君 の 膵臓 を たべ たい 読書 感想 文。 『君の膵臓をたべたい』part9 (約1950字)

膵臓が食べたくなる7つの理由

君 の 膵臓 を たべ たい 読書 感想 文

まさか、2018年最初に読み終えた本がこれになるとは思いもよらなかった。 こちら2015年に出版された住野よるのデビュー作である。 僕自身はもともと、小説の中でももっと 暗くてひねくれたやつを好んで読む傾向があります。 具体的に何とかはないけど。 そんな僕の好みとは対極に位置する眩しすぎるほどの本書。 話題になったときから本の存在は認知していたけど、どうせ、少女漫画みたいな展開のありふれた 余命青春系ラブストーリーだろ、決めつけてかかりどこかで敬遠していた。 そんな中、たまたま会社の先輩からこの本を借りる機会があって、せっかくなので読んでみたというわけ。 まあ、読後の最初の感想としては、 「なんだこのありふれた 余命青春系ラブストーリーは、、、、」 いえ、別に非難しているわけではない。 ただ、よくある展開の中でも心が温まるというか、いや澄んだ心を持つのは素晴らしいなと。 正直、何番煎じかわからないほどのありがちな恋愛ラブストーリーだとは思う。 それでも、本書ならではの感動と感心する展開があったのは事実。 斜に構えず、純粋な心で読み進めていくと、ちょっと切なく、ほっこりした気持ちになれて心地よい読後感が得られる。 そんなこんなでざっと思うことを書いた。 あらすじ ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。 タイトルは「共病文庫」。 それはクラスメイトである山内桜良が綴っていた、秘密の日記帳だった。 本書引用 冒頭一行目から 「クラスメイトであった山内桜良の葬儀は~」といきなりヒロインの死が確定して物語はスタートする。 病気の秘密を知ってしまったことで、 人との関わりを避けてきた内向的な 僕と、 明るく天真爛漫でクラスの中心的な存在の 桜良が、接点を持ちお互いに心を通わせていく形で物語は進んでいく。 「君の膵臓をたべたい」の意味について 冒頭に「 昔の人はどこか悪いところがあると、ほか他の動物のその部分を食べた」「そうしたら病気が治るって信じられていたらしいよ」と説明がなされている。 ここでタイトルの意味を明かしたかと思いきや、最後にお互いのことを君の爪の煎じて飲みたいとの表現を改めて、 君の膵臓がたべたいと送り合う。 正反対な二人だと認めながらもお互いに自分の欠けている部分を持っているそれぞれに憧れていたという共通の気持ちを示しあい終わる。 つまり 君のようになりたかったということを二人にしか伝わらない方法で表現している。 一見すると、猟奇的な言葉をお互いを尊重しあっている意味に変換して捉えることができるようにした点は素晴らしいと思った。 また恋愛小説とは思わせないギャップのある斬新なタイトルにしたのも惹きつけられる一因かと。 印象的な桜良のセリフ 「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。 偶然じゃない。 運命なんかでもない。 君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が私たちを会わせたの。 私たちは自分の意思で出会ったんだよ」 本書引用 偶然、運命ではなく、自分の意思で選択してきた結果。 そんな考え方は自分の現状を自分の力で引き寄せることもできるという意味が込められていると思った。 主体性を持った行動するものにとって自信に繋がる勇気づけられる一節でないかと思い感銘を受けた。 また、名前の由来の話題になったときの主人公のセリフで 春を選んで咲く花の名前、は出会いや出来事を偶然じゃなく選択と考えてる、君の名前にぴったりだって思ったんだ。 本書引用 と言った返しも秀逸でうまいなと。 んで、 共病文庫の中での 17年、私は君に必要とされてるのを待っていたかもしれない。 桜が春をまっているみたいに。 本書引用 と記されているところにリンクしている点も素晴らしい。 ラストシーンの解釈 もう、怖いと思わなかった。 で締めくくられるラスト。 共病文庫の中の桜良の推測として、 僕が桜良の名前を呼ばない理由について、 「いずれ失うってわかっている私を「友達」や「恋人」にするのは 怖かった のではいないか? 当たっていたら、墓前に梅酒でも置いといて 笑 」 とある。 そして、その後の恭子との墓参りのシーンで 「お供え物はその時に買ったお土産なんだ。 学問の神様がいた場所にできた梅で作られてたものだ。 」 とあるため、桜良の推測は的中していたと考えて間違いないでしょう。 主人公は 人と関わりから逃げることがなくなったということだと思う。 まとめ ちょっと鼻につく会話のやり取りもあるが、比較的読みやすく、素直に感動できる作品だと思った。 その感動は普遍的な恋愛小説のようなお互いの気持ちが通い合うことによる感動と主人公の人間的な成長に対しての感動の二面性が味わえる。 おしまい Advertisement 関連する記事• 2019. 2020. 12 「吾輩は猫である」に匹敵するほどに有名な夏目漱石の代表作の「坊っちゃん」。 この本を自ら手にとる人ってどんな人なんでしょうか? 僕が最初に夏目漱石を読[…]• 2019. 2019. 26 このブログでは、いくつかの本の感想や書評なるものを書いてきたが、僕自身、学生時代は読書感想文が嫌いだった。 というか読書感想文って書く意味あるの?とす[…]• 2019. 2020. 12 「小説 おすすめ」 と検索すると、キュレーションサイトなどでやたら目につくこの本。 初版が発行されたのは1986年にもかかわらず、近年再びの注目を浴び[…]• 2017. 2019. 27 あらゆる自己啓発本の頂点に立つ本。 決して誇張ではない。 そう感じざるを得ない本だった。 結構前に話題になっていてドラマ化、アニメ化もされ[…]• 2017. 2019. 12 ほんとに意味わからないくらいに憂鬱になっちゃう夜ってありますよね。 タイトルに惹かれて衝動買いした本書は、作品名通り、何もかも憂鬱な夜に捧げる最適な本[…].

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君 の 膵臓 を たべ たい 読書 感想 文

「君の膵臓をたべたい」一発目のインパクトにやられた。 なんの本なんだろう。 カニバリズム的な類なのか。 それにしては桜色の淡い色調の表紙につかず離れずの高校生の男女がふんわりと描かれている。 完全なるジャケ買いだった。 金額や手に収まるサイズ感などから文庫本が好きな私としては珍しい買い物だった。 きっと恋愛ものだろう。 でも恋愛の中で膵臓が食べたくなる感情って? なんとなくいつもはしてもらわないブックカバーを店員さんに頼み、多少過激とも思われる表題を隠した。 帰宅までそわそわとした気持ちを抑えられず、私は電車の中でそっと表紙を開いた。 そして共病文庫の持ち主であり、膵臓に疾患を患い僅かな余命を満喫しようとしている山内桜良。 「僕」は病院でふと目にしたノートを見つけた。 表紙には共病文庫。 なんとなく開いたそこにはクラスメイトである山内桜良は余命が残りわずかだということを知る。 思いがけず秘密を知ることになった僕は、半ば強引に彼女の「死ぬまでにやりたいこと」を遂行する相棒として振り回されることになる。 少し引っかかったのはとても大人びた言葉を使う高校生達だな、ということである。 僕、は他者とのコミュニケーションを極力避け本の世界に没頭していただけに論理的かつ冷静。 彼が大人びた ある意味古めかしい 言葉を使う事にはなんら疑問はなかったが、気になったのは山内桜良である。 自身の疾患や死を自虐的に、きっとこれ以上ないレベルのジョークにして飛ばす。 そしてドヤ顔をかます程である。 これこそブラックジョークというのかと感服した。 それに対して僕は死に対する軽々しい言動に逆に戸惑ってしまう反応すらある。 そしていつも明るく、死というものに独特な価値観を持つ。 この年代に余命宣告をされれば完全にうろたえ泣きわめく日を過ごしそうだが、そうではない。 この子、本当に死ぬのかな? と思わされるぐらい活発なのである。 しかし、後半になって感じる明るく活発な彼女の背中から見え隠れする死への恐怖。 ああ、やっぱり怖いよね。 ここでなんとなくホッとした自分がいた。 死が怖くないわけがない。 ましてや高校生、これからの生活がキラキラ輝いている年代だ。 彼女はひとりが、そして忘れられることが怖いのだ。 彼と一緒にいることで心を蝕む恐怖を払拭しようとしているのだ。 そう考えると切なくて仕様がなかった。 死ってすぐ傍にある。 明日、明後日、何年後、ゴールとして確かにある。 しかしそこまでのプロセスがよく見えないがために蔑ろにしてしまう。 考え直そう。 明日あたりにでも出不精な彼を誘って、ホルモンを食べながら「私が病気ならどうする?」と聞いてやるのだ。 きっと彼はうろたえるだろうがそれでいい。 お互いをもっと大事にしよう。 いつ死ぬか分からないなら必死に今を生きて、君を大切にして愛を語る。 読んだあとはそんなほんのり寂しい気分だった。 少し自分に触れる人を大切にさせてくれる、そんな気持ちにさせられる本だった。 (20代女性) 固定ページ: 1.

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小説『君の膵臓をたべたい』読んで泣けるネタバレあらすじ!

君 の 膵臓 を たべ たい 読書 感想 文

作者: ツイッター:[ ] 出版: 人は死んだらどうなるのだろう、どこへ行くのだろう、そもそも死ぬとはどういうことなのだろうか。 「死」について考えている時に、この本に出会いました。 この本には、二十七個の質問をもとに今までの自分を変えさせてくれるような言葉や、心から共感出来るような事がたくさん書かれていました。 特に印象に残っているものを挙げていくと、まず、人は常に「命がけで生きている」ということです。 私はよくこの言葉を耳にしていましたが、正直しっかりとは理解をしていなかったように思います。 そこで分かったことは、人はみな生まれた瞬間から必ず死ぬ存在であり、だから人は、命がけで時を過ごしていて、日々何をするのも命がけで行っているということです。 今、こうして文字を書いている時も命がけで書いているのだと思うと、その意味するところのすばらしさを感じました。 一分一秒は止まらず過ぎていっているので二度と過去に戻ることなど出来ないからです。 今を一生懸命過ごそう、そう思うことが出来ました。 次に、「普通」は当たり前の事ではないというものです。 以前ある本を読んだ中で、重い病にかかっている一人の少女が言った言葉があります。 それは、「普通でいい、普通がいい、普通にしてください。 」という言葉です。 私はその言葉が本当に心に響きました。 その少女にとって、色々なことを普通に出来るということは決して当たり前ではなく、奇跡なんだと思いました。 そんな中で自分は毎日を普通に過ごしていてはいけないと気付かされました。 毎日学校に行けること、食事が出来、睡眠がとれること、まわりに人がいてくれること、全てに感謝をしながら毎日を過ごしていきたいと思います。 普通は当たり前ではなく幸せなことなのだとしっかり胸に刻んでいきたいです。 この本の題名は、「あした死ぬかもよ?」です。 もし今、あなたは明日死にますと言われた場合、自分は何を思って何をするだろうかと考えた時、やはり一番に思うことは、まだ死にたくない、でした。 こう思うことは正直当たり前かなと思ったけれど、人はいつ死ぬか分かりません。 いつ何が起きてもおかしくありません。 と考えることにしました。 もしこれが最後の食事だったらと思うと、いつもよりもっと味を確かめ、よく噛んで食べるだろうし、もし親と会うのが最後だったらと思うと、日頃の感謝をしっかり伝え、残りの時間を楽しむと思います。 そう考えて過ごすことで、毎日を普通に、当たり前に過ごすことはなくなるのではないかと思います。 私がまだ小学生だった頃、身近な人が亡くなり、「死」というものを初めて意識し、深く考えさせられました。 その時はただ死ぬということが怖くて、一週間眠れない日が続きました。 けれども高校生になった今では少なからず考えは変わってきています。 「死」が怖いことは変わらないが、誰でもいつかはやってくることですし、生きているから死があるわけであり、死ぬということはどうしても避けられません。 しかし同じように、それまでは生き続けることも避けられないということを知りました。 いつかその時が来るまでにどのくらい一生懸命生きるかで最後は変わってくると思います。 人間にしかない本能に、「喜ばれるとうれしい」というものがあるそうです。 人から感謝されることはとてもうれしいことです。 私の考えですが、何かをする時に見返りを求めて行動するのは良くないことだと思います。 私は常に、「ありがとう」の言葉こそ最高の見返りだと思っています。 ですから、自分もありがとうの感謝の言葉はしっかり伝えていきたいと思います。 この本の冒頭に、「人生最後の日、なにに泣きたいほど後悔するだろう?」というものがあります。 私が絶対に死ぬ時に後悔したくないことは、何事にも最後まで感謝を伝えきれないことです。 特に、自分の親にはしっかり伝えたいです。 しかしそれは今からでも出来ることです。 大きな事は言えなくても、小さな事からなら始めることが出来ます。 そんなことはいつでも出来ると思ってしまいがちですが、いつでも出来るなんてことはないのだそうです。 私はこの先感じたありがとうを今、素直に伝えていけたら良いと思います。 私は幼い頃からよく「死」について考えてきましたが、この本に出会い「死」について少し理解出来たように思うので、胸の内にうずまいていた疑問や恐怖も少しずつ解きほぐされ、ずいぶん楽になったような気がします。 死んでからのことを考えるのではなく、死ぬまでにしなければならないこと、それは精一杯生きることです。 誰にも負けないくらい、真っ直ぐに生きていきたいと思います。 そのようなことを感じさせてくれた本でした。 引用元:[] 本の詳細:[].

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