようになりました」 安武さん: 「はなは今、大学の先生の指導で毎月2回、西日本新聞に『はなちゃんの台所 15歳のレシピ』と題した連載を執筆したり、僕と一緒に全国各地の子どもたちを対象に、みそ汁づくりを教えたりしています。 考えてみると、こうした機会が娘に与えられているのは、『はなちゃんのみそ汁』が世に出て、多くの方が本を読んでくださったからこそ。 はなは幼くして母親を亡くしましたが、多くのご縁や周囲の方たちに支えられて、他の人にはなかなかできない素晴らしい経験をさせていただいています。 これらはきっと千恵がつないでくれていることなんだと、しみじみ感じています。 そうそう、はなはインタビューで将来の夢について聞かれると、いつも『管理栄養士になりたい』って答えていますが、あれはどうなんだろう。 本音なのかな。 ひょっとしたら、ダンスを踊る仕事がしたいんじゃないかなと(笑)。 以前からダンスが大好きで、今もヒップホップやジャズダンスを習っていますし、家でも汗だくになって踊ってます。 でも、将来の仕事はまだ決めなくたっていい。 今は好きなことを思いっきりやってほしいですね」.

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花ちゃん

はなちゃん

この作品が含まれるテーマ• はなちゃんがかよう保育園では、毎月、避難訓練があります。 園長先生の放送が流れたら、みんなでテーブルの下にかくれてから避難場所へ急ぎます。 でもすみれ組のはなちゃんは、ちょっとのんびりやさん。 ニコニコちょうちょやお花を見て、おそ〜い。 「はなちゃん、のんびりしてるとつなみにさらわれるぞ! がおがおがお〜んって!」 先生にそういわれたはなちゃんは、そんなのやだ!と、それから「はやあるき」の練習です。 どんなときも、すっすっ さっさっ すっすっ さっさっ すっすっ さっさっ。 ある日、ほんとうに大きな地震がきて……。 東日本大震災で、岩手県の北にある野田村保育所の園児90名、職員14名は、全員、津波を逃れました。 その奇跡的な避難の背景には、毎月の地道な訓練があったといわれます。 あの日の、「だれも泣かず、だれもぐずらず、それはそれはりっぱだったんですよ」と職員(じつは作者の義妹)から聞いた園児たちの姿……。 それが作者の宇部京子さんの心にはずっと残っていて、震災から4年近くの時を経て絵本になりました。 宇部京子さんは岩手県久慈市在住の詩人。 語りかけるようなやわらかな言葉と、イラストレーター菅野博子さんの絵から、園児さんたちの非常時の緊張感やいつもの笑顔がまっすぐつたわってきます。 子どもたちがなぜがんばれたのか。 あるいてあるいて、あるきとおすことができたのか。 不思議でたまりません。 でもこの絵本を読むと、そのわけがわかる気がします。 はなちゃんのはやあるき。 それはじぶんをじぶんでまもる、はやあるき。 ちいさな笑顔と必死さが、わたしたちの胸に力強くやさしく迫ってくる絵本です。 (大和田佳世 絵本ナビライター) 「奇跡の脱出」としてニュースになった、岩手県野田村保育所をもとにした絵本です。 はなちゃんの通う保育園では、月に一度、避難訓練があります。 でも、のんびりやのはなちゃんは、いつもおくれてしまうので、はやあるきの練習をすることにしました。 そんなある日、とつぜんおおきな地震がおこったのです…。 保育園の子どもたちが、じっさいにおきてしまった災害に立ち向かいます。 じぶんでじぶんの命をまもることの大切さを伝えるお話。 わたし自身も、小学生の頃に、定期的に行っていた避難訓練。 でも、大きな地震を経験したことのなかった自分は、 心のどこかで、「本当に必要になることはない」と甘く考えていたのだと思います。 この絵本を読んでようやく、「避難訓練」の重要さをしっかりと理解しました。 大人がこんなことではいけない、と、恥ずかしく思うと同時に 訓練の機会がなくても、確認と対策をしようと考えるきっかけになりました。 (なーお00さん 30代・その他の方 ).

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