金田一 耕助。 金田一耕助シリーズ「死仮面」|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル]

金田一耕助(60分版)/古谷一行

金田一 耕助

フジテレビでは今年12月、横溝正史原作、加藤シゲアキ主演のスペシャルドラマ『悪魔の手毬(まり)唄』を放送することが決定し、加藤演じる金田一耕助が霧の広がる暗がりを真剣なまなざしで駆け抜ける特別PR映像が地上波で初公開された。 0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率をマークし話題を呼んだ。 そしてこのたび、昨年と同じスタッフ陣が加藤のもとに再び集結。 「去年より圧倒的に怖い」と加藤本人も恐れ、横溝自身が傑作と語った『悪魔の手毬(まり)唄』は、血で血を洗う女同士のドロドロな戦いを描くホラー作品。 年の瀬の寒い季節に追い打ちをかける、身も震える戦慄の第2弾が幕を開ける・・・。 一見だらしない身だしなみではあるが、柔らかい物腰とチャーミングな笑顔で周囲の人を魅了し、圧倒的な洞察力と明晰な頭脳を武器に難事件を解決に導く希代の名探偵を再び演じる加藤は、「二度目の金田一耕助を演じさせていただけること、大変光栄に思います。 さらに、「この手毬(まり)唄を聴けば、鳥肌立つこと間違いなしです」と怨念渦巻く恐怖を約束する。 クリスマスシーズンで活気に沸く日本列島に、クリスマスソングに代わる恐怖の手毬(まり)唄が響き渡る。 加藤シゲアキ コメント 「昨年に続き、二度目の金田一耕助を演じさせていただけること、大変光栄に思います。 先日特別PR映像の撮影でおよそ9カ月ぶりに役衣装に袖を通したのですが、その途端、まるで昨日のことのように昨年の撮影が思い出され、自分でも驚くほどすんなりと金田一耕助に入り込むことができました。 よれよれのチューリップハットから溢れる不潔な長髪、破れた袴、下駄の音。 『犬神家の一族』の次は『悪魔の手毬(まり)唄』。 今作も奇怪な殺人事件が次々に起こり、その深い謎に金田一が迫ります。 『悪魔の手毬(まり)唄』ははっきり言って前作以上にすさまじいです。 この物語を知っている人も知らない人も、この手毬(まり)唄を聴けば、鳥肌立つこと間違いなしです。 寒さに震える夜に、怨念渦巻く恐怖のミステリーを今年もどうぞ」.

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金田一耕助アートウエーブ

金田一 耕助

金田一耕助 金田一耕助の年表 金田一耕助氏の履歴を年代順に整理したいと思いました。 氏の活動録として出版されているものから拾い出して構成している途中です。 事件そのものではなく、金田一耕助が いつ、 どこにいたか、そこに絞って調べています。 年 月日 歳 典拠 記事 T02? 1913? 0 本陣殺人事件 金田一耕助氏誕生 S06? 1931? 19 本陣殺人事件 金田一耕助、中学卒業。 上京 S06? 1931? 黒猫亭殺人事件 神田に下宿。 S07? 1932? 本陣殺人事件 渡米。 昭和二十九年から昭和三十年代初期とある(病院坂の首縊りの家(上))。 S08 1933? 本陣殺人事件 米国、某カレッジに3年在学 S11? 1936? 本陣殺人事件 帰朝。 東京にて探偵事務所を開く。 某重大事件を解決。 稲妻座は「駒形橋の西詰、駒形堂のある三叉路から雷門へ向かう道の左側」 S12 1937?? 本陣殺人事件 大阪にて「むつかしい事件」調査、解決。 S12 1937?? 本陣殺人事件 大阪より、岡山、久保銀蔵宅へ向かい、滞在。 事件勃発。 本陣殺人事件 午前2時ごろ、三郎の事件勃発。 同夜、事件解決。 S15 1940?? 黒猫亭事件 「風間には6、7年会わなかった」から推察して、この頃には出征していたと思われる。 S18 1943?? 獄門島 ニューギニア。 最初の2年間は大陸。 それ以降は、南の島から島へと。 S21 1946?? 黒猫亭事件 復員。 獄門島へ向かう途中とのこと。 S21 1946?? 獄門島 獄門島へ向かう前に、岡山の久保銀蔵のところへ立ち寄る。 獄門島 船で獄門島へ向かう。 本鬼頭訪問。 千光寺に逗留はじめる。 その間、夜、鬼頭雪子、殺される。 終夜、山狩り。 夜、鬼頭月代、殺される。 黒猫亭事件 岡山のYさんを尋ね三日間逗留。 獄門島事件について語る。 「岡山県吉備郡岡田村字桜」(病院坂の首縊りの家(上)) S21 1946 11? 獄門島の帰りに岡山県?K村に立ち寄り、事件を再調査、本位田慎吉氏に会う。 S21? 1946? xx 黒猫亭事件 「瀬戸内海のほう」からの帰りの汽車で風間俊六に会う。 風間の二号宅へ寄寓を始める。 xx 暗闇の中の猫 東銀座キャバレー・ランタンの前へ常駐。 事件がおきるまで続く。 事件解決。 風間俊六より事件を知らされる。 警視庁某氏の名刺(紹介状)持参。 同夜、事件解決。 S22 1947 春 xx 黒猫亭事件 Yさんへ黒猫亭に関する手紙を出す。 S22? 1947? xx 殺人鬼 東京、吉祥寺の成蹊近辺で八代竜介に会う。 S22? 1947? S22? 1947? S22? 1947? xx 殺人鬼 東京、神田の病院へ八代竜介を見舞う。 「毎日のように見舞った」。 少なくとも4、5日間。 「退院許可の出る二日前」まで、見舞っている。 S22? 1947 09? xx 蝙蝠と蛞蝓 湯浅順平のいるアパートの隣の部屋に入居。 湯浅は当時二十六歳で、戦前からこのアパートにいる。 「お繁がその家に入って三年になるが…」「戦争中は景気がよかった」「敗戦と同時に…」などから、早ければ昭和二十年、遅くとも昭和二十三年。 二十三年は可能性が低い。 「農地改革」(1947年ごろから実施)「新憲法」(昭和二十二年五月施行)の後なので、昭和二十二年か。 「秋風が身にしみる」から、秋? S22? 1947 09? xx 蝙蝠と蛞蝓 取調室。 湯浅と面談。 半月ほどたって。 +数日+四、五日。 このころの耕助は松月に居候していた。 以降宿泊。 釜口村妙海尼を訪ねるもすでに死亡。 三春園へ戻り、夜行にて東京へ帰る。 その後、椿邸訪問。 急遽、鎌倉の椿家別荘へ。 事件解決。 xx 悪魔が来たりて笛を吹く 「数日後」 椿邸にて犯人の遺書を読む。 (銀座の)エビス屋百貨店の現場を訪れ、事件解決。 事務所は「三角ビル最上階=5階」。 事件の翌日。 時期は明らかでないが、関係者の履歴書から、s22頃。 耕助事件について説明。 同家に逗留。 夜、事件。 年が記述されていない。 鬼首村の事件の後、立ち寄り滞在中。 S23 1948 夏 xx 死仮面 1948年夏から秋の初めにかけて、岡山県八つ墓村に滞在。 磯川警部より事件の話を聞く。 磯川警部の話に9月中とあるので、おそらく、それ以降の日付。 耕助はこの頃には銀座に事務所を構えていたことになる。 xx 死仮面 小田急沿線砧村川島女学園を訪れる。 xx 死仮面 翌日、正午頃、川島女学園を再び訪れる。 夜中に火事。 xx 死仮面 翌日も川島女学園。 前日から詰めていたらしい。 夜遅く、事件解決。 Y氏と「昭和二十X年の夏、一週間ほど滞在」。 「復員してきた金田一耕助は、一時、銀座裏の怪しげなビルディングの最上階の一室に事務所…結局、三ヶ月ばかりで閉じてしまった」とあり、今は、大森の割烹旅館の離れに居候。 この年、『夜歩く』『八つ墓村』を解決とあるので、昭和二十三年。 しかし、『死仮面』との日程の関係が微妙。 墓地へ散歩。 xx 女怪 Y氏宅訪問。 銀座某百貨店7Fで画家の個展を見る。 一週間後 S23 1948 11? xx 女怪 北海道からY氏へ手紙を出す。 しばらくたって、さらに、一月あまりのち。 S24? 1949? xx 人面瘡 岡山県。 「鳥取との県境に近い」薬師の湯。 福田松代の自殺未遂に遭遇。 由紀子の死体発見。 本日より宿泊。 年代、日付とも明記されていない。 本日は「仲秋の名月」なのでおそらく9月中旬。 「東京の俗塵を避け岡山へ…磯川警部担当の…三週間で解決…犯人は自殺」から、この事件は「八つ墓村」ではない。 従ってS22かS24。 お柳さんが中風で倒れたのが昭和22年秋。 去年の秋、貞二が復員とあるので、おそらく、今年はS24であろうと推定。 S24? 1949? xx 人面瘡 薬師の湯。 福田松代から事情を聞く。 S24? 1949? xx 人面瘡 薬師の湯。 事件解決。 お柳さん、死亡由紀子の葬儀の後、三日目ぐらい? S24? 1949? xx 人面瘡 薬師の湯を発つ。 お柳さんの初七日を済ませてから。。 S24? 1949? 薬師の湯を発ってから一週間後。 「烏」の事件が11月にあるのだから、耕助はよほど岡山が好きなことになる。 以降同家宿泊。 S21四月に珠生・貞之助が結婚。 それから3年後のこと。 神殿見学など。 事件発生。 解決する。 馬車にて明琅荘へ。 夕刻、事件発生。 夜、抜け穴探索。 午後、抜け穴探索。 午後、事件落着。 当夜8時、会議。 耕助、事件について語る。 耕助、事件について語る。 xx 女王蜂 丸ビル4階加納法律事務所を訪ねる。 月琴島を訪れる2週間前。 当日、東京を立った。 多門連太郎に会う。 九十九龍馬に会う。 月琴島の九十九邸へ宿泊。 大道寺旧邸に大道寺智子を訪ねる。 月琴島は伊豆下田より南方へ海上七里。 地図にも載っていない小島とのこと。 事件発生。 死体発見。 大道寺智子を経堂の大道寺邸へ送り届ける。 加納弁護士と面談。 その後、有楽町新日報社に社会部記者の宇津木慎介を訪ねる。 経堂の大道寺邸を訪れる。 大道寺一家と面談。 松月へ帰宅途中に襲われる。 ここでは、耕助は松月に居候していることになっている。 風間俊六の二号の節子の手当てを受ける。 神尾秀子が見舞いにくる。 大道寺一家に同行して見物。 事件発生。 xx 女王蜂 渋谷松濤の衣笠邸。 衣笠智仁と面談。 青梅の九十九道場へ。 九十九氏殺害。 歌舞伎座の事件より三日目。 xx 女王蜂 経堂の大道寺邸。 大道寺智子を訪ねる。 青梅の事件の翌日。 大道寺旧邸着。 事件発生。 智子が月琴島を出てから20日あまりとある。 大道寺智子と語る。 月琴島の事件から二三日後。 初七日を手伝う。 加納弁護士と面談。 月琴島の事件から一週間あまり後。 S26? 1951? 若林氏の手紙出の依頼による。 以降滞在。 活動録では昭和2X年となっている。 これから推測すると1950年前後。 (数え年とすれば、1949年。 ただ、1949年は「鴉」の事件があり、1950年には「迷路荘」の事件とぶつかる。 そこで、)仮に1951年としておく。 S26? 1951? 同ホテルにて、古舘弁護士に面会。 S26? 1951? 犬神家を訪れ、遺言状開封に立会う。 那須ホテルに戻り、古舘弁護士と談笑。 その後も「あるとき」古館弁護士と話をしている。 S26? 1951? 古舘弁護士が訪れる。 那須神社へ同行。 S26? 1951? 古舘弁護士から電話。 事件発生。 犬神家を訪れる。 捜査に参加。 通夜に出席後、ホテルに帰る。 S26? 1951? 犬神家を訪れる。 S26? 1951? 犬神家を訪れる。 湖畔の豊畑村旧犬神本邸へモーターボートで移動。 犬神邸に戻る。 S26? 1951? 橘署長から電話。 犬神家にを訪れる。 S26? 1951? 橘署長から電話。 雪ヶ峰へ向かう。 スキーにて捜索に加わる。 S26? 1951? 早朝、上諏訪駅にて調査。 その後、犬神家を訪れる。 事件解決。 S27? 1952? 年代の記述がない。 信州の事件(犬神家の事件)のあとらしい。 仮にS27としておく。 (事件解決から幽霊座の事件まで日が無いのだが…) S27? 1952? 洞窟探検。 事件発生 S27? 1952? 事件の調査の依頼を受ける。 矢部家の人々から聞き取り。 葬儀は一昨日。 S27? 1952? はや五日たった。 S27? 1952? 署長と面談。 その後、玉造別館へマリを訪ね面談。 六日目。 S27? 1952? 事件発生。 七日目。 S27? 1952? 経過日数がわからないが翌日か、翌々日であろう。 S27? 1952? 玉造別館で鮎川マリに会う。 警察を訪れ、鑑定依頼。 鮎川マリへ手紙を書く S27? 1952? 鮎川マリの手紙を受け取る。 ニコラ神父を訪ねる。 玉造別館で鮎川マリに会う。 警察を訪れ、鑑定依頼。 鮎川マリへ手紙を書く S27? 1952? 事件解決 S27? 1952? xx 幽霊座 日本橋某百貨店で浮世絵展を見る。 紫紅に会う。 浜松河岸の料理屋の二課にて紫紅と会食。 観劇の四、五日前。 幕間に紫紅の楽屋を訪れ、その後、客席に戻る。 事件発生。 稲妻座で夜を過ごす。 事件解決。 S27? 1952? 井の頭公園の松本訓導受難碑から少し下流の玉川上水の橋で首が見つかり、現場へ同行。 そこから、吉祥寺と三鷹の間にある緒方欣五郎宅を訪ねる。 昭和二十X年。 S27以前ということになる。 ここではS27と推定。 S27? 1952? 立会い。 等々力警部に事件について語る。 S28? 1953? おそらく宿泊。 S28以前なので、とりあえず、S28と推定。 S28? 1953? 事件発生。 終日捜査。 S28? 1953? 河野篠と会う。 隅田川沿今戸河岸の洋館を訪れる。 S28? 1953? 三角ビル三階のヤマト宣伝会社を訪れる。 S28? 1953? 火事騒ぎに遭遇。 耕助は「近頃、毎晩のように麗人劇場へやってくる」のでこれに先立つ数日は麗人劇場に来ていることになる。 S28? 1953? 事件に遭遇。 「三日たち、五日と過ぎていった」ので、火事騒ぎより五日以上後。 S28? 1953? xx 幽霊男 警察?にて建部健三に面会。 麗人劇場の事件で逮捕された建部取調べ中の「ある日」 S28? 1953? xx 幽霊男 警視庁捜査一課第五取調室。 等々力警部と面談。 「矢の倉」の洋館へ。 事件解決。 芝の旧法眼邸を検分。 高輪署に加納刑事を訪ねる。 赤坂ナイトクラブ、K・K・Kで多門修に会う。 このとき、取り次いだのはお清さん。 日比谷に向かう路上で法眼由香里を目撃。 本條直吉来訪。 国電品川駅を降り、タクシーで高輪台町を経由して魚藍坂下で下車。 裏坂をとおり旧法眼邸。 中に入り探索中に成城の先生と会う。 西銀座の ひさごという上方料理の二階の個室で成城の先生夫婦と会食。 銀座、和光の前で多門修と会う。 資生堂近くの パリスに入り、打ち合わせ。 新橋に近い四階建ての焼けビルの地下のキャバレー・サンチャゴで、ジャズ演奏を聴く。 高輪署に顔を出す。 旧法眼邸へ同行。 渋谷署へ移動。 五反田の山内敏男のガレージを検分。 高輪署で聴取に立会い。 等々力警部とTVを見る。 等々力警部の電話を受ける。 ハイヤーで移動。 成城駅北口で刑事を拾い、世田谷区成城町井川謙造邸へ。 捜査に立会い。 第二現場(成城学園西側の道を北へいきついて、左へ曲がった路上)を検分。 駅前の蕎麦屋で蕎麦。 井川邸へ戻る。 事情聴取に立会い。 井川氏の葬儀。 捜査立会い。 夕刻、築地二丁目の北側法律事務所に鈴木弁護士を訪ねる。 井川マリ子を訪ねる。 成城署で捜査会議。 おそらく、そのまま成城署で翌日まで。 事件について語る。 S29? 1954? おそらく、ここへ来る前、浅草花鳥劇場、I交差点付近の朝日中学校へ寄っている。 (K署へ寄り、)甲州街道を西へ自動車で走る。 下高井戸の「火の見櫓とお宮の間を左にきれて三丁ほどいったところにあるアトリエの廃墟を訪れる。 自動車で甲州街道を東へ、下谷車坂曙荘(アパート)のリリー木下宅を訪れる。 「椿家の事件」が触れられているのでそれより後。 「男の方は昭和十七年に三十二、三とすると、現在四十四、五」とあるので、現在は昭和二十九年と推定できる。 しかし、日程的に『壺中美人』と重なってしまう。 とりあえず、矛盾したままだが、ここにおいておく。 松月荘にいることを考えると、この推定の根拠の記述が誤りか?(『壺中美人』ではすでに緑ヶ丘荘へ移っている)。 S29? 1954? 大森の割烹旅館松月の離れに帰る。 S29? 1954? 付近の山中を捜索。 S29? S29? 1954? 警視庁第五取調室で等々力警部、磯川警部に会う。 事件解決。 午前九時半過ぎ、前田浜子が耕助に電話するも留守。 おそらく、この後、耕助帰宅。 坂口キク女の訪問を受ける。 午後三時半、景品国道を等々力警部と自動車で西行。 鎌倉署着。 K・K病院へ移動。 極楽寺の岩永久蔵の別荘を訪問。 夜、赤坂表町ナイトクラブX・Y・Zを訪れる。 世田谷区緑ヶ丘町とある。 十時すぎに起床し、赤坂のX・Y・Zへ。 捜査に立会い。 赤坂署取調室で事情聴取立会い。 このあと耕助は姿を消し、緑が犯そうにもしばらく帰らない。 「小石川の関口台町にある等々力警部の自宅」とある。 小田急沿線の喜多見駅前で等々力警部らと落ち合う。 一旦別れ、浄徳寺の山門の中で再び警部と合流。 同寺墓地にて事件解決。 S29 1954 夏の終わり xx 蜃気楼島の情熱 瀬戸内海沖の小島対岸の宿。 久保銀蔵と滞在中。 志賀泰蔵来訪。 夜十二時前に迎えがあり、船着場へ。 ランチで沖の小島へ渡り、志賀泰三邸へ行く。 そこで宿泊。 『病院坂の首縊りの家』で昭和二十九年と書かれている。 S29 1954 夏の終わり xx 蜃気楼島の情熱 志賀泰三邸。 ボートで対岸に渡り村松家を訪れる。 ランチで沖の小島へ戻る。 磯川警部に会う。 本土と島を繋ぐ桟道から島を眺める。 島へ戻る。 S29? 1954? xx 蜃気楼島の情熱 横浜。 志賀泰三の渡米を見送る。 「志賀泰蔵はそののちまもなく蜃気楼をひきはらって」渡米した。 S30? 1955? xx 毒の矢 世田谷区緑が丘町二〇五の三芳欣造宅を訪れる。 同じ翠ヶ丘町三〇八の的場奈津子宅の様子を伺ってから、緑ヶ丘警察署にて 橘貞之助署長と面談。 年代の記述なし。 『黒い翼』との関連で、S31をとりたい気もするが、S30としておく。 S30? 1955? 的場邸へ移動。 捜査に立会い。 事件解決。 S30? 1955? xx 毒の矢 三芳欣造宅を訪れる。 磯川警部を訪ねる。 紹介された市内の宿に宿泊。 xx 悪魔の手毬歌 岡山県鬼首村亀の湯(青池リカ宅)。 湯治のため以後宿泊。 xx 悪魔の手毬歌 亀の湯。 仁礼嘉平について聞く。 共同浴場で多々羅放庵に会う。 放庵とはその後も数回浴場で会っている。 xx 悪魔の手毬歌 亀の湯。 内風呂で仁礼嘉平に会う。 ここへきて八日ごろの晩。 宿泊は亀の湯。 途中「おりん」に会う。 総社の井筒 旅籠)に宿泊。 その足で。 多々羅放庵宅を訪ねる。 亀の湯へ戻り、来訪していた磯川警部に放庵の不在を告げる。 夕刻、亀の湯で捜査会議。 亀の湯での事情聴取。 夜は盆踊り。 現場の滝つぼへ。 ハカリ屋ぶどう酒醸造工場を訪れる。 亀の湯へ戻り、事情聴取に立会い。 仮眠のあと、本田医院へ。 夜、由良家の通夜に参列。 ハカリ屋ぶどう酒醸造工場へ。 亀の湯へ戻り、事情聴取に立会い。 由良家の葬儀に参列。 放庵宅に立ち寄る。 仁礼家の通夜に参列。 惣社の井筒へ自転車で向かい、 おいとと面談。 バスで神戸へ向かう。 夕刻、耕助、神戸から帰り、駐在所で磯川警部に会う。 夜、「ゆかり御殿」を張り込み。 放火あり。 犯人追跡。 本田医院で仮眠。 事件解決。 夜、関係者に事件について語る。 S30? 1955? 秋? xx 華やかな野獣 横浜本牧の臨海荘へ。 高杉奈々子の依頼。 翌未明、事件。 おそらく、S30、S31のいずれかと思われる。 上杉誠也の還暦祝いの会場。 事件発生。 xx 三つ首塔 麻布の上杉邸。 宮本音禰の尋問に立ち会う。 還暦祝いより10日間音禰は臥せっていたとのことなので、この頃。 遺言状の公開に立ち会う。 宮本音禰の尋問に立ち会う。 xx 三つ首塔 麻布の上杉邸。 宮本音禰の尋問に立ち会う。 耕助、午後に警視庁第五取調室で等々力警部と面談。 銀座西二丁目の引船稲荷へ警部を案内。 築地署へ移動。 この頃には緑ヶ丘に事務所を構えていたことになる。 同夜、耕助、築地署へ。 等々力警部と銀座へ出て喫茶店でコーヒー。 緑ヶ丘荘へ帰る。 耕助、茅場町のXYジムへ白井銀哉を訪ねる。 白井とレストランで面談。 築地署へ。 事件解決。 夜、渋谷の料亭で夏目加代子と会う。 事件について語る。 事件解決。 数日滞在。 宿は三つ首塔から半里ばかり離れた「鷺の湯」。 播州平野のはずれにある。 山陽線、姫路から津山へ抜ける支線からも遠く離れ、どの駅からも自動車で1時間以上かかる山奥の部落にあるとのこと。 S31? 1956? xx 三つ首塔 熱海の高頭邸。 高頭俊作と音禰に事件について語る。 時期不明。 俊作と音禰が結婚したのちのこと。 熱海の高頭邸は新築したわけではないようなので、年内か。 S31? 1956? xx 黒い翼 緑ヶ丘の原緋紗子邸を訪れる。 年代、日付の記述なし。 『毒の矢』以降のこと。 藤田蓉子の子供が「昭和二十年の生まれとして、生きていれば数えで 今年は12歳」とあるので、 今年は昭和31年と考えられる。 ただ、この文章が一年前の事件を述べているので 今年は実際は去年のことかもしれない(この場合は昭和32年)。 この推定は、行動録の出版と矛盾するのだが…。 本日の日付は、「四月五日といえばまだ間があるから」と書かれているので三月頃か。 S31? 1956? 黒い翼のお葬いを見学。 引きつき行われた前田蓉子の一周忌の会合に参加。 事件解決。 「金田一耕助を除いてはみな緑ヶ丘の住人」とある。 耕助の事務所は緑ヶ丘町ではないのか?ここでいう緑が丘町は緑が丘町にある緑ヶ丘住宅街で、耕助の事務所は緑ヶ丘荘と無理矢理解釈もできるのだが。 xx 鏡が浦の殺人 東京近郊の海水浴場、鏡が浦の望海楼ホテルに滞在開始。 年代が書かれていない。 行事があることなどから8月と推定。 月の頭から滞在とのこと。 仮にS31とする。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 事件の発端の会話を聞く。 等々力警部合流。 土曜日。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 ネプチューン祭の審査員を引き受ける。 同日、ネプチューン祭。 審査員を務めるも、事件発生。 月の頭から滞在して20日になるとのこと。 日曜日。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 古垣教授、東京から来て、検視。 耕助、面談。 月曜日。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 事件発生。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 被害者の遺体発見。 同夜、事件解決。 xx 鏡が浦の殺人 鏡が浦の望海楼ホテル。 江川教授の追悼会。 三つの葬儀を出し、耕助、等々力警部も東京へ引き上げるとのこと。 等々力警部に同行して、現場の、隅田川岸にある聚楽荘を訪れる。 聚楽荘の対岸は江東区らしい。 昭和三十X年とあるが、活動録は昭和32年1月に発表。 これからS30とS31のいずれか。 ここでは、S31と推定。 等々力警部に同行して、隅田川河口のボート発見現場へ。 西銀座ヤマカビル三階、稲川商事事務所を訪れる。 ヤマカビルは四階建て。 この間の活動は、富山県高岡へ戸籍の調査。 (東京の)タカラ・ギャレージ地下室の床を調査。 事件解決について語る。 S32? 1957? 登場人物の一人の生まれが明治22年(1889)で年齢が数えで70才。 これから推定するとS33(1958)。 残念ながら、日程的に「悪魔の寵児」と重なってしまう。 便宜的に一年ずらしてS32としておく。 S32? 1957? 近所の青野家別荘を調査。 一旦ホテルへ戻ってから、常盤家山荘へ赴き、常盤松子に会う。 夕刻、軽井沢の警察にて取調べに立会い。 事件解決。 世田谷区成城の現場、浅井照三邸に赴く。 午後、成城署取調室で事情聴取に立ち会う。 夜、田園調布の八木夏彦邸を訪れる。 吉祥寺の辺見東作宅を訪れる。 緑ヶ丘荘の耕助の部屋は「応接室兼居間兼書斎」とある。 事件解決。 xx 支那扇の女 緑ヶ丘荘2F三号室耕助の自宅。 等々力警部と事件について語る。 S33? 1958? S33? 1958? 浅草パラダイス座へ移動。 捜査に立会い。 下谷車坂の若竹荘(アパート)の富士愛子の部屋を訪ね、現場を見る。 浅草パラダイス座へ戻り、事情聴取に立会い。 年代の記述が無い。 大正十四年(1925)六月生まれの滝本貞夫が五月二十日の時点で、三十四歳(角川文庫版)。 ただし、春陽文庫版では三十五歳となっている(混乱)。 年齢を三十四歳(数え)とすると、S33 1958。 満年齢とすれば、誕生日前なのでS35 1960 となる。 記録者が予知能力を持っていたか、あるいは、年齢記述の誤りか。 『堕ちたる天女』よりあととのこと。 S33? 1958? 冴子の事情聴取に立会い。 S33? 1958? 浅草署で会議に出席。 事件解明。 カクテル・パーティに出席。 事情聴取に立会い。 人形館中二階もっ見学。 午後、警視庁捜査一課第五取調室で取調べ立会い。 その後芝の風間欣吾邸。 等々力警部他に同行。 小田急線(成城の)踏切で、水上三太と落ち合い、成城の北のはずれにあるアトリエで現場検分。 成城署へ移動。 石川宏の事情聴取などに立会い。 R大解剖学教室で前田博士と面談。 大日坂付近で狙撃される。 大日坂付近で狙撃される。 事件解決。 風間欣吾による慰労会に出席。 事件発生。 同館に宿泊。 取調べに立ち会う。 おそらく宿泊。 降矢木五百子を訪ねる。 付近の宿に宿泊。 同夜、海神館消失。 もぬけの殻であった。 (所轄の)警察に山口警部補を訪ねる。 海神館消失の翌々日。 海神館の人を訪ねるも行方不明。 (おそらく同日内に)警視庁へ等々力警部を訪ねる。 帰宅しアパート(緑ヶ丘荘?)で立花勝哉の電話を受ける。 警視庁へ赴くまでに日が空いたかもしれない。 立花勝哉からの電話の翌日。 xx 迷宮の扉 双玉荘。 葬儀参列。 遺言状開示に立ち会う。 初七日。 緑ヶ丘荘2Fの自宅へ帰る。 夜分、双玉荘を訪ねる。 夜を過ごす。 捜査に立会い。 同ビル3Fの「上海興行株式会社」社長室へ移動。 上海ジムと会見。 車で神田の安全病院へ。 酒井圭介の病室を訪れる。 その後、同じ神田の高野病院へ行き、待合室、月奈児の病室へ。 同夜、双玉荘に詰める。 軽井沢離れ山てっぺん近くで田代信吉、小宮ユキに会う。 後に引き返し二人を発見、下山して、最寄の警察へ届け。 南条の別荘へ戻る。 日暮里の賀川波満子邸。 捜査に同行。 事件について語る。 警視庁捜査一課第五取調室に等々力警部を訪ねる。 世田谷区成城町の現場へ。 さらに同町のM病院。 次に同町の李泰順宅捜査に同行。 成城署で取り調べに立ち会う。 世田谷区弦巻町の現場へ。 世田谷署近くの世田谷病院で遺体検分。 銀座裏の画廊サロン・ド・ヴィーナスでの個展を見る。 「今度の事件で等々力警部に世話になっている」と先行する事件を示唆。 それにしても今日は忙しく動いている。 捜査会議、事情聴取に立ち会う。 成城署の山川警部補から電話を受ける。 成城署へ出向く。 世田谷区上馬町二丁目、駒留公園わき、井筒屋雑貨店の園池宅捜査に同行。 世田谷署に戻る。 事情聴取に立会い。 夜、(自宅にて)王分詳の訪問を受ける。 芝の白金会館六階八号室藤野磯吉宅捜査に同行。 等々力警部来訪。 耕助は、本日朝。 旅行に立ったとのこと。 耕助は、本日朝。 旅行に立ったとのこと。 xx 仮面舞踏会 軽井沢南原の南条氏別荘に滞在。 南原口で迎えの自動車に乗る。 旧軽井沢の飛鳥別荘へ着、そのまま、矢ガ崎の槇恭吾の山荘へ移動。 裏のアトリエで現場を検分。 自動車で移動、途中、白樺キャンプのドッグハウスを調べる。 中軽井沢の星野温泉の旅館の演芸場(音楽会会場)着。 喫茶室へ移動し聴取に立会い。 浅間隠の津村真二のバンガローに移動。 捜査立会い。 桜の沢の笛小路別荘を訪れ、そこから飛鳥別荘へ電話。 飛鳥別荘を訪れる。 聴取立会い。 日曜日。 ゴルフ参加。 事件勃発後、病院を回り万山荘(飛鳥別荘)へ。 聞き取りに立会い。 浅間隠の樋口操宅を訪問。 付近の捜査に立会い。 津村の別荘で捜査。 万山荘に戻る。 聴取立会い。 笛小路の別荘へ移動。 緒方順子とともに、日の出団地の彼女の部屋(一八二一号室=十八号館1F二十一号室)へ。 二十号館の現場を検分。 同館屋上も検分。 団地西のタンポポ洋裁店の捜査に立会い。 日の出団地は、小田急線沿線のK台地のはずれから当方に見ることができる。 順子を訪れる?。 タンポポで聴取に臨席。 団地の太郎池浚渫に立会い。 等々力警部の電話を受ける。 赤坂山王町のナイトクラブ「ポン・ヌフ」二階特別室で日疋恭介と会う。 日疋と別れ、渋谷、恋文横丁の近くのレストランで食事。 そこで毎朝新聞宇津木慎策に電話。 タクシーでS署へ。 取調室で聴取に立会い。 日本橋Sデパート8Fでフランス近代絵画の展覧会を鑑賞。 S署へ移動。 取調室で聴取立会い。 )夜九時宮本タマキの電話を受ける。 タマキ捜索に加わる。 タンポポで会議。 団地を少し外れた空き地の中の掘っ立て小屋の中で宇津木慎策と面談。 場所は書かれていないが、会社とすれば、金王町のクレーン製薬会社。 耕助については書かれていない。 xx 白と黒 S・Y先生と会い、事件について語る。 深夜、芝高輪台町の裏通りにあるホテル竜宮へ行く。 緑ヶ丘荘へ帰る。 夜、高輪署へ。 尋問立会い。 等々力警部に電話。 すぐに、代々木初台金子医院を訪ねる。 代々木署の会議室へ移動。 山田三吉の葬儀に出る。 現場検分。 事情聴取立会い。 警視庁へ移動。 五反田駅からあまり遠くないところの三階建てのアパート大東館へ。 同階の奈々子の個展を見る。 毎朝新聞へ宇津木慎策を訪ねる。 高輪署での捜査会議に出席。 緑ヶ丘荘へ帰る。 宇津木慎策、岡戸竜平から電話を受ける。 五反田二丁目の裏通りを歩き、五反田三丁目の田村福三宅を訪れる。 渋谷区金王町支那料理店「陳」の日本座敷で、尾崎くに子、宇津木慎策と打ち合わせ。 「陳」は「他聞をはばかる用談の場合、いつもここを使う」とのこと。 等々力警部と面談。 東品川の警視庁品川病院へ。 虎の門三星堂病院の岡戸珠美の病室を訪ねる。 中条奈々子へニセ電話をかける。 事件解決。 磯川警部来訪。 磯川警部は、磯川常次郎。 下津井港で聞き取り。 児島警察署下津井駐在所を訪ね、 浅井はる宅を検分。 島を散策。 刑部神社訪問。 錨屋へ。 以降宿泊。 刑部島駐在所へ寄り、刑部神社を訪ねる。 刑部神社訪問後、船着場で越智竜三を迎える。 途中水蓮洞見学。 錨屋に戻る。 越智邸を訪れる。 刑部神社へ。 神社で夜を過ごす。 広瀬警部補らが聴取。 隠亡谷へ移動。 越智邸で仮眠。 刑部神社で聴取に立会い。 錨屋へ立ち寄る。 越智邸。 越智竜平と会談。 刑部神社で広瀬警部補と会談。 翌未明まで。 紅蓮洞捜索。 (刑部島駐在所から)錨屋へ。 刑部大善と会談。 駐在所へ戻る。 洞窟捜査に参加。 駐在所へ戻る。 (越智邸泊)三日にわたって捜査とある。 本條直吉来訪。 銀座八丁目第二風間ビル四階、等々力秘密探偵事務所で等々力元警部と面談。 等々力元警部の名前は「等々力大志」。 玉川署へ移動。 ak赤坂のナイトクラブK・K・Kの支配人室。 アングリー・パイレーツの元メンバーらと会う。 緑ヶ丘荘に帰る。 帰りに、等々力秘密探偵事務所に等々力大志を訪ねる。 同夜、赤坂、兵頭房太郎のスタジオ・フサへ踏み込む。 等々力大志の息子は栄志。 作業中 S?? 昭和二十X年とある。 日程的に可能性があるのは、S24、S25、S27、 S28 、 S29)。 事件に遭遇。 事件から三日後。 自動車で深川越中島(付近)でランチ(船)に乗り換え、川下の朝凪橋現場を検分。 紅薔薇座で取り調べに立会い。 紅薔薇座で捜査に立会い。 (おそらく同日)駒形、甲野梧郎自宅隣の酒屋。 そこの土蔵で捜査立会い。 紅薔薇座へ戻る。 浅草のK病院の一室で事件について語る。 事件のあった4月23日から一月半後。 昭和二十X年。 S29以前のはず。 多摩聖跡へ抜ける山の中を散歩。 事件について等々力警部に話す。 防犯展覧会を見学。 年代は書かれていない。 S30以前のはず。 雄島隆介来訪。 耕助は松月に居候。 翌日に当たる。 翌日に当たる。 「せっせと通い続ける」。 警部に同行。 事件落着。 雄島隆介来訪。 宿泊年代の記録無し。 S29以前のはず。 事件解決。 事件について磯川警部に語る。 xx 廃園の鬼 信州那須市湖畔のホテル。 ここに二泊。 「東京のほうで立て続けに厄介な事件を二つほど片付け…」た後の静養が目的。 年代と日時の記述無し。 犬神家の事件より後。 S30年以前と思われる。 S29は『壺中美人』とぶつかる。 xx 廃園の鬼 信州那須市近くのT高原のホテル。 とりあえず五泊。 朝の散歩で廃墟を見学。 ホテルへ戻る。 事件を目撃。 再び廃墟へ。 調査後、ホテルへ戻る。 週末とある。 Sxx 19xx 09? xx 女の決闘 緑ヶ丘の富裕なアメリカ人バイヤー宅。 ロビンソン夫妻のパーティに出席。 年代の記録無し。 「夏から秋へと移り変わりつつある」ので九月ごろか。 耕助は「かつてこの緑ヶ丘で起こった事件を二度解決しており」とあるが、『毒の矢』と『黒い翼』の事件か。 クリスマス・パーティに出席。 島田警部補と面談。 緑ヶ丘病院に河崎泰子の病室を訪ねる。 ここでは当日とした。 北上九十郎宅を訪れる。 水車小屋へ移動。 次に駐在所へ。 自動車で岡山へ引き上げ、岡山郊外の磯川警部宅に泊まる。 年代は記録されていない。 『獄門島』『八つ墓村』に言及しているのでそれより後らしい。 村の位置は、「山陽線のKから一里あまり奥へ入った山間」。 「大阪まで来たついでに、岡山まで足をのばして、磯川警部を訪問したところ、こっちへ出張していると聞いて、あとを追っかけてきた」。 駐在所へ。 そこから、湖水の西にある山の中のKへ抜ける間道の新しい現場で検分。 駐在所に戻り、事情聴取に立ち会う。 自動車で(岡山まで)引き上げる。 現場の村の駐在所。 事情聴取に立ち会う。 事件解決。 Sxx 19xx 夏? (日) xx 貸しボート十三号 警視庁捜査一課第五取調室。 隅田川の川口、浜離宮公園の沖へ等々力警部とランチで移動。 その後、築地署へ。 「九月の大会に向けて…」、部員の服装はアロハ、アンダーシャツ。 また、学校へ行っている様子が無いので、八月の夏休みの時期ではないか。 Sxx 19xx (月) xx 貸しボート十三号 朝、築地署。 X大学ボート部のボートハウスへ移動。 ボートハウスは埼玉県戸田の戸田橋付近にある。 戸田のはずれのボート部の合宿所を訪れる。 再びボートハウスへ移動。 その後合宿所へ引き返す。 Sxx 19xx (土) xx 貸しボート十三号 麻布広尾の神門貫太郎邸。 事件解決。 自動車で吾妻橋を渡り向島へ入って みよし野荘(旅館)へ。 捜査立会い。 土曜日。 年代の記録は無い。 xx 霧の中の女 警視庁捜査一課第五取調室聴取立会い。 日付不明。 事件解決。 後日緑ヶ丘荘でY氏に事件について語る。 xx 洞の中の女 経堂赤堤を所轄する警察署。 取調べに立会い。 経堂赤堤の根岸昌二宅。 再び所轄所へ。 年代の記述なし。 「根岸喜美子は昭和二十五、六年ごろバーで働いて後、結婚、当座は生活にも困ったが」、「根岸はここ二、三年売り出して」から考えると、S27以降になる。 事件発生から5日とある。 後日Y氏に事件について語る。 三鷹駅へ移動。 検分に立会い。 増本克子を連れて現れる。 後日Y氏に事件について語る。 Sxx 19xx?? 夏 xx 傘の中の女 望海楼ホテルに一月ほど滞在。 耕助の部屋は「二階の北側にめんした洋風のふた間で、夏場としてはいちばん上等の部屋である」。 この望海楼が「鏡が浦」の望海楼と同じであれば、待遇が良いのも納得できるが… Sxx 19xx (土) xx 傘の中の女 望海楼ホテル。 海岸で等々力警部を迎える。 事件に遭遇。 夜、ホテルで捜査関係者と面談。 Sxx 19xx (日) xx 傘の中の女 望海楼ホテル。 砂浜で甲羅干し。 夕刻、(ホテルで)捜査関係者と面談。 食堂で食事、坂口警部補が再訪。 耕助の部屋へ移動し事件について討議。 後日緑ヶ丘荘でY氏に事件について語る。 斎田愛子が訪れる。 等々力警部来訪。 吉祥寺駅北口。 十一小路にある沢田潔人邸そばの雑木林。 灰田太三の廃アトリエへ。 それから、近くの林。 後日Y氏に事件について語る。 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 警視庁。 水上署のランチで江東方面で捕り物に同行。 駒形橋付近で事件に遭遇。 駒形堂病院で医者の話を聞く。 最後の結末が秋とすると、夏、八月ごろではないだろうか。 問題の女も長襦袢一枚とあるので、寒ければ、死んでいるだろうし… Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 緑ヶ丘町の緑ヶ丘荘。 等々力警部の電話を受ける。 今戸河岸の緒方静子宅を訪れる。 事件発見。 ランチの件の翌日。 耕助は「ちかごろ緑ヶ丘町へ転居して、緑ヶ丘荘というかなり高級のアパートに住んでいる」」 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 警視庁第五取調室。 等々力警部に「大山…」をつぶやく。 緒方宅の事件の翌日。 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 警視庁第五取調室。 等々力警部と面談。 緒方宅の事件から三日後ぐらい?。 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 警視庁第五取調室。 等々力警部と面談。 緒方宅の事件から二十日目。 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 勝鬨橋付近。 鉄の箱の引き上げに立ち会う。 緒方宅の事件から三十八日目。 Sxx 19xx?? xx 檻の中の女 奥多摩山中。 警官隊とともに犯人を追う。 日付不明。 「奥多摩の山々のこずえが、ようやく色づき始めたころ」とあるので、初秋か? 後日Y氏に事件について語る。 警視庁第五取調室へいく。 代々木上原、本多田鶴子邸跡で検分。 日曜日。 本多田鶴子邸跡へ。 xx 泥の中の女 警視庁捜査一課第五取調室で等々力警部と話す。 桜上水の下高井戸付近へ赴く。 それから七日。 xx 泥の中の女 朝、桜上水の下高井戸付近へ。 警視庁捜査一課第五取調室。 事件について相談。 三鷹署。 下高井戸の件から三日。 xx 泥の中の女 夜、西荻窪。 後日緑ヶ丘荘でY氏に事件について語る。 取調べに立ち会う。 西荻窪の古垣敏雄邸へ。 後日Y氏に事件について語る。 女性の電話を受ける。 阿佐ヶ谷の片桐梧郎邸を訪れる。 (等々力警部の)電話を受ける。 駒形にある昭和アパートの緒方由紀子の部屋へ赴く。 等々力警部へ電話をかける。 警視庁捜査一課第五取調室。 事件について語る。 後日Y氏に事件について語る。 先月末から滞在とある。 等々力警部を迎える。 聴取に臨席。

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金田一少年=金田一耕助の孫?

金田一 耕助

人物 [ ] 容姿 [ ] ののようなボサボサの蓬髪をしており、人懐っこい笑顔が特徴。 顔立ちは至って平凡、体躯は貧相で、は5尺4寸(163. 6センチメートルくらい)、は14貫(52キログラムくらい)を割るだろうという。 自身の体格にはを抱いており、それに関する記述は、『』にて風呂場で筋骨隆々とした多聞連太郎の裸体を見た時や『扉の影の女』で堂々たる風貌の金門剛に対面したときなど多々見受けられる。 頭は症で、服装は皺だらけののの着物とによれよれのを合わせ、形の崩れた帽子(お釜帽、、など)を被り、足元は爪が飛び出しかかっている汚れた白に履きが定番で、非常に清潔感が無い服装が特徴。 また寒い時期には羽織袴の上から上着(防寒着)に二重回し(とんび。 袖なしののこと。 )を着こむ。 これらの姿から『』では「雰囲気がに似ている」と言われたことがある。 捜査のため洋服で変装することもあったが、「貧弱なにしか見えない」と等々力警部に笑われたり(『支那扇の女』)、「似合わない格好」だと揶揄されたりすることが多く、作中でも「これが金田一がにこだわる理由だろう」と推測されている。 横溝は『』で金田一について、「この青年は飄々乎たるその風貌から、アントニー・ギリンガム君 に似ていはしまいかと思う」と述べている。 このような金田一のさえない恰好は、初対面の相手には年齢問わず、ほぼ例外なく侮られる傾向にある。 反面、非常に母性本能を刺激するもののようで、女性からの受けはとても良い。 ほとんどの事件において観た目は35、6歳と記述され、齢五十を超えているはずの『』でも見かけはほとんど変わっていない。 『』など一、二の作を除いてはれっきとした中年男(当時としてはなおのこと)であるが、生活感が薄く書生気質を残している。 所持品 [ ] 事件のため遠出する際にはボストンバッグやかばんを提げて赴く(なお、の主演映画作品からトランクのイメージが強いが、これは映画オリジナルである)。 直後の『』では雑嚢を持っており、金田一のデビュー作『本陣殺人事件』や『』などの初期の作品と、最後の事件となった『病院坂の首縊りの家』ではやのを持っている。 探偵としての小道具として、虫眼鏡のほか、折りたたみナイフ(または小型の十徳ナイフ)、薄い手袋、小型で強力な懐中電灯などを常備している。 犯人との対峙の際に、用心のため防弾チョッキを着込むこともあった(『病院坂の首縊りの家』など)。 言動 [ ] 事件の本質に迫ったときや意外な事実を知ったときなど、興奮するとスズメの巣のようなモジャモジャ頭を毛が抜けるほどにバリバリと掻きまわし、言葉がはじめる。 この頭を掻きむしる際にがとび、周囲のものをしばしば当惑させる。 横溝は「もじゃもじゃの頭をひっかきまわすのは、私自身の癖を誇張したのである」と語っている。 また、何か重大な発見をした場合、口笛を吹くように口をすぼめたり、実際に口笛を吹くクセももつ。 いつもは眠そうなショボショボとした目つきをしているが、事件の渦中にあって自身が強く興味を持ったことに対しては真剣な目つきに変わる。 金田一には人を和ませる天性の雰囲気と話術があり、警察がどんなに骨を折っても聞き出せない情報も、金田一にかかるとたやすく引き出されてしまう。 普段の発言は控えめでのらりくらりとしている。 概ね犯人や登場人物の行動がそこに至るまでの苦悩を思い、憐憫の情を示すような口ぶりや悩ましげな顔をし、激しく貧乏ゆすりをしたり、ハンケチを揉みくちゃにしたりする。 の動機や関係者の行動が著しく非社会的・で、狡猾かつ独善的な場合には、強く厳しい発言・批判を浴びせる。 犯人を取り逃がしたときなどは地団太を踏むなど、激しい姿を見せることもあった。 若い世代に対しては歳相応に分別のある話し方をすることが多い。 事件が解決すると、強い興味を引く目的がなくなり、また事件関係者たちのその後の運命を想って落ち込み、強い孤独感(一種の)に襲われるため(『扉の影の女』など)、ふらりと旅に出てしまうことが多く、等々力警部らは早く金田一を立ち直らせようとわざわざ事件を押しつけることもあった(『悪魔の百唇譜』など)。 探偵方法 [ ] 捜査の方法は、事件に絡む人脈・人間像の丹念な検証が主である。 アメリカから帰国して久保銀造の援助で探偵事務所を開設したあと、某重大事件を解決した殊勲者として紹介した新聞記事には「足跡の捜索や、指紋の検出は、警察の方にやって貰います。 自分はそれから得た結果を、論理的に分類総合していって、最後に推断を下すのです。 これが私の探偵方法であります。 」という発言が掲載されていた(『本陣殺人事件』)。 そのため、最後の瞬間まで捜査関係者に手の内を明かさないことから、さらなる犠牲者を生むことも多く、またあえて犯人に自決を促したり見逃したりするケースもあり、「事件は解決できるがホシは逃がしてしまう」ということもしばしばある。 等々力警部はこれを「金田一耕助流のヒューマニズム」と述べている(『悪魔の降誕祭』)。 また、金田一は警察には協力するが、情状によっては必ずしも真犯人を警察に引き渡すことを目的としていない。 これは、金田一にとってあくまでも事件の真相を知ることに最大の意味があるからである。 また世間的に真相が知られなくとも、真犯人が死ねば「報いは受けた」と考えている(『女王蜂』『首』など)。 その一方で、逆に自決を思いとどまらせることもあった(『黒蘭姫』『迷路荘の惨劇』など)。 いつもは着物に袴の金田一も、「ギャバのズボンに濃い紺地の開襟シャツといういでたち」(『』)、「鼠色のズボンに派手なチェックの、型のに縁の眼鏡」(『』)など、洋服を着ることがあり、これがそのまま変装になっている。 また探偵小説の主人公らしく、犯人あぶり出しのために別人に変装することもあった。 特に着物に袴のまま大道易者に化けていたときには、「けっこう当たる」と評判をとっている(『』『黄金の指紋』)。 「運動音痴」と謙遜することもある金田一だが(『仮面舞踏会』など)、背後からの敵襲にすばやく反応する勘を持ち、投石をかわして危うく命拾いしたこともあった(『女王蜂』)。 少年向けジュブナイル版での金田一はさらに活動的で、捜査のために浮浪者などに変装したり、走行するトラックの裏に取りついて敵地潜入を行ったり、袋詰めにされ海中に投棄された際には、ナイフで袋を破り脱出するなど、高い運動能力を見せている(『黄金の指紋』)。 趣味・嗜好 [ ] 趣味は映画や絵画鑑賞(『』など)で、義理半分だが絵を購入することもあった(『悪魔の百唇譜』など)。 映画女優に関しては、学生時代に紅葉照子のファンであったほか(『霧の山荘』)、鳳千代子の熱心なファンで出演作は金田一が応召した後に封切られた映画まですべて観ているほどである(『仮面舞踏会』)。 学生時代には歌舞伎役者・佐野川鶴之助と誼を通じ彼の後援会「丹頂会」にも加入していた。 鶴之助との交流が途絶えた後も「ひととおりは見なきゃ気がすまない」ほどの歌舞伎ファンで(『』)、気分が高揚したときには歌舞伎のせりふを口ずさむこともある(『』『傘の中の女』)。 スポーツの方は苦手で、『仮面舞踏会』ではに誘われた際に「、すなわちウンチ」と発言している。 ただし、ボートを漕ぐことと、東北出身であることからは得意(『犬神家の一族』)。 で、いつも灰皿が吸殻の山になっている。 銘柄は「」と「」を愛煙する。 また、戦前は「(CHERRY)」を愛煙していた(『本陣殺人事件』)。 二十歳ごろのアメリカ滞在時に、ふとした好奇心から麻薬に手を出して深みにはまり、厄介者扱いされていたことがある。 久保銀造の意見を容れてこの悪習は断ったが、この際「麻薬も結局大したことはありませんからな」とうそぶいている(『本陣殺人事件』)。 この麻薬中毒者という設定は、横溝がに倣ったもの。 同じく金田一が若いころにアメリカを放浪しているのは、の『めりけん・じゃっぷ』物に倣ったもの。 酒はあまりすすんでは飲まないが、下戸ではない。 磯川警部と食事をしながらビール瓶を2、3本空けたり(『』『』)、大きな徳利を数本空けたりする。 事件解決後、気の抜けたビールを「このほうが刺激が少ないから」とちびりちびり呷りながら事件説明を行ったり(『黒猫亭事件』)、事件解決後に犯罪者たちのあくどさを垣間見て悄然となり、酔って気分を紛らわすため自宅で一人ウィスキーを呷ったりすることもあった。 また、いきつけのクラブにクラブ「スリーX」(『』)と「クラブK・K・K」があり(『病院坂の首縊りの家』など)、前者は等々力警部とよく行くクラブ、後者は風間俊六の愛人が経営しているクラブである。 後者の「クラブK・K・K」を訪れる目的は、クラブの用心棒であり金田一の手駒である多門修に偵察を依頼したり、情報を収集したりするのがほとんどのようである。 食事は、特に「松月」から「緑ヶ丘荘」へ移って以降は、一人暮らしから簡便に済ますことが多い。 朝食は・(しばしば茹で過ぎる)・牛乳が中心で、他にもや果物、の缶詰などを付け合わせることもあるが貧相なもので、朝の身支度と同時進行で数分で片づけてしまう(『支那扇の女』『壺中美人』『悪魔の百唇譜』など)。 横溝は「これが流儀」と述べている。 昼・夕食は銀座の行きつけの料理屋で済ますことが多く、和食や中華料理を好んで食べている。 少食で、「蕎麦一杯で満足」ということもあったが、考え事があると酒と併せ大食することもあった。 概ね、食事シーンは大食漢の等々力警部や磯川警部と対照的に描かれる。 命名・モデル [ ] 作者・横溝正史のエッセイ『金田一耕助誕生記』によれば、金田一耕助はの探偵小説『』に登場する素人探偵アントニー・ギリンガムの日本人化である。 これは金田一初登場作品『本陣殺人事件』でも説明されている。 金田一の風体は、劇作家のがモデル。 『金田一耕助の帰還』でも「一見小柄で貧相だが、うちに大いなる才能を秘めた人物」としてモデルにした旨が記されている。 これは、横溝がラジオからの菊田のファンであったためである。 横溝は一度だけ若き日の菊田に会っていたが、この時、菊田は洋服姿で、頭ももじゃもじゃではなかった。 ちょうどその頃、新聞でが『花咲く樹』を連載しており、の挿絵によるレビュー劇場の座付き作家の姿が「着物に袴」で描かれており、横溝はこのイラストが菊田のイメージとダブっていったと述べている。 また、『本陣殺人事件』を連載することになった『』誌の創刊者にして編集長の作家・が和服の着流しに角帯姿であったため、彼をからかうつもりで、貧相な名探偵を和服姿にした。 それだけでは探偵になりにくいため、横溝自身が博文館の編集者時代に和服に袴だった経験を踏まえて、袴をはかせることにした。 こうして、菊田一夫・城昌幸・作者自身のイメージの複合体として、金田一耕助の姿が出来あがった。 作者の回想によれば、三者の中で、最も飄々としていたのが城昌幸であったということである。 の創出した探偵・も初期は髪がボサボサで飄々とした風体であったのだが、段々とダンディに変貌していったため「明智が変わってしまったから金田一をやる気になった」との作者の弁がある。 また、金田一がもじゃもじゃ頭を掻き回すのは横溝自身の癖を誇張したものだが、菊田一夫も頭髪を引っ掻き回す癖があったという。 横溝は「これは偶然の一致だろう」と述べている。 だがこれは菊田に失礼であろうし、いくらなんでも実在すまいということで取り止めた。 ところが、横溝は無断借用した形の金田一耕助という名称についても、「紛らわしい名前を使って金田一京助先生がご迷惑しているのではないか」と心苦しい思いをしていた。 また、金田一京助とはので同席したものの謝りそこねたうえ、1971年に京助が死去したため、横溝にとって二重のシコリとなっていたという。 その後、人づてに京助の子・から「金田一耕助さんのおかげで世間の皆さんからキンダイチと正確に発音してもらえるようになった、難しい苗字なのでいろいろ読み違えられて困っていた、こちらこそ感謝していると伝えて欲しい」との言葉を貰い、「ほっと安堵の胸をなでおろした」と述懐している。 金田一耕助最後の事件となる『病院坂の首縊りの家』には、60歳になる金田一が登場するが、老人と言ってもいい年齢にもかかわらず、30代のように若々しく、白髪もないと描写されている。 その風貌に関して、横溝は、三年前に会った城昌幸の印象をそのまま借用に及んだというが、唯一、違っていたのは、当時、城は見事な白髪であったということである。 家族・知人 [ ] 両親とは探偵稼業を始める前に死別しているらしいことが、『仮面舞踏会』中の金田一の台詞から窺える。 生涯独身であったとされ、『犬神家の一族』で野々宮珠世の美しさに目を引かれる場面では「およそ女色に心を動かしたことのない金田一耕助」とも表現されている。 しかし、決して朴念仁というわけではなく、『』の鬼頭早苗と『女怪』の持田虹子に対して想いを寄せているが、いずれも実ることはなかった。 久保銀造、同窓の友人・風間俊六、神門貫太郎という3人のパトロンがおり、彼らの援助に支えられている。 風間俊六の愛人である「松月」の女将・おせつは、年下ながら姉のように金田一の世話を焼いてくれている。 また、後半居を構えた緑ヶ丘荘の管理人である山崎夫婦も、しばしば金欠になる金田一のために便宜を図っている(『扉の影の女』など)。 警察から高い信頼を受けており、ことに「警視庁の古狸」と異名をとる等々力警部は公私共に付き合いのある大親友である。 同じく「岡山県警の古狸」と異名をとる磯川警部とも、事件があれば助力を受け合う旧知の仲である。 ほか、等々力警部の部下である新井刑事や、アパートの所轄・緑ヶ丘署の島田警部補、筆者の住居の所轄・成城署の山川警部補なども金田一の手腕に一目置いており、複数の作品にたびたび登場している。 元・愚連隊上がりの多門修 という冒険好きの若者を冤罪から救ったことがあり(『支那扇の女』など)、この多門は金田一を慕って、たびたび捜査の助手を務めている(『雌蛭』には多門六平太という多門修とほぼ同じ経歴の人物が登場しており、同一人物と思われる)。 同郷の後輩で「新日報社」社会部の宇津木慎介記者も、金田一の協力者のひとりである(『女王蜂』など)。 (「Y先生」などと呼ばれている)とは「耕ちゃん」「先生」と呼び合う仲である。 Y先生によると、「私はかれよりさきに生まれているので、そういう意味でかれは私を先生と呼ぶのであって、微塵も私を尊敬していない」のだそうである。 またY先生は金田一を「いらまかし男」と呼んでいて、来ると必ず何かしらの不安の影を落としていくので、「私はこの男が大嫌いなのだ」と語っている。 住所・事務所 [ ] 昭和21年にして『』『』『』などの事件を解決後、裏(裏)の焼け跡に残った「三角ビル」という三角形の怪しげなビルの最上階に、探偵事務所兼住居を持っていた(『』)が、3か月ばかりで閉めてしまう(『』)。 ただし、昭和23年には住居を別にして三角ビルの事務所を使用していた時期があり、『』の関係者が来訪している。 住居としての三角ビルを引き払った後、中学の同級生で建設会社社長の風間俊六が愛人(作中では「2号さんだか3号さんだかわからないが」(作品によっては4号ないし5号まで進む)と記述される)の節子に女将をさせている大森の山の手にある割烹旅館「松月(しょうげつ)」の、四畳半の離れに居候して、ここを事務所兼自宅にしている。 生活力は薄く、煙草銭にも欠く有様で、よくこの「松月」の女将から小遣いをもらっている。 「松月」での寄食は昭和31年ごろまで続けている。 『毒の矢』『黒い翼』などの事件に関わったことをきっかけに緑が丘の緑ヶ丘荘の二階フラットに転居し(改稿前の『悪魔の降誕祭』など)、ここが定住の場所となった(引越しの時期を昭和32年とする説が有力で、ではこの説を採用)。 緑ヶ丘荘は後に改築して「緑ヶ丘マンション」となるが、改築を担当した風間建設の社長・風間俊六から二階正面のフラットを無償で贈られている(『病院坂の首縊りの家』)。 仕事の成功報酬はほとんどの場合、満足に得られていない(『扉の影の女』など)。 金田一は興味を持てない事件には、いくら多額の報酬を提示されても見向きもしないが、反面興味をそそられた事件は報酬も構わず、手弁当でこれに没頭してしまう。 それでも蓄財はしていたようで、『』の事件解決後、近しい人たちに莫大な金額を寄贈している。 記録者 [ ] 金田一耕助の関わった事件を記録、小説化しているのは、横溝正史自身をモデルとした「Y先生」「S・Y」「成城の先生」などと呼ばれる探偵小説家である。 作中にこの作家の実名は一度も登場していない。 記録に至る経緯については、第一作の『本陣殺人事件』では、事件の話を聞いて作者が情報を集めて作品化したことが述べられている。 『黒猫亭事件』では、その連載を読んだ金田一が作者の元を訪れ、作者による小説化を認めるくだりがある。 『獄門島』の事件のことは、この時に彼から直接聞かされたことになっている。 『黒猫亭事件』そのものは、後に金田一が作者に資料を郵送したのが元である。 したがって、それ以降は金田一が作者に話すか資料提供したことで作品化されたものとされている。 Y自身も作品中にしばしば登場し、事件現場に絡むことすらあった(『女怪』『病院坂の首縊りの家』『白と黒』など)。 また金田一耕助は事件の渦中にいた人物に事件の小説化を勧めることがある。 『』は金田一の勧めで記録を書き始めたという形式であり、『』『』では未完の記録を完成させるよう金田一が促している。 他に『』『』『』などが作中人物の一人称で語られており、『』は主要部分が作中人物から別の作中人物への手紙で構成されている。 経歴 [ ] 大正2年()• に生まれる。 金田一の誕生年について、横溝(明治35年(1902年)生まれ)は、「かれは私より11歳年少である」と述べている。 金田一耕助の誕生日は不明だが、横溝は読者との座談会で、「金田一は早生まれである」と語っている。 昭和6年()• 4月、地元の中学を19歳で卒業後、同窓生の風間俊六と共に青雲の志を抱いて上京し、某私立大学(予科の薬学系という説がある )に籍を置いて、あたりの下宿をごろごろしていた(『本陣殺人事件』『黒猫亭事件』)。 中学時代の先輩の大学生の紹介で歌舞伎役者・佐野川鶴之助の後援会である丹頂会に入会(『幽霊座』)。 また、この時期に映画女優・紅葉照子のファンになる(『霧の山荘』)。 大学入学後、一年もたたぬうちに日本の大学がつまらぬような気がしてふらりと渡米(『本陣殺人事件』)。 昭和7年()• 渡米先で映画俳優・ジャック安永と知り合う(『女の決闘』)。 皿洗いなどを経験しながら一時はの悪癖に溺れるが、の日本人間での殺人事件を解決する。 この時在留日本人会の席上で出会ったの果樹園主、久保銀造に学資を援助してもらいカレッジに通う(『本陣殺人事件』)。 またのちの探偵業を念頭に、多少なりとも医学的経験を積んでおきたいと、夜間は病院に勤務して看護夫の見習いを務めている(『獄門島』)。 昭和10年()• カレッジを卒業して帰国。 久保銀造に無心して5千円(当時の相場参考:国鉄初乗り5銭、銭湯7銭)の援助を受けて東京に探偵事務所を開設。 また、この時期に同窓生だった風間俊六と再会している(『黒猫亭事件』)。 昭和11年()• 8月25日、稲妻座の歌舞伎役者失踪事件(『幽霊座』)。 昭和12年()• 11月27日 - 29日、『』を解決。 この事件で岡山県警の磯川常次郎警部と知り合う。 昭和15年()• してへ(『獄門島』)。 昭和17年()• 転戦を重ね、のまで南下。 部隊が全滅に等しい打撃を受けて敗走。 他の部隊との再編成によって、川地謙三、鬼頭千万太と知り合う(『百日紅の下にて』『獄門島』)。 ここで金田一は戦友たちの爆死体や病死体を常に注意深く見守り、死後硬直の状態について勘を鋭くし、復員後の探偵業に生かしている(『獄門島』)。 昭和18年()• ウェワクの前線に部隊が取り残され、本年以降戦闘は全く無く、金田一の部隊は熱病と栄養失調の中、孤立状態に陥る(『獄門島』)。 昭和20年()• 8月15日、ウェワクで終戦を迎える(『獄門島』)。 昭和21年()• 戦友の依頼により『(9月初旬)』『(9月下旬 - 10月上旬)』『』などの事件を解決。 『獄門島』事件にて鬼頭早苗と知り合い、「獄門島を出て一緒に東京へ行こう」と申し込むが断られる。 10月上旬に岡山の探偵作家・Yを訪ね、伝記作家として親交を持つ(『黒猫亭事件』)。 また、東京へ帰る汽車の中で風間俊六と再会(『黒猫亭事件』)。 この頃に京橋裏(銀座裏)の三角ビル5階に「金田一耕助探偵事務所」を開設する(『黒蘭姫』)。 11月中旬『』『』 昭和22年()• 三カ月ばかりで事務所を閉めてしまい、風間の二号(愛人)節子の営む大森の割烹旅館「松月」の離れに転がり込む(『女怪』)。 3月下旬『(原題「暗闇の中にひそむ猫」)』を解決。 この事件での等々力大志警部と知り合う(他の作品での設定との矛盾あり、の項を参照)。 3月26日、28日 - 30日『(原題「黒猫」)』• 4月中旬 - 26日『』• 9月28日 - 10月11日『』 昭和23年()• 『(5月5日 - 9日)』『(5月中旬 - 9月初旬)』事件を解決後、岡山県警に立ち寄った際に『』の冒頭の告白書を読む。 10月中旬、銀座裏の三角ビルにある金田一探偵事務所に『死仮面』の関係者が来訪する。 10月下旬 - 11月3日『死仮面』解決。 『八つ墓村』事件で多額の報酬をふところにした金田一耕助は、探偵作家・Yと伊豆へ旅行する(『女怪』)。 9月初旬、10月初旬・中旬、12月、翌年1月『』解決。 『女怪』事件の関係者・持田虹子に懸想するも、虹子は自殺。 昭和24年()• 『女怪』事件で受けた失恋の痛手で、一カ月ほど北海道を放浪する。 秋『』• 10月18日 - 12月15日『』• 11月5日 - 8日『』 昭和25年()• 10月18日 - 20日、11月25日『』 昭和26年()• 3月下旬『仮面城』• 4月上旬『大迷宮』• 5月上旬、17日 - 31日、6月6日 - 中旬『』• 7月上旬・中旬『金色の魔術師』• 7月下旬『燈台島の怪』• 9月1日 - 7日、13日、10月中旬『黄金の指紋(原題「皇帝の燭台」)』 昭和27年()• 7月下旬 - 8月2日『』• 10月17日 - 18日『』• 11月6日、20日、28日、翌年1月10日『(原題「妖獣」)』 昭和28年()• 1月『黄金の花びら』• 6月9日、中旬『』• 7月15日 - 27日、9月上旬『』• 8月21日、29日、9月4日、7日、20日、21日『』(前半部。 「生首風鈴事件」の発生と迷宮入りまで。 )「」と事件現場を共にする。 9月3日、15日『生ける死仮面』 昭和29年()• 3月24日、25日、4月25日、5月3日 - 下旬『』• 5月12日、24日、28日『堕ちたる天女』• 5月末『』• 6月中旬 - 10月中旬『迷路の花嫁』• 8月下旬『』• 10月23日、24日『』 昭和30年()• 7月25日 - 8月24日、9月21日『』• 10月3日、16日、30日、11月3日、8日、翌年2月中旬『』• 10月25日、26日、12月15日、翌年1月中旬・下旬『』 昭和31年()• 3月5日 - 中旬『』• 3月8日、15日『』• 3月中旬、4月5日『』• 3月下旬、4月中旬・下旬『』• 夏に『』• 7月29日、30日『』• 8月初旬 - 下旬『』• 8月末『』『』• 秋に『』• 11月7日、12月10日『』• 11月24日 - 30日、12月5日『』• 秋から12月20日 - 26日、翌年1月末『(原題「憑かれた女」)』 昭和32年()• 1月中旬、「松月」の離れから世田谷区緑ヶ丘町の高級アパート・緑ヶ丘荘の二階三号室に転居する。 3月2日、4日 - 上旬『(原題「泥の中の顔」)』• 3月20日、25日『』• 4月5日、12日、5月5日『』• 5月上旬、16日、18日『』• 5月7日 - 15日、31日、6月15日 - 17日『』• 6月上旬『』• 7月末 - 8月6日『』• 8月20日 - 25日、9月18日、20日、10月上旬『』• 秋に『』• 12月20日、25日、翌年1月下旬『』 昭和33年()• 3月18日、25日『』• 5月19日 - 21日、28日『』• 5月25日『』• 5月28日『』• 6月29日、7月25日、26日、8月15日、16日、9月4日、5日、10日、18日、10月下旬『』• 8月16日、17日『』• 9月中旬『』• 10月5日 - 12日、18日、23日、25日 - 28日『』 昭和34年()• 3月上旬 - 4月上旬は関西方面へ。 4月5日、26日 - 28日『』• 7月25日、26日、8月5日『』• 12月22日 - 24日、28日『(原題「扉のかげの女」)』 昭和35年()• 6月5日、8日『』• 6月22日 - 25日、7月22日、8月12日『』• 8月5日、7日、9日、15日『』• 8月14日 - 16日『』• 9月27日、10月1日、11月3日『』• 10月11日、30日 - 11月1日、4日、6日『』• 11月25日、26日、12月3日、5日、6日、24日 - 27日、翌年1月23日、24日『(原題「青蜥蜴」)』 昭和36年()• 2月19日、23日『』 昭和42年()• 6月23日 - 7月14日『』 昭和48年()• 最後の事件『』4月1日、8日 - 15日、23日、30日解決(後半部。 ジャズ・コンボ「アングリー・パイレーツ(怒れる海賊たち)」および、本條写真館にまつわる連続殺人事件と昭和28年に起こった「生首風鈴事件」の真相を明らかにする。 その後へ。 関係者が八方手を尽くして捜したが消息不明であった。 しかし、横溝本人の語るところによれば昭和50年()に帰国しており、余生は日本で送ったようだ。 語られざる事件 [ ]• サンフランシスコの日本人間で起きた、危うく迷宮入りをしそうになった奇怪な殺人事件(『本陣殺人事件』第8章より)。 が『《ホテル・ミカド》の殺人』として、またが『桑港の幻』として小説化している。 またのテレビドラマでも『だれも知らない金田一耕助』として描かれている。 全国を騒がせていた某重大事件(『本陣殺人事件』第8章より)。 佐野川鶴之助がアメリカから帰った金田一に電話をかけてくるきっかけになった、新聞に名前が出た件。 具体的な特定の事件でない可能性がある(『幽霊座』第3章より)。 佐野川鶴之助が謎解きを挑戦してくるきっかけになった、成功した2、3の事件(『幽霊座』第3章より)。 昭和12年、大阪で起きたむつかしい事件(『本陣殺人事件』第8章より)。 芦辺拓が『明智小五郎対金田一耕助』として小説化している。 昭和12、3年ころ、等々力警部と知り合うきっかけとなった、警部が持てあましていた事件(『悪魔が来りて笛を吹く』第7章より)。 この事件で等々力警部と知り合ったとされるが、『』では昭和22年にはじめて出会ったことになっている(ただし、同作は双子のタップダンサー夏彦・冬彦の事件簿『双生児は踊る』の改稿作のため、後付けによる誤謬の可能性が高い)。 なお、昭和21年の『』では金田一が犯人の自殺を制止した直後に等々力警部が身柄を確保しているので、両者が互いを認識できる距離にいたことは確実である。 しかし、それ以上には明確な描写が無いため、両者の面識の有無は判断できない。 八つ墓村から帰京後山積していた用事(「事件」かどうか不明)(『死仮面』より)。 東京で起きたむつかしい事件。 およびその事件を解決後、訪れた岡山で待ち構えていた厄介千万な殺人事件(『人面瘡』第1章より)。 東京の事件を『悪魔が来りて笛を吹く』、その解決後の岡山の事件を『』と『』の事件であるとする説もある。 いままでに2、3度扱った夢遊病者に関する事件。 夢遊病者をてらった事件もあった(『人面瘡』第1章より)。 『死仮面』の事件が意識されているかどうかは不明。 「夢遊病者をてらった事件」は『夜歩く』の事件を指している可能性がある。 『不死蝶』『支那扇の女』は『人面瘡』より後の事件なので該当しない。 『犬神家の一族』事件の直前にひっかかっていて大急ぎで片づけた事件。 劇評家・佐藤亀雄にあうことになった、芝居のことでの調査(「事件」ではないかもしれない)(『幽霊座』第4章より)。 佐藤亀雄のモデルは。 横溝正史が『幽霊座』執筆の際、鯉つかみの仕掛けについて安藤より教示を得たことに対する謝辞として、作中に登場させたものであろう。 畔柳博士に二三度法医学上の意見を求めた事件(『蝋美人』第1章より)。 三芳欣造の友人にあたる芸術家を救った事件(『毒の矢』第1章より)。 古館博士と接触をもって解決に協力した、あるむつかしい事件(『死神の矢』第1章より)。 リップリーディングの技術を身につけた増本克子の協力を仰いだ、いつかの事件(『鏡の中の女』第1章より)。 神門一族の冤罪事件(『貸しボート十三号』第12章。 『女の墓を洗え』として執筆予定だったとの説もある。 多門修が犯人に仕立て上げられるところを助けた事件(『支那扇の女』第15章より)。 多門六平太があやうく犯人に仕立てられるところを金田一に救われた殺人事件(『雌蛭』より)。 多門修と多門六平太を同一人物とする説があり、その場合には上の2つは同一事件となる。 武蔵野署の服部警部補といっしょにした仕事(『支那扇の女』第13章より)。 刺青の第一人者・彫亀に鑑定の出馬をあおいだ、ある重大事件(『スペードの女王』第1章より)。 この事件を『』とする説もある。 [ ]• バーの女給・ハルヨを助けた事件(『扉の影の女』第1章より)。 昭和25年、神戸の王文詳を助けた事件(『悪魔の百唇譜』第12章より)。 昭和26年、『女王蜂』事件の直前に2つ3つ立て続けにかたづけた厄介な事件。 時期的には『仮面城』『大迷宮』などのジュヴナイル作品の事件が該当する。 昭和27年、相馬良作を救った事件(『夜の黒豹』より)。 『湖泥』事件の直前に大阪まで来た用件(「事件」かどうか不明)。 『不死蝶』事件の直前に片づけた、むつかしい事件。 昭和28年、金田一のアドバイスが決め手となって9月20日に解決した高輪署管轄内の殺人事件(『病院坂の首縊りの家』暗中模索の章より)。 『廃園の鬼』事件の直前に東京で立て続けに2つほど片付けた厄介な事件。 時期的には『幽霊男』『堕ちたる天女』の事件が該当する。 『迷路の花嫁』事件の最中に金田一が関わっていた「手の抜けない用件」。 『首』事件の直前に思いのほか早く片付いた大阪のほうの事件。 銀座の百貨店で鳳千影の遺作展があったことを憶えている理由になった、昭和30年のちょっとした事件(『仮面舞踏会』第19章より)。 まえに取り扱ったことがある色盲者の事件(『仮面舞踏会』第26章より)。 帰途に『檻の中の女』事件に遭遇した、江東方面の川筋でのヒロポン密造関係の捕り物。 昭和32年12月、だいたいの目鼻がついてから戻って対応しようとしたために『悪魔の降誕祭』事件の依頼者を緑ヶ丘荘で殺害されてしまった、等々力警部が持ってきた事件。 昭和33年、ヒロポン中毒の少年の告白を聞いた件(「事件」ではないかもしれない)(『扉の影の女』第15章より)。 昭和33年、考古学的な知識を必要とし、的場英明の教示を得た事件(『仮面舞踏会』第3章、第16章より)。 『香水心中』事件の依頼を受けたときに少し残っていた仕事。 昭和35年6月、『悪魔の百唇譜』事件に関わる数日前にかたづけた厄介な事件。 昭和35年9月、『日時計の中の女』事件への対応が遅れる原因になった、当時忙殺されていた事件。 昭和43年、等々力警部が検挙した容疑者に金田一耕助が疑問を持ち、ライバルとなって捜査に乗り出した事件(『女の墓を洗え』として執筆予定だったとのこと)。 昭和44年、岡山・東京にまたがる大事件。 磯川警部と等々力警部が協力(『千社札殺人事件』として執筆予定だったとのこと)。 昭和48年、本條直吉の訪問を受ける直前に解決した難事件(『病院坂の首縊りの家』第2部転生の章より)。 登場作品リスト [ ] 1971年から1984年にかけては横溝正史作品の網羅を目標とする刊行を行っており、このとき収録された金田一耕助登場作品はジュヴナイル作品を除いて77作であった。 この77作には改稿長編化された元の短編が含まれておらず、その収録を目的として刊行されたのが『金田一耕助の帰還』(1996年 、2002年 )および『金田一耕助の新冒険』(1996年 、2002年 )である。 ただし、中絶作品や金田一耕助が登場しない原型作品、『不死蝶』『火の十字架』の原型作品 、『迷路荘の怪人』を最終的に『迷路荘の惨劇』とする前の中間段階の作品 は収録されていない。 なお、角川文庫の77作は42編に収録されているが 、その多くは電子書籍でしか出版されなくなった。 42編のうちの21編に、新たに編集した『人面瘡』 を加えた22編を「金田一耕助ファイル」と銘打ったものが紙媒体での出版が継続されており、これには35作が含まれている。 なお、「金田一耕助ファイル」としての通し番号は、上下分冊になっている『悪霊島』『病院坂の首縊りの家』を上下で同一番号としているため20までである。 「金田一耕助ファイル」設定以降にも1990年代の間に既存42編のうち他の6編が紙媒体で出版された形跡があるが 、再度品切れ状態になっているものが多い。 2000年代以降にも、別の既存版を改版して再刊行している。 金田一耕助登場作品はにも多く収録されている。 特に「金田一耕助ファイル」に含まれない作品については、42作のうち38作を収録している。 代表的な長編の収録はわずか であるが、中短編は網羅に近い状況 になっている。 以下に「長編」「短編」として列挙したのは角川文庫当初収録の77作である。 長編 [ ]• (『宝石』1946年4月号 - 12月号)• (『宝石』1947年1月号 - 1948年10月号)• (『男女』(『大衆小説界』)1948年2月号 - 1949年12月号)• (『新青年』1949年3月号 - 『宝石』1951年1月号)• (『物語』1949年5月号 - 12月号)• (『キング』1950年1月号 - 1951年5月号)• (『キング』1951年6月号 - 1952年5月号)• (『宝石』1951年11月号 - 1953年11月号)• (『平凡』1953年6月号 - 11月号、1958年3月に長編化)• (『講談倶楽部』1954年1月号 - 10月号)• (『いはらき』1954年4月24日号 - 9月29日号)• (『小説倶楽部』1955年1月号 - 12月号)• (『講談倶楽部』1955年1月号 - 12月号)• (『面白倶楽部』1956年3月号、1956年5月に長編化)• (『小説倶楽部』1956年5月号、1958年8月に長編化)• (『オール讀物』1956年8月号、原題『迷路荘の怪人』を1975年5月に長編化)• (『宝石』1957年8月号 - 1959年1月号)• (『週刊東京』1957年9月21日号 - 9月27日号、原題『壺の中の女』を1960年9月に長編化)• (『太陽』1957年12月号、1960年7月に改稿)• (『週刊東京』1957年12月14日号 - 12月28日号、原題『扉の中の女』を1961年1月に長編化)• (『大衆読物』1958年6月号、原題『ハートのクイン』を1960年6月に長編化)• (『面白倶楽部』1958年7月号 - 1959年7月号)• (『日刊スポーツ』ほか共同通信系各新聞 1960年11月 - 1961年12月)• (『推理ストーリー』1962年1月号、原題『百唇譜』を1962年10月に長編化)• (『推理ストーリー』1963年3月号、原題『青蜥蜴』を1964年8月に長編化)• (『宝石』1962年7月号 - 1963年2月号で中絶、1974年に書き下ろし)• (『野性時代』1975年12月号 - 1977年9月号)• (『野性時代』1978年7月号 - 1980年3月号) 短編 [ ]• (『漫画と読み物』1947年3月号 - 6月号、原題『双生児は踊る』を『オール小説』1956年5月号で金田一ものの『暗闇の中にひそむ猫』に改稿)• (『ロック』1947年9月号)• (『りべらる』1947年12月号 - 1948年2月号)• (『小説』1947年12月号、原題『黒猫』)• (『読物時事』1948年1月号 - 3月号)• (『読物春秋』1949年1月増刊号、1955年5月に金田一ものに改稿)• (『講談倶楽部』1949年12月号、1960年7月に金田一ものに改稿)• (『オール讀物』1950年9月号)• (『改造』1951年1月増刊号)• (『オール讀物』1951年7月号)• (『面白倶楽部』1952年11月号 - 12月号)• (『オール讀物』1953年1月号)• (『講談倶楽部』1953年10月号)• (『オール讀物』1954年2月号)• (『面白倶楽部』1954年6月号)• (『オール讀物』1954年9月号)• (『読切小説集』1954年11月号、原題『妖獣』)• (『宝石』1955年5月号)• (『オール讀物』1955年6月号)• (『オール讀物』1956年1月号、1956年3月に改稿)• (『講談倶楽部』1956年2月号)• (『小説春秋』1956年2月号)• (『読切小説集』1956年7月号、原題『黒衣の女』)• (『講談倶楽部』1956年8月号)• (『面白倶楽部』1956年12月号)• (『オール讀物』1957年1月号、1959年2月に改稿)• (『週刊東京』1957年1月12日号 - 1月19日号)• (『婦人公論』1957年1月号 - 3月号、原題『憑かれた女』)• (『週刊東京』1957年2月23日号 - 3月2日号、原題『泥の中の顔』)• (『週刊東京』1957年4月6日号 - 4月13日号)• (『週刊東京』1957年5月18日号 - 5月25日号)• (『週刊東京』1957年6月29日号 - 7月6日号)• (『週刊東京』1957年8月10日号 - 8月17日号)• (『オール讀物』1957年8月号)• (『別冊週刊朝日』1957年8月、1958年9月に改稿)• (『オール讀物』1958年1月号、1958年7月に改稿)• (『週刊東京』1958年2月8日号 - 2月15日号)• (『週刊東京』1958年3月22日号 - 3月29日号)• (『小説倶楽部』1958年4月号 - 6月号、1958年9月に改稿)• (『週刊東京』1958年5月3日号 - 5月10日号)• (『週刊東京』1958年6月14日号 - 6月21日号)• (『時の窓』1958年6月号 - 9月号)• (『オール讀物』1958年11月号)• (『面白倶楽部』1958年11月号、原題『霧の別荘』を1961年1月に改稿)• (『別冊週刊大衆』1960年9月号)• (『推理ストーリー』1962年8月号)• (『別冊週刊漫画TIMES』1962年8月21日号)• (『推理ストーリー』1963年8月号)• (『推理ストーリー』1964年5月号) ジュヴナイル作品 [ ]• (『少年倶楽部』1951年1月号 - 12月号)• (『小学五年生』1952年4月号 - 1953年3月号)• (『譚海』1951年6月号 - 1952年8月号、原題『皇帝の燭台』)• (『少年倶楽部』1952年1月号 - 12月号)• (『少年倶楽部』1952年8月夏の増刊号)• (『少年倶楽部』1953年1月号 - 2月号)• (『中学生の友』1958年1月号 - 12月号) また、以下の作品は初出時には由利麟太郎や三津木俊助が登場する作品であったものを、角川文庫と朝日ソノラマ文庫へ収録する際にが金田一ものに改稿した。 夜光怪人(『』1949年5月号 - 1950年5月号)• 蝋面博士(1954年12月、偕成社) 角川文庫に収録された金田一耕助が登場するジュヴナイル作品は、山村による改稿も含めて8作であった。 その後、『黄金の花びら』が発見されて出版芸術社の『横溝正史探偵小説コレクション3 聖女の首』 に収録され、併せて9作とされている。 (仮題)• (仮題) 殺人防御率 [ ] 本の雑誌編集部編『活字探偵団』()によれば、金田一耕助は事件に乗り出してから次の犠牲者がでるのを防ぐ「防御率」の一番低い探偵ということになっている。 『活字探偵団』では「防御率の数値が大きい」すなわち「防御率が悪い」ことを「防御率が低い」と表現しているが、一般には単純に「数値が小さい」ことを「低い」と表現する場合もあるため、混乱の元になる。 『活字探偵団』での「防御率」の算出方法は、「 主要10作品を選定し、探偵が事件に関与してから、解決するまでに起きた殺人件数を作品で割る」というものである。 金田一の場合、『八つ墓村』『三つ首塔』『悪魔が来りて笛を吹く』などの大量殺人が含まれているために、防御率が悪くなっている。 対象を全77作品で算出した結果は1. 5であり、一概に防御率が悪いとは言えない。 また、したように「最後まで手の内を見せない」のが金田一の探偵方法であることや、トリックなどの解明後に犯人の自殺を誘導したり見逃したりするケースがあることも、金田一の防御率を悪くしている。 映画『』では、それらに対して「もうあと4、5人は死にそう」「どこまで殺人が行われるか見守りたい」などの、一つの解答とも皮肉とも取れるセリフがある。 モース警部:0. ファイロ・ヴァンス:1. 金田一耕助:4. 2 演じた俳優 [ ] 金田一耕助は何度か映画やテレビドラマの題材として使用され、演じた俳優は、、、、など幅広い。 1990年以降の作品ではや、、などが金田一を演じている。 和装の金田一はを着ていることが多いが、原作では上述したように二重回しを着こむのが定番であり、マント姿は映像作品に限ったオリジナルである。 映画版 [ ] 映画で「金田一耕助」を演じた俳優としてはに始まり、、、、と洋装の金田一が続いた。 1975年に主演で再登場した時はジーンズにベストというヒッピー風のいでたちであった。 2006年に監督によって『犬神家の一族』が30周年記念作品としてリメイクされることとなり、主演として第1回角川映画版の主役であるが再演している。 それを記念して石坂浩二によって『金田一です。 』という金田一論を書いたエッセイも発売された。 なお、同一俳優が同一主人公を演じた期間としては、日本映画ではの『シリーズ』に次ぐ記録となる。 (本陣殺人事件) 1947年 1949年 1949年 東映京都 1951年 東映京都 1954年 東映京都 (犬神家の一族) 1954年 東映京都 1956年 東映京都 監督は、『三本指の男』から『悪魔が来りて笛を吹く』までが。 『犬神家の謎 悪魔は踊る』は、『三つ首塔』はととの共同。 「ソフト帽にネクタイ、トレンチコート」が定番スタイル。 巧みな変装術を得意とし、ピストルの名手であり、女性の助手を従えている。 この「初代金田一耕助」であるについては、「スーツにソフト帽でピストルを振り回している姿」が時折り揶揄の対象となるが、ここでの金田一は、戦前の因習にとらわれた封建的な動機による殺人を、戦後の民主的な精神によって断罪する「民主主義の使者」として描かれており、アメリカ帰りという設定ともども、スーツ姿は民主主義の象徴として必然であった。 並行して同じ監督、脚本家で製作されたシリーズでは冴えない中年探偵としての姿(第1作)やキザったらしい金満紳士姿(第2作)がベースとなるなど、知恵蔵の三枚目演技を存分に発揮させているが、颯爽とした姿で悪漢を叩き伏せるクライマックスが用意されている同シリーズとは異なり、原作での三枚目ぶりをそのまま取り入れることはスターイメージからして難しかった。 脚本は、が『犬神家の謎 悪魔は踊る』を担当した以外は、すべてが担当しており、比佐の脚本作品においては、すべて原作とは異なる人物が真犯人となっている。 横溝によれば、比佐が「原作を読んでいる観客でもあっといわせてみせる」という精神から設定を変更したもので、横溝は「私は私でいたって寛容の精神にとんでいるから、シナリオを読むたびにオンヤオヤと思いながら、それでも映画が当たるなら結構ではないかと、かえって面白がっていたものである」と回顧する一方、「作者としてはこいねがわくば原作どおりにやってほしい」と不満の意も示している。 1952年 監督 片岡と同様、背広の二枚目スタイルである。 岡譲二はこの作品から譲司と改名している。 1954年 監督• 吸血蛾 1956年 監督 東宝 池部までの金田一は背広姿である。 原作との共通点は愛煙家であることぐらいしかない。 悪魔の手毬唄 1961年 監督 高倉の金田一は「警視庁嘱託」という設定。 短髪にジャケット、サングラスというラフな姿で、年代物のオープンカーに乗って現れる。 1976年 (東宝配給) 1977年 東宝 1978年 東宝 1978年 東宝 1979年 東宝 2006年 東宝 すべて監督は。 原作と違い、長身の金田一像である。 「着物に袴」、「経費にこだわる」といったスタイルはがこだわって採り入れたもの。 石坂以降の金田一は煙草を吸わない。 三枚目的な要素は原作に忠実だが、相方の捜査指揮者 が毎回初対面にリセットされるのをはじめ、ほとんど金田一の知人というものが出てこない設定で、市川は後年のキネマ旬報インタビューで「神様」として位置づけている。 また、石坂はそれより早く同作のキネマ旬報誌特集に「金田一は ギリシャ悲劇で進行役を司どる合唱隊 なのだ」というエッセイを寄せている。 1977年 監督 麦わら帽子にくたびれたジャケット、腰に手ぬぐいという姿。 原作者の横溝は、たまたま野村芳太郎に会った際、「金田一をやりたいんだが、ウチ(松竹)には、金田一を出来そうな役者が居ないんだよ」と話しかけられ、それに対して、「そんなことはない。 今は石坂浩二の当り役みたいになってるけど、見るからに二枚目だし、いかにも頭が良さそうで、本当のことを言うと、原作の金田一とは割と離れている。 原作のイメージで言えば、お宅(松竹)の渥美清なんかの方が近い。 」と答えたことから、本作は生まれたと語っている。 なお、この映画は公開こそ『犬神家の一族』(1976年10月16日)の1年後であるが、原作契約は1975年、撮影開始も1976年8月16日であり、若干の記憶の混同があると思われる。 また、出来上がった映画では石坂以上にコミカルな面は排除され、謹厳な学者のように事件を解説する金田一となった。 なお、渥美清にとっては『』の「寅さん」以外のキャラクターでは、本作が唯一ヒットを飛ばした作品となった。 1979年 監督 東映・角川春樹事務所 ボサボサの髪にお釜帽、くたびれた着物に襟巻きという姿。 鞄などを持たずいつも手ぶらで移動する。 1979年 監督 角川春樹事務所、• 金田一耕助の冒険 1979年 大林宣彦監督 角川春樹事務所、三船プロ 「初代金田一」との設定で劇中の映画に登場。 三船の起用は、三船プロが制作協力していたことから。 1981年 監督 東映・角川春樹事務所• 1996年 市川崑監督 東宝・ テレビドラマ版 [ ]• 犯人と毒薬(オリジナル) 無言の証人(オリジナル) 花と注射器(オリジナル) 霧の中の女 ある夫婦(オリジナル) 釣堀に現れた女(オリジナル) 泥の中の顔(原作『泥の中の女』の原題) 深夜の客(オリジナル) アパートの3階の窓(オリジナル) 棄てられたダイヤ(オリジナル) カバンの中の女(原作『鞄の中の女』) いずれも「シリーズ」として1957年2月18日 - 4月29日に放映されたもの。 ・白と黒 1962年• ・八つ墓村 1969年• 1977年 - 1978年、 スペシャルドラマ 1983年 - 2005年(参照) テレビドラマへの金田一の登場はに始まるが、原作に準じた姿をブラウン管に確定させたのはの制作による『』であり、これはの当たり役となり、同じネットのTBSに制作が移って長期人気シリーズとなった。 「原作通りの姿による古谷の金田一」は毎日放送の青木民男プロデューサーの意向によるものであり、、、、など、劇場映画経験豊富なベテランスタッフを投入した豪華な制作陣が話題となった。 なお、推理に行き詰ったときにをする演出は、金田一が複雑な事件の謎を解こうとするとき、まったく関係ないことをして、フッと素晴らしい推理がひらめくような、独特な何かがあったらいいと古谷が監督のに提案し、ギターや知恵の輪など、いろいろなアイデアが出るうちに、工藤が「キミ、逆立ちできる?」と尋ね、古谷が「できます」と答えたことから生まれたものである。 1977年 愛川の金田一は背広姿。 1983年 1986年 1988年 1990年 小野寺の金田一は着物に袴と原作を踏襲している。 横溝正史傑作サスペンス「」1990年 女性の助手を連れ、に、をかぶっている。 眼鏡をかけた金田一は中井が初めてである。 スペシャルドラマ 1990年 - 1998年(参照) 片岡の金田一は熱血漢風で、アクションも加味されている。 1990年• 金田一耕助ファイル・ 2002年 女と愛とミステリー 金田一耕助ファイル・ 2003年• スペシャルドラマ 2004年 - 2009年(参照) 稲垣の金田一は『』の冒頭で兵士から「Bat Man」と呼ばれる場面がある。 ・スーパープレミアム「」 2016年• NHK BSプレミアム・ 金田一耕助登場!「黒蘭姫」「殺人鬼」「百日紅の下にて」 2016年 NHK BSプレミアム・ 金田一耕助踊る!「貸しボート十三号」「華やかな野獣」「犬神家の一族」 2020年• NHK BSプレミアム・スーパープレミアム「」 2018年 NHK BSプレミアム・スーパープレミアム「」 2019年• フジテレビスペシャルドラマ「」2018年 フジテレビスペシャルドラマ「」2019年 番外篇ドラマ [ ]• 2005年• 2013年 金田一耕助VS明智小五郎ふたたび 2014年 舞台版 [ ]• 獄門島 1948年• 『悪魔の手毬唄』より〜探偵 金田一耕助の恋 1988年 犬神家の一族 1993年・1994年 女王蜂 1996年• 獄門島 1993年• 『悪魔の手毬唄』より〜探偵 金田一耕助の恋 1995年• 贋作・犬神家の一族 2001年• 百日紅の下にて 2002年• 殺人鬼 2003年 白と黒 2004年 三つ首塔 2005年 ひとり八つ墓村 2007年• 百日紅の下にて 2003年 廃園の鬼(朗読劇) 2019年• 幻夏の見返り死人(『薔薇の別荘』より) 2006年• 八つ墓村 2008年 悪魔が来りて笛を吹く 2010年 獄門島 2012年 犬神家の一族 2017年• 犬神家の一族 2018年 八つ墓村 2020年 ラジオドラマ版 [ ]• 獄門岩(原作『首』) 1957年 悪魔のクリスマス(原作『悪魔の降誕祭』) 1957年 花園の黒蝶(原作『花園の悪魔』) 1958年 廃屋の鬼(原作『廃園の鬼』) 1958年 (主役のものを変更) 1958年 黒百合姫(原作『黒蘭姫』) 1958年 黒猫亭事件 1958年 壺を持つ女(原作『柩の中の女』) 1958年 扉の中の女(原作『扉の影の女』) 1958年 いずれもの「金田一耕助探偵物語」として放送されたもの。 支那扇の女 1964年 第1 おたのしみ劇場• 悪魔が来りて笛を吹く 1975年 NHK連続ラジオ小説• 鴉 1975年 NHK文芸劇場• 悪魔の手毬唄 1976年 NHK連続ラジオ小説• 八つ墓村 1997年 ・角川ドラマルネッサンス カセット文庫版 [ ]• 金田一耕助の冒険・悪魔の降誕祭 1988年 金田一耕助の冒険2・(原作に金田一は出ていない) 1989年 角川カセットブック TVCM [ ]• (、1998年)• (、2000年)• (、2006年)• (、2016年) バラエティ [ ]• 2015年• 前半コント• 『』のコント「」にて、金田一耕助特有の出で立ち(コスチューム)で「金田一 」と名乗る探偵を演じた。 MV [ ]• 「骨」(2016年) 金田一耕助の助手 [ ] 横溝の小説を原作とし、金田一耕助を主人公とする映画を初めとしたメディア作品には、金田一を助ける女性助手が登場するものがある。 これは原作にはないオリジナルなものである。 以下にこれを演じた女優を挙げる。 白木静子 ・・の作品で、金田一耕助の助手として登場する。 元々は『』の登場人物(別に助手ではなく事件関係者)であった。 (、)• 相馬千恵子()• 北原しげみ() かね 1977年の「」にレギュラーで登場する、金田一耕助探偵事務所唯一の所員。 いかにもおばちゃん然とした役である。 「シリーズII」には登場しない。 池田明子 脚本によるテレビドラマ2作品で、金田一耕助探偵事務所の助手として登場する。 ( 1990年)• ( 1990年) 漫画化作品 [ ] 金田一の登場する原作の漫画化は、少年誌から始まった。 『』 1968年 『』誌で連載された。 影丸の描く金田一はほぼ原作に忠実な姿だが、容姿は野性味の強いものとなっている。 内容も少年誌らしく妾云々の設定は省かれている。 影丸は1979年にも『』を漫画化している。 『』・『』 1976年 富士見書房から書き下ろしで3冊刊行された。 内容はほぼオリジナルでオカルト色が強く、金田一はロイド眼鏡にちょび髭を生やした背広姿の中年男性になっている。 横溝正史ブームの中、少女誌でも原作の漫画化が行われた。 『』・『』 1978年 『』誌で連載された。 原作通りの和装だが、スマートで美男子な金田一となっている。 岩川ひろみ『』 1977年 『』誌で連載。 文庫化もされた。 和装でフケも飛ばすが若く美男の金田一である。 構成は原作に非常に忠実。 平成になって、女性作家による漫画化が相次いで行われている。 の『』『』、の『』『』『』『』『』『』『』『』『』(いずれも刊)などが刊行されている。 秋田書店『サスペリアミステリー』誌が、2002年の創刊より2006年頃まで、毎月のように横溝作品を漫画化していた。 この中ではによる漫画化作品がもっとも作品数が多い(『』『迷路荘の怪人(『』原形作品)』『』『』『』『』『』『』『』)。 『サスペリアミステリー』では、ほかにも、、、、などが金田一作品を漫画化している。 ほかに金田一作品を漫画化した漫画家として、、、、、、などがいる。 イベント [ ] 戦時疎開から戦後にかけて横溝正史が住み、『本陣殺人事件』の舞台とされる岡山県真備(まび)地区では、ファンが金田一など横溝作品の登場人物の仮装をするコスプレ・イベント「1000人の金田一耕助」が開かれている(2017年11月で5回目)。 パスティーシュ [ ] 有名な探偵なので、多くの作家の作品に金田一耕助は登場している。 『金田一もどき』• 『犬猫先生と金田一探偵』• 『GEN 源氏物語秘録』• 『《ホテル・ミカド》の殺人』『明智小五郎対金田一耕助』『金田一耕助対明智小五郎』『明智小五郎対金田一耕助ふたたび』など また、昭和50年代の横溝ブームを引き起こした角川書店より、贋作集が2冊刊行されている。 『金田一耕助の新たな挑戦』• 『金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲』 他に、横溝作品の「」とされる作品がある。 『探偵の夏あるいは悪魔の子守唄』(旧題『横溝正史殺人事件あるいは悪魔の子守唄』) 舞台の八鹿村(「八馬鹿村」とも呼ばれる)に伝わる子守唄に見立てられて竹のお大尽、梅のお大尽(小梅佐兵衛)、獄門寺の和尚らが殺され、これを雇われ探偵のキンダイチが捜査する。 「八馬鹿村子守唄」考を投稿した矢鱈放言、キンダイチが鬼首峠でおりんと名乗る老婆に出会い、佐兵衛にその話をすると30年前に死んだはずだと騒ぎ出すなど、『悪魔の手毬唄』を中心に横溝作品を意識した趣向が散りばめられている。 漫画作品には、「金田一耕助の子孫」の活躍を謳った作品がある。 『』(原作:・、作画:、)• 『金田一37歳の事件簿』(原作:天樹征丸、作画:さとうふみや、) この作品には金田一耕助の孫との触れ込みで「(はじめ)」という主人公が登場する。 しかし、横溝の妻には挨拶をして了解を取り付けてはいたが著作権の相続者に許可をとっていなかったため、連載中期以降はこの設定が控えられがちとなり、一の決め台詞「金田一耕助(じっちゃん)の名にかけて」が「ジッチャンの名にかけて」へ変更されるなどの処置がとられている。 ただし、設定自体は存続しており、その後も金田一耕助の名前が出てくるほか、彼が解決した事件として事件の名が挙げられたこともある。 また、同作品内に登場する金田一一のいとこである金田一二三(ふみ)も、家系図上は金田一耕助の孫ということになっているが、明言はされていない。 なお、金田一一の母親が耕助の子であり、一の父は婿養子である。 二三の父親は金田一丙助という。 舞台作品には、金田一耕助を連想させる老人が登場する作品がある。 『美女と殺人鬼~DEEP RED INFERNO~』 2012年上演の舞台作品。 名前を名乗ることはないが、金田一耕助を連想させる老人(演じたのは)が、「女の墓に千社札を貼れ」というダイイングメッセージをもとに猟奇殺人事件の謎を解く。 参考文献 [ ]• 『金田一耕助 日本一たよりない名探偵とその怪美な世界』(メディアファクトリー刊) 脚注 [ ] 注釈 [ ]• このような姿は、昭和初期の若者によく見られたありふれたスタイルだったものであり、所謂「」の一種。 探偵小説『』(著)に登場する素人探偵• 横溝は「ホープ」を愛煙していた。 横溝の経歴と重なっている。 『支那扇の女』に初出の際には「たもん おさむ」との読みが付されているが、『扉の影の女』『病院坂の首縊りの家』では「たもん しゅう」になっている。 映像作品では、相当する人物がする場合がある。 『犬神家の一族』では、金田一本人が、「東北生まれでスキーも得意」と述べている。 『不死蝶』の原型作品は、『横溝正史探偵小説選5』 に収録されている。 『迷路荘の怪人』の中間段階作品の初出は『金田一耕助推理全集第5巻』(1959年)であり、『横溝正史探偵小説コレクション』 にも収録されている。 『』の当初版と2分冊化版を別々に計上し、併せて3編としている。 この42編には、金田一耕助登場作品77作の他に『』『』が収録されている。 「金田一耕助ファイル」に含まれない長編は網羅しているが、含まれる長編で収録されているのは『』と『』のみである。 「金田一耕助ファイル」に含まれない中短編のうち『』 に収録の3作と『』、含まれる中短編のうち『』 に収録の7作と『』の併せて12作を除いて網羅されている。 複雑な改稿経緯を経て長編として完結した形態の初出情報。 渥美清は当時『』の寅さんのイメージが強く、寅さんのイメージに凝り固まらないために様々な作品で別のキャラクターを演じるが、本作以外では『男はつらいよ』ほどのヒットを得られなかった。 また、渥美自身が「寅さんのイメージを裏切りたくない」との理由で他作品への出演に消極的になっていたこともあって、『男はつらいよ』シリーズ以外の主演はなくなっていった。 出典 [ ]• 『真説 金田一耕助』 〈〉、1979年1月5日、68-69頁。 「金田一耕助誕生記」 『金田一耕助の帰還』 、1996年5月25日、239-249頁。 『横溝正史読本』 角川グループパブリッシング 2008年• 横溝正史エンサイクロペディア. 2020年3月28日閲覧。 横溝正史エンサイクロペディア. 2020年4月9日閲覧。 『真説 金田一耕助』 〈〉、1979年1月5日、19頁。 (アエラドット) 2015年2月17日. 2019年11月24日閲覧。 ただし、「かねだはじめ」と読むフルネーム。 音楽ナタリー 2016年2月24日. 2016年2月14日閲覧。 倉敷観光WEB(2017年12月7日閲覧) 関連項目 [ ]• :作者の執筆場所兼書斎を移築したもの。 金田一耕助関連の自筆原稿が展示されている。

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