シェーカー 教徒。 シェーカー教徒の美意識 / June Spring, SHAKER DESIGN

近代社会と隔絶、コロニー暮らし。厳格キリスト教徒「フッター派」。閉ざされたその実生活がいま、明らかに

シェーカー 教徒

シェーカー家具とは、キリスト教の一派「シェーカー教徒」が、18世紀後期から20世紀半ばまでアメリカで活動した際に生み出した家具です。 元来自給用であり、また教義により質素で機能的な造形を好み、集団生活用の様々な家具を生産しました。 直線を多用した禁欲的なその意匠は「シェーカー様式」とも呼ばれ、近代家具の先駆的存在となります。 シェーカー家具3つの様式 イギリスから移住したシェーカー教徒は、信仰を中心とする自給自足の生活共同体を設立し、そこで使うシェーカー家具を作り始めました。 当初は未熟なものでしたが、職人技を採り入れ、高い水準に達します。 その様式は3期に分けられるとされ、最初は18世紀後期から19世紀初期までの未熟で重量感がある「初期シェーカー家具」、次は19世紀初期から半ばまでの高品質で数多く作られた「古典的シェーカー家具」、最後は19世紀後半にビクトリア様式の影響を受けて作られた「ビクトリアンシェーカー家具」となっています。 シェーカー家具の特徴 洗練されたシンプルな機能とデザインの家具 アメリカ北東部の木工品とされ、コロニアル様式を単純化したものでした。 シェーカーはそこから更に装飾を除き、機能性や耐久性を向上。 そこには、家具だけでなく建築や服飾等を含めた暮らし全体の調和を目指す、彼ら独特の生活様式も影響しました。 20世紀半ばの教団衰微と共に廃れますが、その高度な技や美しい意匠は世界で注目され始めます。 シェーカーの精神が生んだ均整のとれた意匠・構造は新旧あらゆる空間に調和し、アンティークとして、または復刻生産の対象として人気を博すようになりました。 教団はほぼ消滅しますが、高潔なその精神は造形に宿り、現代に大きな影響を与えたのです。 シェーカー家具の歴史 シェーカー教団の発展 シェーカーの渡米と家具誕生 1774年、天啓によりアメリカへ渡った教祖アン・リーら9人のシェーカー教徒は、早速布教と共同体の設立を開始しました。 身体を振る独特の礼拝法(シェイク)をもち共同生活・独身主義・博愛主義等を掲げるプロテスタントの一派、シェーカー教徒は、徐々に信者や土地を獲得し、移住当初の困難な状況を克服し始めます。 機能的で頑丈、「初期シェーカー家具」の登場 共同体に必要な家具は、当初教徒の元私物を使いましたが、1770年代末から教徒自らの手による生産を始めます。 これがシェーカー家具の誕生で、共同体の発展・増加と共に発達します。 この時期作られた家具は、工具や知識・経験の不足を反映した、素朴な意匠で技術的に未熟なものでしたが、松やカエデ材を多く使った、機能的で頑丈なものでした。 教団の最盛期 1784年に教祖アンが亡くなったのち、ジョゼフ・ミッチャムが教団のリーダーとなり、宗教規則や運営方針をまとめ、教団の組織化を強化します。 多くの改宗者が集まり、1800年までに11の共同体で1000人が暮らす成長を遂げ、その後も発展し、19世紀半ばには、18の共同体で6000人が暮らす最盛期を迎えました。 ディテールが繊細に加工された「古典的シェーカー家具」の登場 シェーカー家具の生産も、教団の発展に伴い増加し、1820年頃から60年頃までに黄金期を迎えます。 この頃には、初期に入信した木工職人らの技術が定着・発展し、家具の形状も独自のものに完成され、高い水準の製品が作られます。 装飾は必要最小限で、軽量化のための面取りや先細り、繊細さを強調するための各部の小型化が巧妙に行なわれました。 教団の解体 しかし、1860年頃から教団は衰退を始めます。 それには、アメリカにおける機械工業や大量生産の発達と、都市化等の社会変革、南北戦争(1861-65)による混乱が影響しました。 教徒数は1900年には1000人に減少し、1960年までに17の共同体が閉鎖され、現代ではわずか数人が残存するばかりとなりました。 華やかな「ビクトリアン・シェーカー」の登場 シェーカー家具も、南北戦争以降は椅子以外のわずかな家具しか作られなくなります。 しかし、一方では1875年頃からの四半世紀に華やかな英国ビクトリア様式に影響された「ビクトリアンシェーカー」が作られます。 それはクルミ材が多く使われ、ベッドや机等には濃い着色が施されました。 また装飾的で複雑な加工や挽物(ロクロ細工)等も施されます。 その後、教徒によるシェーカー家具は作られなくなりますが、残された作品が注目され、良質な工芸品として収集されるようになりました。 また、優れた機能性や普遍的な意匠が北欧家具に影響を与えるなど、現代工芸の発展にも寄与します。 その結果、シェーカー家具は再び役割を得、また復刻品が作られるなど、多くの人々に愛されるようになりました。 シェーカー家具の特徴(代表的椅子・種類・地域特徴・材料・仕上げ) シェーカー教徒にとって家具作りは祈りであり、宗教義務の達成でもありました。 そこには「手は労働に心は神に」という教えが根底にあり、シェーカー家具の質の高さや個性の確立に影響しました。 また、高度な工具・機械を擁する作業所での生産体制も整備され、通常は職人教徒、椅子等の量産品・市販品の製造は交代分業制により日々担当されました。 シェーカー家具を特長づける「チェア」のデザイン 最も特徴的な家具は椅子で、挽物による丸棒の脚や貫(ぬき。 脚間補強横木)と曲木のスラット(横背板)で構成された「ラダーバックチェア(梯子状背もたれ椅子)」が一般的です。 部材は極端に細く、薄くされており、必要な強度を得るため高度な技術で接合されています。 3枚背板のサイドチェア(肘無椅子)や、同4枚のアームチェア(肘掛椅子)型ロッキングチェアが著名で、椅子以外では楕円の木箱「オーバルボックス」も有名です。 家具の種類 家具の種類は、作業用と居住用に大別され、作業用は厨房や各作業所等における家事や生産に使われ、松材が多く、釘打ちして塗装した簡易なもの、居住用は食堂や居室等で使われ、堅木が多く、高度な職人技が見られるものでした。 それらの数は膨大で、品種も数百に及ぶとされます。 その主なものには、 ベッド、ベンチ、木箱、壁面収納、カップボード、キャビネット、椅子、チェスト、時計、コモード(室内便器)、カウンター、ゆりかご、デスク、姿見、ペグやペグボード(掛け具)、ラック(物干し)、スクリーン(衝立)、セティ(長椅子)、棚、スタンド(台)、スツール(背無椅子)、テーブル等があります。 生産地ごとのデザインの特徴 西部の共同体は東部より意匠に重量感があり、曲線が多く、飾り面取りや飾り縁、異材の混用によるコントラスト表出等の装飾が多く見られ、クルミや桜、バターナッツ、ポプラを好んで使う、等があります。 材料 主材に松(ホワイトパイン)が多く、桜やカエデ(メープル)、クルミ等もあり、強度が必要な箇所はカエデ、曲木はアッシュ(タモ)やオーク(ナラ)・ヒッコリー、引手はリンゴや梨、特別な縁取り等には貴重なマホガニーやローズウッドが使われ、その他にはバターナッツや栗・リグナムバイタ(ユソウボク)等もあります。 表面の仕上げは、大半にペイントかステイン着色、ワニスが用いられ、着色には多くの色調の赤やオレンジ、黄、青、茶色等が用いられました。

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クエーカー教徒とは

シェーカー 教徒

発祥 [ ] アーミッシュとは(ルター派)との新教再組織から分かれてスイスので生まれた一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部やフランスのに移住した。 キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で、創始者のの名前をとってメノナイトといわれ、メノナイトの一員 ()は教会の純粋さを保つためにほかのグループから離れて暮らすいっそう保守的な派を作った。 彼の名前からこの派の人たちのことをアーミッシュという。 ライフスタイルは少し違うが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれている。 生活 [ ] アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。 原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる。 自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否するのである。 一部では観光客向け商品の販売などが行われている(アーミッシュの周辺に住む一般人が、アーミッシュのやなどを販売したり、アーミッシュのバギーを用いて観光客を有料で乗せたりする例もある)。 基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。 新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。 服装は極めて質素。 子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。 洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。 アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。 そのため、は運転しない。 は使用せず、わずかに、、によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。 移動手段はによっているものの 、をつけることが法規上義務付けられているため、充電したを利用しているとされる。 しかし、メノナイトはを持つことが許されており、家電製品も使用している。 アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである。 アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。 写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。 ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。 アーミッシュの子供は、16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「 ()」(発音は、時に「ルームスプリンガ」ないし「リュームスプリンガ」)という期間に入る。 ラムスプリンガでは、アーミッシュの掟から完全に解放され、時間制限もない。 子供達はその間に・・などを含む、多くの快楽を経験する。 そして、18歳成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、一年の間、アーミッシュのコミュニティから離れた後にアーミッシュのコミュニティに戻るか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する事が認められているが、ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。 この模様は『』というドキュメンタリー映画の中で語られている。 ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた、大都会であるに連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が、俗世に出ることを選択したという出来事もある。 信仰 [ ] 政治的には、「神が正しい人物を大統領に選ぶ」との信条から積極的にとして関わることはなかった。 しかし、では激戦州となったやのアーミッシュにが宗教的紐帯を根拠とし支持を広げたという。 彼らは専用のをその集落に持たず、普通の家に持ち回りで集い神に祈る。 これは教会が宗教を核とした権威の場となることを嫌って純粋な宗教儀式のみに徹するためである。 学校教育はすべてコミュニティ内だけで行われ、教育期間は8年間である。 に連邦最高裁において独自学校と教育をすることが許可された。 教師はそのコミュニティで育った未婚女性が担当する。 教育期間が8年間だけなのは、それ以上の教育を受けると知識が先行し、謙虚さを失い、神への感謝を失うからだとされる。 教育内容はと英語と算数のみである。 言語 [ ] アーミッシュのは()の一派がを経たのうちに属するやその一方言であるおよびなどがと融合したを基本とする。 しかし、現在のドイツ南西部にいるの言語はペンシルベニア・アレマン語の話者にとって、きわめて困難かつ理解できない言語である。 前述のとおり、ペンシルベニア・アレマン語はアメリカ内で上部ドイツ諸語およびアメリカドイツ語などが複雑に融合して形成された言語であり、従来のアレマン諸語の方言、スイスアレマン方言()、アルザス語などの話者と会話をしても、標準ドイツ語の影響を受けたこれらの言語は、まったく通じない言語である。 そのため、彼らは「外の世界」とののためにの言語を使用する傾向がある。 芸術 [ ] が有名で、着古した服の端切れを集めて作られる。 スイスを離れ、北米に移住する前に一時期隠遁生活を送っていたフランスのアルザス地方にあるかつて銀が取れたボージュ山脈の谷間の村、(サント・マリー・オ・ミン)は、現在でもパッチワークの発祥地として有名で、構図がアーミッシュキルトの構図に似ているものがあることも興味深い。 アーミッシュの人形も、古切れを縫い合わせた丁寧な作りである。 顔に目・鼻・口などが描かれることはないが、アーミッシュの少女は、人形を我が身の分身のように大切にするという。 音楽は、楽器を所有したり演奏したりすることが禁じられている。 理由は、個人を引き立て、虚栄心をあおる可能性があるからである。 歌は斉唱である。 これも個人を引き立たせることを禁じているからである。 1曲歌い終わるのに15分くらいかかるものが多い。 アーミッシュは「速い」よりも「遅い」ことに価値を見出しているからである。 農業 [ ] アーミッシュでは独自の農業を行いほぼ完全な自給自足の生活を送っている。 農業は農薬や化学肥料を全く使わずアーミッシュの農作物は市場では高値で売られ一部の高級ホテルや高級レストランで重宝されている。 規律 [ ] アーミッシュには「 () 」という戒律があり、原則として快楽を感じることは禁止される。 なお、オルドゥヌングは各地のコミュニティーごとに合議によって定められるので各地で差異がある。 以下のような規則を破った場合、懺悔や奉仕活動の対象となる。 改善が見られない場合はアーミッシュを追放され、家族からされる。 屋根付きのは大人にならないと使えない。 子供、青年には許されていない。 交通手段は馬車()を用いる。 これはアーミッシュの唯一の交通手段である。 自動車の行き交う道をこれで走るためにが多い。 アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され互いの交流が疎遠になる。 はいけない。 をしてはいけない。 をしてはいけない(と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。 以外のは聴いてはいけない。 を立ててはいけない(は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされる)。 以上のを受けてはいけない(への進学など)。 をしてはいけない。 派手な服を着てはいけない。 に加入してはいけない(に反するから)。 してはいけない。 男性はを生やしてはいけない(口ひげは男性の魅力の象徴とされる歴史があったから)。 ただし、顎や頬ひげは許される。 銃撃事件 [ ] 2006年10月、の小学校に「神を憎む」という男が闖入し児童や教員を銃で殺傷する事件が発生し、13歳のアーミッシュの少女が、自分より小さな子供に銃口が向けられた際に身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃された。 その後彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、犯人の家族を葬儀に招いた。 その他 [ ] その独特の生活様式はのアメリカ映画『』で取り上げられた。 演じる主人公の刑事が、偶然殺人事件を目撃したアーミッシュの子供を守るため、アーミッシュの家庭に身を寄せるうちにその母親と恋に落ちるという物語である。 しかし、必ずしもアーミッシュの人々の中ではこの映画は好意的に受け止められていないようであり、実際は共同体外部の異性と恋愛をすることは現在でも皆無とされる。 また、アーミッシュが多く居住するランカスターはスリーマイル島から南東に40キロメートルほどに位置しており、(結果的には健康被害はなかったとされる事故)のような技術災害が、技術自体を好む好まずに関係なく社会全体に影響することの代表例として知られている。 画像 [ ]• アーミッシュの女性 アーミッシュを題材とする作品 [ ] 映画 [ ]• 『』(第391話「パッチワークの蜜蜂たち」;134巻収録)• 『』 書籍 [ ]• 『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー〜アーミッシュの贈り物』 ジョセフ・リー・ダンクル 著、 主婦の友社、1995年• クレイビル著、亜紀書房、2008年• クレイビル著、 論創社 、1996年• 『アーミッシュに生まれてよかった』ミルドレッド・ジョーダン 著、評論社、1992年• 『Crossing Over: One Woman's Escape from Amish Life』Ruth Irene Garrett、Rick Farrant著、HarperOne、2003年• 『アーミッシュの食卓』菅原 千代志 著、 丸善ブックス、1999年• 『アーミッシュ・キルトと畑の猫』菅原 千代志 著、 丸善ブックス、2001年• 『アーミッシュへの旅 私たちのなくした世界』菅原 千代志 著、 ピラールプレス2010年• 『法廷の中のアーミッシュ 国家は法で闘い、アーミッシュは聖書で闘う』大河原眞美著、明石書店2014年• 『アメリカ史のなかのアーミッシュ』大河原眞美著、明石書店2018年 音楽 [ ]• 脚注 [ ] []• Elizabethtown College, the Young Center for Anabaptist and Pietist Studies. 2017年8月23日閲覧。 英語発音: ( アーミシュ)、 ( アミシュ)。 も同様のである。 『人類は「宗教」に勝てるか』 161頁。 『アーミッシュの人びと』 pp. 84-87頁。 『アーミッシュの人びと』 112頁。 『アーミッシュの人びと』 199-201頁。 『アーミッシュの人びと』 p. 190• 「chapter 1 アーミッシュのセックス、ドラッグ、ロックンロール体験」『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢』、、2009年1月19日(原著2009年1月19日)、第1版第1刷、12頁(日本語)。 『アーミッシュの人びと』 177頁。 『アーミッシュの人びと』 130頁。 『アーミッシュの人びと』 176頁。 : Ordunung、「秩序」を意味する。 Emma Gingerich 『Runaway Amish Girl: The Great Escape』• Emma Gingerich 『Runaway Amish Girl: The Great Escape』• 114 参考文献 [ ]• 『人類は「宗教」に勝てるか…一神教文明の終焉』〈〉(原著2007年5月30日)、初版。 2009年8月4日閲覧。 『アーミッシュの人びと…「従順」と「簡素」の文化』サイマル出版会(原著1995年10月)、初版。 2010年8月18日閲覧。 ジョセフ・リー・ダンクル『アーミッシュの贈り物』( 1995年)• 菅原千代志『アーミッシュの食卓』( 1999年)• 堤純子『アーミッシュ』( 2010年)• 堤純子『アーミッシュホームにようこそ』(未知谷 2012年)• 堤純子『アーミッシュ料理』(未知谷 2013年) 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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シェーカー教徒(シェーカーきょうと)とは

シェーカー 教徒

シェーカー家具とは、キリスト教の一派「シェーカー教徒」が、18世紀後期から20世紀半ばまでアメリカで活動した際に生み出した家具です。 元来自給用であり、また教義により質素で機能的な造形を好み、集団生活用の様々な家具を生産しました。 直線を多用した禁欲的なその意匠は「シェーカー様式」とも呼ばれ、近代家具の先駆的存在となります。 シェーカー家具3つの様式 イギリスから移住したシェーカー教徒は、信仰を中心とする自給自足の生活共同体を設立し、そこで使うシェーカー家具を作り始めました。 当初は未熟なものでしたが、職人技を採り入れ、高い水準に達します。 その様式は3期に分けられるとされ、最初は18世紀後期から19世紀初期までの未熟で重量感がある「初期シェーカー家具」、次は19世紀初期から半ばまでの高品質で数多く作られた「古典的シェーカー家具」、最後は19世紀後半にビクトリア様式の影響を受けて作られた「ビクトリアンシェーカー家具」となっています。 シェーカー家具の特徴 洗練されたシンプルな機能とデザインの家具 アメリカ北東部の木工品とされ、コロニアル様式を単純化したものでした。 シェーカーはそこから更に装飾を除き、機能性や耐久性を向上。 そこには、家具だけでなく建築や服飾等を含めた暮らし全体の調和を目指す、彼ら独特の生活様式も影響しました。 20世紀半ばの教団衰微と共に廃れますが、その高度な技や美しい意匠は世界で注目され始めます。 シェーカーの精神が生んだ均整のとれた意匠・構造は新旧あらゆる空間に調和し、アンティークとして、または復刻生産の対象として人気を博すようになりました。 教団はほぼ消滅しますが、高潔なその精神は造形に宿り、現代に大きな影響を与えたのです。 シェーカー家具の歴史 シェーカー教団の発展 シェーカーの渡米と家具誕生 1774年、天啓によりアメリカへ渡った教祖アン・リーら9人のシェーカー教徒は、早速布教と共同体の設立を開始しました。 身体を振る独特の礼拝法(シェイク)をもち共同生活・独身主義・博愛主義等を掲げるプロテスタントの一派、シェーカー教徒は、徐々に信者や土地を獲得し、移住当初の困難な状況を克服し始めます。 機能的で頑丈、「初期シェーカー家具」の登場 共同体に必要な家具は、当初教徒の元私物を使いましたが、1770年代末から教徒自らの手による生産を始めます。 これがシェーカー家具の誕生で、共同体の発展・増加と共に発達します。 この時期作られた家具は、工具や知識・経験の不足を反映した、素朴な意匠で技術的に未熟なものでしたが、松やカエデ材を多く使った、機能的で頑丈なものでした。 教団の最盛期 1784年に教祖アンが亡くなったのち、ジョゼフ・ミッチャムが教団のリーダーとなり、宗教規則や運営方針をまとめ、教団の組織化を強化します。 多くの改宗者が集まり、1800年までに11の共同体で1000人が暮らす成長を遂げ、その後も発展し、19世紀半ばには、18の共同体で6000人が暮らす最盛期を迎えました。 ディテールが繊細に加工された「古典的シェーカー家具」の登場 シェーカー家具の生産も、教団の発展に伴い増加し、1820年頃から60年頃までに黄金期を迎えます。 この頃には、初期に入信した木工職人らの技術が定着・発展し、家具の形状も独自のものに完成され、高い水準の製品が作られます。 装飾は必要最小限で、軽量化のための面取りや先細り、繊細さを強調するための各部の小型化が巧妙に行なわれました。 教団の解体 しかし、1860年頃から教団は衰退を始めます。 それには、アメリカにおける機械工業や大量生産の発達と、都市化等の社会変革、南北戦争(1861-65)による混乱が影響しました。 教徒数は1900年には1000人に減少し、1960年までに17の共同体が閉鎖され、現代ではわずか数人が残存するばかりとなりました。 華やかな「ビクトリアン・シェーカー」の登場 シェーカー家具も、南北戦争以降は椅子以外のわずかな家具しか作られなくなります。 しかし、一方では1875年頃からの四半世紀に華やかな英国ビクトリア様式に影響された「ビクトリアンシェーカー」が作られます。 それはクルミ材が多く使われ、ベッドや机等には濃い着色が施されました。 また装飾的で複雑な加工や挽物(ロクロ細工)等も施されます。 その後、教徒によるシェーカー家具は作られなくなりますが、残された作品が注目され、良質な工芸品として収集されるようになりました。 また、優れた機能性や普遍的な意匠が北欧家具に影響を与えるなど、現代工芸の発展にも寄与します。 その結果、シェーカー家具は再び役割を得、また復刻品が作られるなど、多くの人々に愛されるようになりました。 シェーカー家具の特徴(代表的椅子・種類・地域特徴・材料・仕上げ) シェーカー教徒にとって家具作りは祈りであり、宗教義務の達成でもありました。 そこには「手は労働に心は神に」という教えが根底にあり、シェーカー家具の質の高さや個性の確立に影響しました。 また、高度な工具・機械を擁する作業所での生産体制も整備され、通常は職人教徒、椅子等の量産品・市販品の製造は交代分業制により日々担当されました。 シェーカー家具を特長づける「チェア」のデザイン 最も特徴的な家具は椅子で、挽物による丸棒の脚や貫(ぬき。 脚間補強横木)と曲木のスラット(横背板)で構成された「ラダーバックチェア(梯子状背もたれ椅子)」が一般的です。 部材は極端に細く、薄くされており、必要な強度を得るため高度な技術で接合されています。 3枚背板のサイドチェア(肘無椅子)や、同4枚のアームチェア(肘掛椅子)型ロッキングチェアが著名で、椅子以外では楕円の木箱「オーバルボックス」も有名です。 家具の種類 家具の種類は、作業用と居住用に大別され、作業用は厨房や各作業所等における家事や生産に使われ、松材が多く、釘打ちして塗装した簡易なもの、居住用は食堂や居室等で使われ、堅木が多く、高度な職人技が見られるものでした。 それらの数は膨大で、品種も数百に及ぶとされます。 その主なものには、 ベッド、ベンチ、木箱、壁面収納、カップボード、キャビネット、椅子、チェスト、時計、コモード(室内便器)、カウンター、ゆりかご、デスク、姿見、ペグやペグボード(掛け具)、ラック(物干し)、スクリーン(衝立)、セティ(長椅子)、棚、スタンド(台)、スツール(背無椅子)、テーブル等があります。 生産地ごとのデザインの特徴 西部の共同体は東部より意匠に重量感があり、曲線が多く、飾り面取りや飾り縁、異材の混用によるコントラスト表出等の装飾が多く見られ、クルミや桜、バターナッツ、ポプラを好んで使う、等があります。 材料 主材に松(ホワイトパイン)が多く、桜やカエデ(メープル)、クルミ等もあり、強度が必要な箇所はカエデ、曲木はアッシュ(タモ)やオーク(ナラ)・ヒッコリー、引手はリンゴや梨、特別な縁取り等には貴重なマホガニーやローズウッドが使われ、その他にはバターナッツや栗・リグナムバイタ(ユソウボク)等もあります。 表面の仕上げは、大半にペイントかステイン着色、ワニスが用いられ、着色には多くの色調の赤やオレンジ、黄、青、茶色等が用いられました。

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