こんな村いやだ。 おらこんな村いやだ

「おらこんな村~いやだ~♪」とは

こんな村いやだ

昔から変な人に、好かれる。 好かれるというか、好まれる。 「アタシってぇ〜ぜんぜん好きじゃない人にめちゃくちゃ好かれるですぅ〜困っちゃいますぅ〜」とまんざらでもなさそうにしている人間と一緒にしないでくれ。 わたしはそうじゃない、そうじゃないんだ。 ただ毎日を一生懸命生きているだけなのに、突然目の前に見ず知らずの人間に理解不能な性癖を披露されるんだ。 変質者に遭遇したことなんて何度もある。 見ず知らずの男性に尻を触られたことも、見ず知らずの車に連れ込まれそうになったことも、見ず知らずの男性器を見せつけられたことも、当然ある。 でもそんなことは日常茶飯事すぎて、今更人に話してキャーキャー言うほどのことでもない。 自称ダーザインというおっさんに「あなたは…あなたは僕の女神です…」と言われて『永遠なんてなかった』というタイトルの全7部作の詩集のプレゼントされたこともある。 もらった詩集があまりにも不要だったのでブックオフに売りに行ったが、もちろん値段なんてつくわけもなかったので、今でも実家に保管してる。 膀胱炎になってしまい仕方なしにオムツを履いて複数のバンドが出演するライブイベントに行ったとき、ライブ中に顔の見えない屈強な男性に後ろから抱え込まれてオムツの中に手を突っ込まれ「ハァハァ…もしかして君もそういう趣味なの…?」と具をこねくり回されたこともある。 わたしが屈強な男に具をこねくり回されていたときにステージに立っていたザ50回転ズのことは今でも恨んでいるので、あれから一度も聴いていない。 通学中に全身チェック柄の服を身に纏った芸人のほっしゃんにそっくりのおっさんに長い時間目を見つめられながらものすごい強い力で尻を捻られたこともある。 痛かった、ものすごく痛かった。 あれからほっしゃんのことも嫌いになった。 最近ほっしゃんをテレビで観る機会が減って、わたしの心の平穏は保たれている。 すすきのを歩いていたら「君はドMだろう?僕にはわかるよ」と言われて女性の乳を釘でベニヤ板に打ち付けられ流血している写真を見せられながら「僕の3人目の奴隷にならないか?」と誘われ、恐怖のあまり「申し訳ございませんがわたしにはすでに忠誠を誓ったご主人様がおりますので…」と断って逃げたこともある。 忠誠を誓ったご主人様なんていねぇよバカ!!! 警察にも行った、お祓いにも行った。 なのに変わらない、なぜだ、なぜなんだ。 もうこんな生活いやだ!!! 北海道か?! 北海道という変態すらも全てを受け入れるほど広大な大地が悪いのか?!?! おらこんな村いやだ!!!!! 北海道を離れ、大阪に住み始めて早2ヶ月。 現在、友達がひとりもいないというアラフォーのおっさんから、わたしを口説こうとするメッセージとともに、毎日プロ野球の勝敗報告LINEが送られてきている。

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吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ 歌詞

こんな村いやだ

東京にあるオフィスを退社、時間はすでに夜11時を回っていた。 昨日も一昨日も同じ。 明日も明後日も同じだろう。 連日連夜の残業で身も心もぼろぼろ。 電通のことは、とても他人事とは思えない。 そんな状況が続くと、ついつい叫びたくなる。 「もうこんな会社いややー。 こんな人生いややー。 しかし、日本のクソ労働環境にあえいでいる東京に住む人は、1年我慢しても改善されることはない。 むしろ、人口減による人手不足も重なり、もっとひどくなっていく可能性すらある。 「おらこんな村いやだ 東京へ出るだ」と吉幾三が唄ったのは20数年前。 最近は「こんな村社会はいやだ」と東京を離れる若者が少なくない。 彼らが向かう先は海外。 不景気の憂さを忘れるため旅行するわけではない。 国外で就職、あるいは起業する人々が増えつつあるのだ。 ダイヤモンドオンライン 東京のイケメン男子の末路は……社畜のおっさん 東京生活が楽しめるのは、せいぜい大学3年までの間だ。 それもコミュ力があるリア充に限る 大学4年から、就活などという愚にも付かない通過儀礼が始まる。 何十枚ものエントリーシートをせっせと書いて、暑い日も寒い日も没個性なリクルートスーツに身を包み、何社も何社も会社訪問しなければならない。 そして、激しい競争をくぐり抜けて、ようやく就職できたとしても、そこは決して安住の地などではない。 そのおっさんからどやされながら、朝から晩まで延々と働いていくことになる。 そして、自分がそのおっさんと同じくらい歳になったとき、若い新入社員をどやしながら「最近の若いもんは……」とぼやいたり、ネットで悪態をついていたり する自分がいることに気付く。 哀しいかな、東京のイケメン男子の末路は、社畜のおっさんである。 それも、激務で疲れ果て、うつろな目をした「逝け面」の社畜。 東京圏に住む40代〜50代の年収300万円以上の 妻子有りの男性の2人に1人が、自宅に居場所がない「 自宅難民」 だそうだ。 以前の産経新聞では、夫婦喧嘩の原因第1位は「誰のお陰で食えるんだ」とあった。 あれだけ長時間労働が蔓延していたら、家族間の距離が離れていくのも当然と言えよう。 それ以上でもそれ以下でもない。 そこに夢も希望も無い。 空気は汚いし、電車はすぐ止まるし、人は多すぎるし、緑は少ないし、労働環境は酷すぎだし、物価は高いし、社畜は死んだ魚のような目をしてるし……。 観光で短期滞在するならまだしも、サラリーマンとして定住するような街ではない。 では、どこを目指すのか。 このブログで何度も言っているように、海外である。 海外脱出というのは、地方から上京するのに比べて敷居は高い。 問題としては、言葉の問題、文化の問題とビザの問題が挙げられる。 まず、言葉の問題。 これは、勉強すればよいだけだ。 もちろん時間はかかるけど。 次は、文化の問題。 「なんか海外生活ってカッケー」という思いだけで、海外生活を成功に導くのは難しい。 パリ症候群のようになるかも。 しかし、このブログの読者であり、日本の村社会や労働環境に疑問を持つ人であれば、案外海外の方がなじむかもしれない。 逆に、「電車は時間通りじゃなきゃダメ」「客は神様なのだから」「空気読め」という考えの人は海外には向いていない。 黙って社畜になってください。 最後に、ビザの問題。 国によって大きく異なるので、一概には言えない。 特に先進国は年々厳しくなっている。 自分はどこの国に行きたいのか、どういうスキルを必要なのかを把握して、計画性を持って進めれば、決して高い壁ではない。 これ以外にも苦労することもある。 私は、それらを乗り越えてでも、挑戦する価値があることだと思っている。 日本は変わらないし、これからどんどん悪くなっていく。 だから…… 「ブラック企業」という言葉が一般語になり、長時間労働の弊害は以前にも増して、多くの国民の間に知られるようになった。 そんな中、安倍晋三首相は、「モーレツ社員をなくす」「非正規という言葉をなくす」などと相変わらず口当たりが良いことを言っている。 しかし、私は、日本が短期間で良い方向に変わることはとても期待できないと思っている。 変わるには、途方もない時間がかかる。 日本は変わらないけど、自分を変えるのならできる。 もっと正確に言うと、自分を変えなくても、自分を取り巻く環境なら変えることができる。 環境があなたを変える。 必要なのは、第一歩を踏み出す「やる気」だけだ。 だから、行動を始めよう。 新年の目標なんて言わず、今すぐに。 高齢化や人口減という大災難が日本を直撃する前に。 美しい星であるニポンカイギ彗星から分裂したアベシンゾー隕石やカイケン隕石が日本に落ちる前に。 "Hello. I'm Yugi. Your name is... " 俺は由自。 君の名は? "Nice to meet you. " よろしくね 英語のノートに書かれていそうなこういう会話から始まる新しい出会いがきっとある。

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吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ LYRICS

こんな村いやだ

今更ですが、なんで東京に出てきたんだろって 振り返ってみました。 もう30年以上もいるんですね。 私の出身地はです。 今となってはという 何となく「アキバ」を感じさせる地名ですが、 (正式には「アキハク」と読みます) のにより、 2005年に誕生した比較的新しい地名です。 私が生まれたのは、1969年。 その頃は、「」という とてつもないど田舎でした。 (ど田舎とは言っても、田舎大好き!) 地平線が見えそうなほど 周りは果てしなく続く田んぼばかり。 国内有数のお米どころです。 両親は共働きで、父は農協の職員 母は町工場のパートで働いていました。 働きながら田畑もやっている働き者。 いわゆるというやつですね。 父は6人兄弟の長男だったので、 祖父母も同居している、比較的大所帯。 そんな家の次男として生を受けました。 忙しい両親からは、かまってもらった記憶がありません。 でも祖父母がいたので、私はおじいちゃん子だったと思います。 おじいちゃんの名前は「良吉」 (私の名前の1文字はここから来ました) 曽祖父(ひいじいちゃん)の残した借金を返すため、 井戸掘りという重労働をして非常に苦労をしたそうです。 で、この良吉じいちゃん、右腕がありませんでした。 井戸掘りで怪我をしたわけではないようですが、 なにかの怪我で、壊疽になり切断したと聞いております。 でも左手一本で何でも器用にこなすんです! 母から聞いた話ですが、私の布おむつも交換してくれたそうです。 すごいですよね!! おじいちゃん、ありがとう! こんなじいいちゃんあっての私ですが、 とても怖い思い出があります。 それはベルトをムチのようにして追い回された記憶です。 幼い頃なので理由は完全に忘れてますが、 兄弟喧嘩をすると仲裁に入るでもなく、 ベルトを持ったじいちゃんに追い回され、 兄弟で泣き叫んで逃げ回った記憶があります。 今それやったらDVとか虐待とか言われるんでしょうけど 昔ってそんな教育だったんですかね? っま田舎ですし、いい家の育ちでもなかったですから。 この話は、お盆に帰郷すると、決まって出てくるネタです(笑) でも、孫のことをいつも思ってくれるじいちゃんは大好きでした。 小さい頃から、特別な才能もなく、 これといって勉強が得意でもありませんでした。 いたって普通。 そう、普通の子。 強いて言えば、図画図工は好きだったかな? あと、音楽。 特に合唱が好きでした。 なぜかと言えば 「いい声してるねぇ~」 って言われたからです(笑) はい、褒めて伸びる子です! 爆) でもそれだけです。 その後に入ったり、合唱部に入ったりしてません。 てか、ありませんでした・・・ リーダー的存在でもなかったですが、 ノリはよかったです。 遊びに誘われれば速攻行きます。 私が育ったところは、小さなもあったので、 小学生の時なんかは、よく山に探検に行ってました。 秘密基地作ったりね(笑) そういえば探検とかいって山に入ってたけど、 方位磁石もなければ、食料や水なども持っていかなかったなぁ~ ずいぶん無謀というか、ワイルドな遊びをしていたものです。 実際迷った事もしょっちゅうでしたけどね。 グランドでは放課後の遊びといえば野球でした。 毎日日が暮れるまでやるんですけど、あまり上手くはなかった。 でも、純粋に楽しかった。 うん、楽しかった。 冬になれば大雪が降るので、登下校がすでに遊びです。 が歩道に大量の雪を積み上げ、そこを歩いてゆくのですが 山あり 谷あり氷あり!! 子供にとって格好の遊び場です。 しかし、この歳になった今、あの道を通りたくはありませんが 笑 あと楽しかったのはミニスキーですね! 長靴にプラスチックの短いスキーを固定して滑るやつ!! あれはめちゃくちゃおもしろい。 雪国ならではの楽しみでした。 そんなこんなで遊びほうけた小学生時代ですが、 友達に遊びに誘われると、ついノリで行っちゃうんです。 が、共働きでということもあり、 両親は猫の手も借りたいくらい忙しかったでしょう。 ですので、家の手伝いを頼まれる事もしばしば。 しかし、しょっちゅう遊びに行っちゃうもんだから、 手伝いを忘れたり、サボったりしてました。 だって、友達みんな家の手伝いする子とかがいなかったんです。 周りの友達は、サラリーマンの家かだったり、 作り酒屋や、材木屋だったりで、手伝いしなくていいな~~とか思ってました。 当然頼まれごとをしなければ怒られます。 そうなると自分の思うようにいかなくなるもんだから、 「こんな家に生まれてこなきゃよかった」 とか平気で言ってました。 なんて勝手なやつでしょう! 小学生の俺!! よく母に 「親になってみればわかる」 と口癖のように言われましたが、 今となっては痛いほどよくわかります。 そんな自分勝手な小学生の良博は、 いつしかテレビの中にある都会に憧れだします。 ここには何もない。 けど東京に行けば何でもある!と.

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