アンドリュー ワイルズ。 【フェルマーの最終定理】現実が小説を超えた奇跡の1冊

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アンドリュー ワイルズ

概略 [ ] 、の( - )は、の数学者の著作『』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。 それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえばとして知られる書き込みを実際に証明したのはである)。 48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後のに彼の息子サミュエルによって、フェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである。 第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ 」の欄外余白に、フェルマーは Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet. を2つの立方数の和に分けることはできない。 4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。 一般に、(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。 この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。 と書き残した。 彼の残した他の書き込みは、全て真か偽かの決着がつけられたが、最後まで残ったこの予想だけは、誰も証明することも反例を挙げることもできなかった。 そのため 「フェルマーの最終定理」 と呼ばれるようになった。 内容自体は程度の知識があれば理解できるものであったため、プロ・アマチュアを問わず、無数の数学者がその証明に挑んだ。 見事に証明した者には、賞金を与えるという話も出てきて、フェルマーの最終定理の存在が、一般にも徐々に知られるようになっていった。 個別研究の時代 [ ] n が具体的な値を取るいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。 自身の証明は、ディオファントスの『算術』に記された45番目の書き込みに含まれている。 フェルマーは以下の手法、法則、を使い証明した。 x, y, z はであるとする。 定理「互いに素である2つの数の積が平方数であるならば、2つの数もそれぞれ平方数である。 x を偶数、 z, y を奇数とする。 との性質• フェルマーによる証明は後にによって簡潔な形で直される。 、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するとの間で論争にまでなった。 クンマーの理想数 [ ] コーシーとラメが争っていたのと同じ頃、が自ら打ち立てたの理論(後にがの理論として発展させる)を導入する。 これにより、多くの素数において一意的な因数分解が可能となり、 n がである(もしくは正則素数で割り切れる)全ての場合については証明がなされた。 虚数レベルでの一意的な因数分解が不可能なも無限に存在する が、クンマーは 100 以下の非正則素数( , , の 3 個しかない)についてはそれぞれ個別に研究して解決した。 その結果、 100 までの全ての奇素数 n について(当然 100 以下の奇素数を約数に持つ全ての n についても)フェルマー予想が成り立つことが証明され、それまでの個別研究からこの問題は大きく飛躍した。 、は、に続きに設けたまま受賞者の出なかった「フェルマー予想の証明者」のための懸賞金(金メダルと3000フラン)を(最終的解決でないことを承知の上で)クンマーに与えた。 、クンマーは 101 から 163 までの指数について計算を実行し、新たに , , , , の 5 個が非正則素数であることを示した。 近代的アプローチへ [ ] モジュラー形式 [ ] 詳細は「」を参照 9月、日光で開催された整数論に関する国際会議で、が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想が谷山—志村予想である。 そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後にによって定式化された。 「すべてのはである」という、発表当時は注目を引かなかったこのが、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。 実はこの前年の1954年、ある保型形式に関する予想の一部を ()が証明していた。 そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山—志村予想の最初の実例と呼べるものだった。 によって定式化されたこの予想はフライ・セールのイプシロン予想と呼ばれ、1986年にによって証明された。 これらの経過は以下のように整理することができる。 まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が自然数解をもつ)と仮定する。 この自然数解からは、モジュラーでない楕円曲線を作ることができる。 しかし、 谷山—志村予想が正しいならば、モジュラーでない楕円曲線は存在しない。 矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。 したがって、フェルマー予想は真である。 () つまり、谷山—志村予想が証明されたならば、それはフェルマーの最終定理が証明されたことをも意味するのである。 最終的解決 [ ] アンドリュー・ワイルズ にいた生まれの数学者は Iwasawa main conjecture を解決するなどして、元々数論の研究者として有名な人物であった。 彼は10歳の時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロとなってからは子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。 ところが1986年、がを解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。 かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。 ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めてに取り組むこととなった。 ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山—志村予想の研究を秘密裏に行うこととした。 ワイルズは、(特にと ())や(や、、)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、の導出に当たり岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。 そこで(と ()の方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚 ()の助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。 彼がでの6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。 ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。 この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子の助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。 ワイルズ自身、その時の瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。 に新しい証明を発表。 1995年の 誌において出版し、その証明は、に誤りがないことが確認され 、360年に渡る歴史に決着を付けた。 フェルマーの最終定理を証明した論文 [ ]• Andrew Wiles May 1995. Annals of Mathematics 141 3 : 443-551. Richard Taylor and Andrew Wiles May 1995. Annals of Mathematics 141 3 : 553-572. エピソード [ ] この記事にがあります。 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または。 ( 2020年4月)• 現在も未解決の問題の大多数は、問題自体が難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の言わんとするところは中学生程度の知識さえあれば理解できるため、数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志す者も輩出された。 最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。 フェルマーはこの定理の証明に関して「真に驚くべき証明を見つけた」と記述を残している。 しかし、現在知られている証明は、分野ごとの壁が厚くなったことで、半ば独自に進化と発展を遂げた各数学分野の最新理論を巧妙に組み合わせ、駆使することで構成されている。 最終的証明はのなどの現代的な代数幾何の構成を用いている。 これは・・流の()という、通常の集合に加えて class を考え、ただし集合に対する言明の真偽(証明可能性)は と同じになる(ZFC の保存的拡大という)ようにした枠組みで定義される。 NBG集合論は本質的には ZFC集合論と同じもので、ZFC集合論にの存在公理を付け加えての構成を可能にしたもので置き換えられると考えられている。 このことから最終定理の証明のために本当はどれだけの公理が必要なのかについては疑問が呈されてもいて、ZFC よりは弱い体系でも十分なのではないかと言われている。 最終的な証明で重要な役割を果たした谷山—志村予想に関して、ワイルズとテイラーが証明したのは「半安定」と呼ばれる特殊な場合であり、一般的な場合に関しては証明を与えることはできなかったが、フェルマーの最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。 ちなみに、後に谷山—志村予想に完全な証明を与えたのはワイルズの弟子である ()と ()であり、今では数論の1つの到達点とされて「モジュラー性定理」とよばれることもある。 1988年に当時のにいた、が証明できそうだというニュースが報道された。 ただし実際には不備があり、完全な証明には至らなかった。 1908年、ドイツの富豪 ()は9月13日までの期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万の懸賞金を設けた。 当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、後のがなければ、十数億円であったといわれる。 授賞式は1997年6月、の大ホールにて、500人の数学者が列席する中、執り行われた。 解決以前に書かれたなどの文芸作品における「未来」において、未解決の問題として言及されていることがしばしある など、解決以前は「未解決問題」の代表的な存在であった。 一方、解決後に刊行された『』のように、「300年以上もの間解決できずに、近年の天才によりようやく解かれた問題」として紹介されたケースもあり、現代においても「数学界最大の難問」の一つとして取り扱われることもある [ ]。 解決以前において、のメンバーだったは、「人類より高度な文明を持つ知的生命体と意思のみで交信できる」というに対し、その知的生命体への質問として「フェルマーの最終定理」の解法を聞いてみるが、ことごとく無視された。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• フェルマーの書き込み入りの『算術』原本は、今日では失われている。 フェルマーが当時読んでいた『算術』は、1621年にフランスの貴族バシェがの原文にの翻訳を追加した対訳版である。 48個の書き込みの全訳はに収録されている。 ここで、平方数とは有理数の平方を意味する。 他の冪も同様。 証明がなされていない以上この予想を「」と呼ぶことには無理があるが、反例も挙げられておらず、予想自体は「真であろう」と誰もが予測したため、「定理」と呼ばれるようになった。 が無限に存在することはにによって証明された。 は以下のように述べている。 私はときどき、宇宙人と「コンタクト」しているという人から手紙をもらうことがある。 「宇宙人に何でも質問してください」と言われるので、ここ数年はあらかじめ短い質問リストを用意している。 聞くところによると、宇宙人はとても進歩しているそうだ。 あるいは、でもいい。 もちろん宇宙人は、「フェルマーの最終定理」という呼び方はしないだろうから、その内容を説明しなくてはならない。 そこで例の、 冪 ( べき ) 指数つきのごく簡単な式を書いておくのだが、返事をもらったことはただの一度もない。 — カール・セーガン、『』訳、、1997年9月20日。。 108ff 出典 [ ]• 2019年2月号 p86• , pp. 40f• , pp. 17, 87-95• , p. 341• , pp. 93-95• , pp. 99-101• , pp. 137-139• , pp. 139-140• , p. 140• , p. 148• , pp. 140-148• , pp. 150-156• 150• , p. 231• , pp. 156-165• , pp. 166-218• , p. 215• , pp. 217, 227• , pp. 223-224• , p. 220• , pp. 215, 226• , pp. 17, 128• 1995年2月の毎日新聞縮小版より• 『』38話「ホテル・ロイヤルの謎」など 参考文献 [ ]• 『フェルマーの大定理 整数論の源流』日本評論社〈数セミ・ブックス12〉、1984年8月。 足立恒雄『フェルマーの大定理 整数論の源流』日本評論社、1994年6月、第2版。 足立恒雄『フェルマーの大定理 整数論の源流』日本評論社、1996年5月、第3版。 足立恒雄『フェルマーの大定理が解けた! オイラーからワイルズの証明まで』講談社〈ブルーバックスB-1074〉、1995年6月。 Panchishkin, Alexei A. ; Manin April 2007 , , Springer, , 関連文献 [ ]• 足立恒雄『フェルマーを読む』日本評論社、1986年6月。 『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで』 訳、早川書房、1999年5月。 アミール・D・アクゼル『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで』吉永良正 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NF <数理を愉しむ>シリーズ〉、2003年9月。 『フェルマーの最終定理についてのノート その注釈と随想』山口周 訳、森北出版、2000年2月。 『解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡』日本評論社、1995年10月。 『 数論とフェルマーの最終定理』・ 監修、ナツメ社、2005年9月。 『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 訳、新潮社、2000年1月。 サイモン・シン『フェルマーの最終定理』青木薫 訳、新潮社〈新潮文庫〉、2006年6月。 『フェルマーの最終定理に挑戦 天才ガウスも断念』ナツメ社、1996年2月。 富永裕久『図解雑学 フェルマーの最終定理』ナツメ社、1999年10月。 『フェルマーの最終定理13講』 訳、共立出版、1983年7月。 Paulo Ribenboim『フェルマーの最終定理13講』吾郷博顕 訳、共立出版、1989年2月、第2版。 山口周『フェルマーの最終定理 証明への道具立てと発見的推理』東宛社、1997年4月。 小説 [ ]• 、 共著『最終定理』訳、早川書房〈海外SFノヴェルズ〉、2010年1月22日。 - フェルマーの最終定理の簡潔な証明に挑むスリランカの大学生を主人公にした長編SF小説。 クラークの遺作。 『[小説]フェルマーの最終定理』PHP研究所、2010年3月19日。 - フェルマーの最終定理に関連する数学史を対話形式で紹介した小説。 『ある数学狂の一世紀 まぼろしの定理に憑かれた男』講談社、1976年。 - フェルマーの最終定理の証明に後半生をかけた茂木学介の伝記。 保阪正康『数学に魅せられた明治人の生涯』筑摩書房〈ちくま文庫 ほ16-4〉、2012年2月8日。 - の文庫版。 『数学ガール フェルマーの最終定理』ソフトバンククリエイティブ、2008年8月。 - 3人の高校生と1人の中学生が数学にチャレンジする数学・青春・物語。 まんが版 [ ]• 『フェルマーの最終定理 萌えて愉しむ数学最大の難問』 漫画、 シナリオ、PHP研究所、2009年12月。 『数学ガール フェルマーの最終定理』 1 、 画、メディアファクトリー〈MFコミックス アライブシリーズ〉、2011年4月23日。 結城浩『数学ガール フェルマーの最終定理』 2 、春日旬 画、メディアファクトリー〈MFコミックス フラッパーシリーズ〉、2012年2月23日。 結城浩『数学ガール フェルマーの最終定理』 3 (完)、春日旬 画、メディアファクトリー〈MFコミックス フラッパーシリーズ〉、2013年3月23日。 さらに進んだ書物 [ ]• - との合冊、改訂版。 加藤和也『フェルマーの最終定理・佐藤-テイト予想解決への道』第1巻、岩波書店〈類体論と非可換類体論〉、2009年1月29日。 斎藤毅『Fermat予想』第1巻、岩波書店〈現代数学の展開 9〔11〕〉、2000年3月28日。 斎藤毅『Fermat予想』第2巻、岩波書店〈現代数学の展開 12〔12〕〉、2008年2月8日。 斎藤毅『フェルマー予想』岩波書店、2009年2月6日。 - との合本。 関連項目 [ ].

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かつてはニートだった!歴史上の偉人、成功者5人の紹介

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内戦によって分裂した国で育ち、学費を払うことができなくなったため、14才の時に学校をやめざるを得ませんでしたが、独学で猛勉強の末、17歳の時に奨学金を得てアメリカのオレゴン州立大学に入学。 その後、エミーグワリは蜂が巣を作るやり方からヒントを得て、世界最速のコンピュータを作り、また彼の研究は油田の生産性の向上に貢献して莫大なコスト削減を実現させるなど、実業分野においてこれまで大きな功績を残しています。 幼少時は学校が退屈過ぎてやる気がなかったため、当時の教師は彼が自閉症を持っていると疑ったほど (検査の結果、オブライエンは自閉症ではなく、単に学校の授業のレベルが彼にとって低すぎたことが原因だと分かった)。 13才でNASAのコンピュータにハッキングして、トップクラスのセキュリティサーバーからスペースシャトル計画に関する情報を盗み出すなど、世界を驚愕させる頭の良さを見せつけます。 ちなみに、オブライエンが会社「Scorpion Computer Services」を設立したのは、 犯罪捜査に協力することで自分が刑務所に入れられないようにするためらしいです。 IQ世界一ランキング12:リチャード(リック)・ロズナー(IQ 192) (出典:) リチャード・ロズナー(Richard Rosner)はIQが192もある天才ながら、異色の経歴の持ち主。 ロズナーの職業は脚本家、ナイトクラブの警備員、ヌードモデルなどである一方、ドミノピザのコマーシャルに出演したこともあります。 また、ロズナーは毎日30種類以上のサプリメントを飲み、2時間半以上筋トレをするなど、常軌を逸した行動が目立つ人物です。 IQ世界一ランキング12:ミスラフ・プレデベッチ(IQ 192) (出典:) ミスラフ・プレデベッチ(Mislav Predavec)は、クロアチア人の数学教授でIQは192。 「 非常に難しい知能検査は自分にとって最高の趣味だ」と言うほど頭を使うことが好きな一方、普通の人にとっては当たり前に出来ることが出来ないこともあるようです。 例えば、スマホにSIMカードを入れたり、何かの部品を取り付けるといった単純作業は、この天才には難しいらしく、普段は代わりに妻が行うそう。 ちなみに、IQが190を超える天才は10億人に1人と言われています。 IQ世界一ランキング11:ガルリ・カスパロフ(IQ 194) (出典:) アゼルバイジャン生まれのガルリ・カスパロフ(Garry Kasparov)は、史上最強のチェス選手の一人。 1996年と1997年にIBMのスーパーコンピュータ「Deep Blue」と対戦し、第1戦はカスパロフが勝ったものの第2戦はDeep Blueが勝ち、コンピューターがチェスの世界チャンピオンに初めて勝利した試合として知られています。 そんなカスパロフは文筆家や政治家でもあり、IQは194だと言われます。 IQ世界一ランキング10:クリストファー・ランガン(IQ 195) (出典:) クリストファー・ランガン(Christopher Langan)は、アメリカで最も高いIQの持ち主の一人。 4才までには独学で本を読むようになり、後に大学の授業が自分には簡単すぎるという理由で大学をやめてしまうほど頭が良いと言われています。 しかし、キャリアの面では行き当たりばったりの仕事 (例えば農場労働、森林消防士、ナイトクラブの警備員など)をいろいろとやってきており、その頭脳を生かし切れているとは言えないかもしれません。 それでも非常に高いIQを持つランガンは、「Cognitive — Theoretic Model of the Universe」という、認知心理学と物理学の関係についての理論を発表するなど、最高の頭脳の片鱗を見せています。 IQ世界一ランキング8:ニコラ・テスラ(IQ 200) ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)は、19世紀中期から20世紀中期に生きた電気技師で発明家。 現在多くの人に日常的に使われているもの(リモコンなど)を多く発明した天才で、そのIQは200近かったのではないかと推定されています。 ちなみにテスラは、1926年に携帯電話の発明をすでに予測しており、その頭脳の高さが伺い知れます。 IQ世界一ランキング8:ナディア・カミュコワ(IQ 200) (出典:) ナディア・カミュコワ(Nadia Camukova)はモスクワ生まれの大学教授で、 7か国語とトルコ語の8種類の方言を話すことが出来る頭脳明晰な女性。 現在はトルコで大学教授をしており、そのIQは200と言われます。 しかし、これはでっち上げだという話もあり、実際のところは良く分かっていません。 IQ世界一ランキング7:ネイサン・レオポルド(IQ 201) (出典:) ネイサン・レオポルド(Nathan Leopold)はIQ210を持つ天才児と言われた人物であると同時に、「 完全犯罪を成し遂げる」という強い願望を持った殺人犯でもあり、1924年にリチャード・ローブという人間と共謀して、ローブの14才のいとこを殺害した男性。 友人が少ない不幸な幼少期を過ごし、12才の時には女性家庭教師に性的虐待を受けたこともあるなど、偏屈した少年時代を過ごしたせいか、上のような願望にかられてしまいました。 明らかな計画的犯行だったにも関わらず2人とも死刑を免れ、レオポルドは後に仮釈放されるなど、その頭脳は常識を覆すほど明晰だったと言われます。 ちなみに出所後にはプエルトリコに移り住み、プエルトリコ大学で数学を教えたそうです。 IQ世界一ランキング6:キム・ウンヨン(IQ 210) (出典:) キム・ウンヨン(Kim Ung-Yong)は韓国で教授として活躍する男性。 幼少期にはすでに4か国語を流暢に話していた神童で、その時に測ったIQは210。 これは 当時のギネス記録でした。 韓国で生まれたものの、アメリカに渡って学び、その後はアメリカのNASAに10年間勤め、現在は韓国に戻ってきています。 キム自身は周りの人が羨む頭脳を持っていることで平凡な人生を送れなかったことを後悔しており、人間である以上特別な人になる以前に、当たり前の友情や人間関係などを育むことが大切だと常々説いており、 現代社会が忘れがちな重要なことを思い出させてくれる人物です。 IQ世界一ランキング4:クリス・ヒラタ(IQ 225) (出典:) ミシガン州生まれの天体物理学者であるクリス・ヒラタ(Chris Hirata)は、国際物理オリンピックにおいて最年少で金メダルを受賞した人物。 2001年にカリフォルニア工科大学で学士号を取得し、16才の時にNASAで働き始め、「火星への移住問題」にも取り組みました。 そして2005年、クリスが22才の時にはハーバード大学で物理学の博士号を取得し、現在はオハイオ州立大学で物理学及び天文学の教授として働いています。 そんなクリス・ヒラタは世界最高のIQを持つ一人であり、225にも達するとされています。 IQ世界一ランキング4:テレンス・タオ(IQ 225) (出典:) テレンス・タオ(Terence Tao)はオーストラリア生まれ。 香港から移民として移住してきた両親の下へ生まれた男性で、そのIQは225。 現在生きている天才の中でも最高のIQを持つ人物の一人です。 15才の時に初めて論文を発表し、21才の時にアメリカのプリンストン大学で博士号を取得し、 24才の時には史上最年少でUCLAの教授になりました。 IQ世界一ランキング3:マリリン・ボス・サバント(IQ 228) (出典:) アメリカはミズーリ州生まれのマリリン・ボス・サバント(Marilyn vos Savant)のIQは228で、世界最高のIQの持ち主の一人。 1986年には世界最高のIQとしてギネスに認定されたこともあります。 サバントは1980年代半ばから雑誌パレード(Parade magazine)にコラムを連載しており、また、脚本家としても知られている一方、別なことでも有名。 それは、サバントの夫は人工心臓を初めて開発したロバート・ジャービックという人物で、2人は「 ニューヨークで最もIQの高い夫婦」に選ばれたからです。 IQ世界一ランキング2:ウィリアム・J・サイディス(IQ 250以上) (出典:) ウィリアム・サイディス(William J. Sidis)は天才児として知られた子供時代を過ごすも、大人になってからはその才能を満足に発揮することなく若くして亡くなってしまった男性。 母は当時にしては珍しく女性でありながら医者として働く秀才で、父は大学教授と、エリート家族の下に生まれた結果、英才教育を施され、 子供の頃のIQは250を超える天才児であったと言われます。 一方で、 英才教育のせいでウィリアムは子供らしく過ごす時間を持つことができませんでした。 そのため、ウィリアムは9歳でハーバード大学の入試に合格しましたが、「感情の未成熟」を理由に12才まで入学を認められませんでした。 また、大人になってからはあちこちの街を転々として行き当たりばったりの仕事をしたり、頻繁に名前を変えるなどしていたため、その才能に見合った実績を上げることは出来ませんでしたが、なかには現在「ブラックホール理論」として知られている理論について書かれた本もあります。 そんなウィリアムは脳卒中によって若干46歳の時に亡くなってしまい、 天才的な頭脳を思う存分発揮させることなくこの世を去ってしまった未完の天才です。 IQ世界一ランキング1:アイナン・コーリー(IQ 250以上) アイナン・コーリー(Ainan Cawley)は1999年にシンガポールで生まれた天才児。 7才の時にOレベル (英国教育システムで行われる義務教育終了の全国共通試)の化学の試験に世界最年少で合格してしまった頭脳を持ち、 そのIQは250以上、または263から349の間にもなるとされ、現在 世界最高のIQを持つと言って良い人物です。 そんなコーリーは、円周率を少数点以下518桁まで暗唱できる他、作曲も手がけるなど、才能を発揮する分野も多岐に渡ります。 合わせて読みたい世界雑学記事• 多くの天才達が歴史的な貢献をする一方、中にはその才能を十分に発揮出来ない人物もいたりと、高いIQが全てでないことは分かりますが、それでも圧倒的な高いIQを持っているのはなんとも羨ましい話です。

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フェルマーの最終定理

アンドリュー ワイルズ

アンドリュー・ワイルズ 360年もの問題を解き明かした天才数学者 アンドリュー・ワイルズは1953年4月11日にイギリスに生まれたの数学者です。 彼はフェルマーの最終定理を解き明かしたことで有名です。 フェルマーの最終定理の解き明かしにはオイラー、ガロア、ノイマンなど多くの有名な数学者が挑みました。 名のある数学者は全て挑んだといっても過言ではないでしょう。 しかし誰一人として証明をすることができませんでした。 そのためフェルマーの最終定理の証明は無理ではないかと言われていたのですが、彼は見事フェルマーの最終定理が成り立つことを証明したのです。 そしてアンドリュー・ワイルズは努力家でもあります。 周りは彼の事をさげすんだりバカにしたりしましたがそれでも彼は諦めることなく7年の歳月をかけて彼の夢を果たしたのです。 アンドリュー・ワイルズは幼少期にフェルマーの最終定理に出会う アンドリュー・ワイルズは数学的な才能を幼少のころから持ち合わせていました。 しかしその能力が原因で辛い思いもしてきたました。 彼の数式の解き明かし方があまりにも複雑で中学受験には受からなかったというエピソードがあります。 評価をする側の能力が追いつかなかったのです。 実際はその計算の答えは合っていたといわれていますが、採点者が彼の才能を潰してしまいました。 そして彼が後に証明することになるフェルマーの最終定理には彼が10歳の時に出会います。 そのとき彼は数学の道に進み、いつかフェルマーの最終定理を解き明かそうと決心しました。 アンドリュー・ワイルズの挑戦はケンブリッジ大学を卒業してから やがてアンドリュー・ワイルズはケンブリッジ大学に入学し、ジョンコーツという、後に彼のフェルマーの最終定理の証明に関わってくる重要な人物に出会い、その教授の元で数学を学びます。 博士号も彼の元で獲得しています。 このころのアンドリュー・ワイルズの業績には、岩澤(健吉)主予想の解決(バリー・メイザーとの共同研究)やバーチ・スウィンナートン=ダイアー予想に関する貢献(コーツとの共同研究)などがあります。 ケンブリッジ大学を卒業してから彼のフェルマーの最終定理への挑戦が本格的に始まります。 上のような経歴もあったため数学者としては有名ではありました。 しかし フェルマーの最終定理が あまりの難問であったため、 取り掛かることを 周囲から止められていたのです。 やがて谷山志村予想が、半安定な場合について解決したという事を発表します。 そして、その系としてはフェルマーの最終定理を証明したという発表を行いました。 フェルマーの最終定理を証明するにあたって重要な理論が谷山志村予想です。 谷山志村予想は全ての楕円曲線はモジュラーであるという事を発表したのですが、これに欠陥が見つかったという発表をケンリベットが発表します。 アンドリュー・ワイルズは、フェルマーの最終定理を解き明かすには、谷山志村予想が理論的に成立しないことを証明することだ。 これが、フェルマーの最終定理の証明にも繋がるということを知ります。 ここからアンドリュー・ワイルズは本格的にフェルマーの最終定理の証明に挑みます。 7年間の沈黙 その間に秘かに研究を続ける 彼はここから7年間、別の研究を行いながらフェルマーの最終定理に挑戦します。 しかし後に力を貸してくれる教官コーツからはフェルマーへの挑戦を止められてしまいます。 楕円曲線がワイルズの専門分野外であったこと、多くの優秀な学者が挑戦して敗れ去っていることが理由でした。 しかしワイルズは少年の頃からの夢であるフェルマーの最終定理の証明に挑みます。 なかなか研究はうまくいきませんでした。 その時フラッハという学生の論文に出会い、今までの固定観念を捨て新しくアイデアを出すという事に専念しようと、研究方針を変えまます。 そして7年目にバリーメイザーという学者の論文から大きなヒントを得てフェルマーの最終定理の証明に成功しました。 その後のアンドリュー・ワイルズ アンドリュー・ワイルズは大きな賞賛を得て数学の世界では知らない人はいないほどの有名人になりました。 その実績を買われオクスフォード大学で講師をし、彼の実績や言葉に魅了されて彼の講義の受講を希望する大学生も増えています。 アンドリュー・ワイルズがケンブリッジ大学の大学院生だった頃のジョン・コーツ、当時共同研究を行っていたバリーメイザーだけは彼の成功を信じて色々とサポートをしていました。 アンドリュー・ワイルズの研究の成功は彼らのサポートがなければ無しえなかったかもしれないと感じられます。 アンドリュー・ワイルズの名言の中に 「大切なことは考え抜くことである。 もし壁にぶつかってしまった時は、定石になった考え方は何も役には立たない。 だから新しい考え方をする必要がある」 という言葉があるのですが私自身それを容易にできてしまう事が彼の凄いところだと思います。 納得はいくのですが普通は怖くて行動できないでしょう。 時間をかけて積み上げたものをゼロにしてまた新しいものを積み上げる。 成功したいからこそ持っているものを捨てる勇気は実にすごいと思います。

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