高橋 源一郎 ラジオ。 高橋源一郎の飛ぶ教室【秘密の本棚】NHKラジオ~今回の秘密の本棚は~

作家・高橋源一郎が朝井リョウにブチ切れ!? 「お前売れてるからって天狗になってんじゃねえぞ」

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4月3日 金 よりスタートする新番組<高橋源一郎の飛ぶ教室>。 今回「読むらじる。 」では、高橋源一郎さんが1冊の本について語りつくすコーナー「秘密の本棚」をお届け。 ピックアップされたのはフランスの作家カミュの『ペスト』。 新型コロナウイルスの流行する現在ともリンクするこの不気味な小説に、高橋さんは巨大な災厄と戦う意義を見いだします。 【出演者】 高橋さん:高橋源一郎さん 作家 小野アナ:小野文恵アナウンサー カミュに聞く! 感染症と戦うためには 小野アナ: 「秘密の本棚」に行きましょう。 この時間の先生は源一郎さんです。 きょうはどんな本でしょうか。 高橋さん: きょうの本はアルベール・カミュ著『ペスト』です。 小野アナ: ごく簡単な本の紹介は私からさせていただきます。 著者の作家アルベール・カミュは1913年アルジェリア生まれ。 今から107年前ですね。 1942年に発表した小説『異邦人』で「不条理の哲学」を打ち出して戦後の世の中に大きな影響を与えました。 1957年にはノーベル文学賞も受賞しています。 高橋さん: 44歳でノーベル賞受賞ですから、めっちゃ若いです。 小野アナ: きょうの本『ペスト』は1947年にカミュが発表した作品。 舞台はアルジェリアのオラン市です。 ある朝、医師のリウーがネズミの死体をいくつか発見するところから物語が始まります。 その後、原因不明の熱病になる人が続出。 感染症ペストが発生したことが分かります。 死者が急増し、感染拡大を防ぐために町は封鎖。 孤立し、厳しい状況の中で、人間の尊厳を懸けて連帯し必死に戦う市民たちの姿を淡々と描いた長編小説です。 高橋さん: カミュがノーベル賞を取った直接の作品はこの『ペスト』。 すごく評価されていたんですね。 日本でもずっと売れていてロングセラーなんですけど、実はコロナウイルス影響下でものすごく今売れている。 小野アナ: そうなんです。 中国の武漢市が封鎖されたことしの1月下旬ごろから売り上げが急増して、2月の中旬から3月にかけては1万4000部を増刷するほどの話題になっています。 高橋さん: 10日ぐらい前、某ネット書店で第3位。 それぐらい、みんなが求めていたところがあると思いますので、きょうはこれをやろうと思います。 小野アナ: 『ペスト』を選んだ理由は、やはり新型コロナウイルスですか。 高橋さん: そうですね。 新型コロナウイルス感染で、今世界中が大パニックに陥っています。 こういうのは過去何度もあって、そのたびに同じようにパニックを繰り返している。 「そんなときに何を考えて、どう対処したらいいか」ということを作家たちが過去何回もやってきています。 ロンドンのペスト禍でダニエル・デフォーという人がペストについて書いたものもあります。 カミュの『ペスト』は1947年ですけど、1945年に終わった第二次世界大戦、ナチスや戦争をベストにたとえたといわれているんです。 それも含めて、人間の力を超えた大きなものに襲われたときに、人はどう混乱して、どう立ち向かうかを徹底して考えた小説。 今読むならこれしかない。 小野アナ: 実は今回初めて読みました。 高橋さん: どうでした? 小野アナ: 私、本当にアルジェリアのオラン市でペストが大流行したのかと思って、だまされてしまったぐらい…。 高橋さん: ドキュメンタリーのタッチで書かれているんですね。 小野アナ: 架空のお話なんですが…。 高橋さん: とは思えないですよね。 無力でも続けなければならない戦い 高橋さん: 冒頭はこう始まっています。 4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは診療室から出かけようとして階段口の真ん中で1匹の死んだネズミにつまずいた。 とっさに気にも止めず押しのけて階段を下りた。 しかし、通りまで出てそのネズミがふだんいそうもない場所にいたという考えがふと浮かび、引き返して門番に注意した。 最初は「あれ? ネズミの死骸が変なところにあるな」から始まって、たくさんのネズミの死骸が発見される。 市民たちが「何かおかしい」と思っているうちに、ペスト患者が次々出てくる。 これがこの小説の始まりの部分です。 450ページもある大長編を15分で話すのはとても無理です。 小野アナ: では、注目ポイントを。 高橋さん: ベルナール・リウーという人を含めて、何人か基本となる登場人物がいます。 個人的にモラルを持っている彼らが、人間としてどう立ち向かっていったか、というのがこの小説のテーマになっているんです。 小野アナ: ベルナール・リウーは医師ですね。 最初にネズミを発見した。 高橋さん: たくさん死者が出始めたころに、医者たちや市の幹部が集まって保健委員会が開かれるんですよ。 リウーは「ペストだと分かったので、早くペストだと宣言しなきゃいけない」と言うんだけど、「いや、まだ確定はできない。 もし間違っていたら…」と。 この辺が、いろいろ考えさせられる。 小野アナ: そうですね。 こういうことが起きたとき…。 そういう人たちはいつも遅いんですよね。 このあとペストがはやりだして、オラン市は封鎖されます。 閉ざされる。 これは今各地で起こっていることと一緒ですね。 小野アナ: 「この国には入れません」とか。 高橋さん: ペストとコロナウイルスはもちろん同じではありません。 けれども、「本質的なところでは一緒だな」と小説を読んで感じます。 ものすごい数の死者が出てきます。 オラン市だけで何万人と亡くなっていく。 その中で医師リウーはずっと全力で戦い続けるんです。 「なんでそんなに頑張るんだ?」と…。 重要な登場人物でタルーという人がいます。 覚えておいてください。 小野アナ: タルーは、何というか、風来坊みたいな…。 高橋さん: ある日突然現れて、オラン市で起こっていることを書き留めている謎の人物なんです。 この謎の人物とリウーは心が通い合うようになる。 タルーの正体はあとでまたご紹介します。 タルーがリウーに「なんでそんなに頑張ってやるんだ? みんな責任を取ってやっていないじゃないか」と聞くと、リウーはこう言います。 医者になったときですね。 僕のような労働者の息子には特別困難な道だったかもしれません。 そうして、やがて死ぬところを見なければならなかった。 知っていますか。 どうしても死にたがらない人たちがあることを?聞いたことがありますか。 1人の女が死のうとする瞬間に「いやいや、死ぬのはいや!」と叫ぶ声を。 僕は聞いたんです。 そうして、自分はそういうことに慣れっこにはなれないと、そのとき気が付いたんです。 医者だから、仕事で死に慣れちゃう。 すると、責任というのは出てこなくなるんです。 リウーという人は医者である前に人間だった。 これが彼の原則だったから、死に慣れない。 慣れないまま、大量のペストの死に立ち向かっていく。 こういうことも言っています。 リウーは暗い気持ちになったようであった。 「確かに理由にはなりません。 しかし、そうなると僕は考えてみたくなるんですがね、このペストがあなたにとって果たしてどういうものになるか」 タルーが聞くんですね。 リウーは言った。 「際限なく続く敗北です」と。 小野アナ: 「敗北」。 高橋さん: つまり「自然の脅威には絶対かなわない」と。 小野アナ: ペストの猛威の前に、できることが何もない。 高橋さん: 「でも、何かをしなきゃいけない」という戦いがこれから続くんです。 「われわれはみんなペストの中にいる」 高橋さん: このあと、タルーという人が動き始めるんです。 大量の死者が出て、市の機能が崩壊しそうになっています。 タルーが突然リウーのところにやって来て、「民間の防衛隊を作ります」と。 患者を運んだりするために役人だけじゃ足りなくなっているので、「自分が民間の防衛隊を」と。 小野アナ: 医師の手助けを。 高橋さん: それって仕事でもないし、死の危険がある。 でも、タルーはやろうと言う。 小野アナ: 命懸けのボランティア。 高橋さん: なんでタルーはそんなことを言ったのか。 そのところがもう1つの大きいテーマになるんです。 このタルーという人は謎の人だったんです。 謎の人なのに、頭脳も明せきで、リウーをよく理解して手伝ってくれて、民間のボランティアもする。 なんでこんな自己犠牲できるんだ? 物語の終わり3分の1ぐらいで、タルーが初めてリウーに告白します。 自分が何者かを言うんです。 タルーのお父さんは検事だった。 タルーは若いときに、お父さんが犯人に死刑を要求するところを見て以来、「あれは間違っている。 誰かを死刑にできる権利を人間は持っているんだろうか?」 彼はそういう制度に反対する運動に関わるようになるんです。 そのまま世界をさまよって、このオランに到着した。 ここでも死がたくさん。 それを見て、自分の命を懸けて市のボランティアに。 タルーはこういうことを言います。 「われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身ぶり一つもなしえないのだ。 全く僕は恥ずかしく思い続けていたし、僕ははっきりそれを知った。 われわれはみんなペストの中にいるのだ、と。 そこで僕は心の平和を失ってしまった」 小野アナ: どういう意味ですか? 高橋さん: もう1か所でもこう言っています。 「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。 なぜかといえば、誰一人、全くこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。 そしてひっきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、他の者の顔に息を吹きかけて病毒をくっ付けちまうようなことになる。 自然なものというのは、病菌なのだ」 ここが、この小説の一番難しいところといわれています。 小野アナ: 難しいですね。 高橋さん: 普通にペストの話をしているうちに、「われわれはみんな自分のうちにペストを持っている」。 小野アナ: まだなっていない人もいっぱいいる中で? 高橋さん: これはどういうことか考えてみたんです。 さっき死刑の話が出ましたよね。 社会は必要だから死刑制度を持っています。 でも、みんな自分は見ないふりをしている。 例えばですよ。 ものすごく安い服を僕らは買います。 でも、その安い服はどこか、それほど発展していない国で貧しい女の子が悪い環境で作っている。 あるいは、僕らが食べているものの中には、どこかの農地を汚染して作ったものがあるかもしれない。 僕らはちょっと知っているんだけども、見てみないふりをして生きている。 小野アナ: 誰かの命を損なうようなことに加担している。 高橋さん: それを考えすぎると生きていけない。 だからふだん考えないようにしているんです。 タルーという人は考えちゃう人なんです。 ペストということを描きながら、広い世界をカミュは描いていたんです。 小野アナ: なるほど。 高橋さん: 結局タルーはどうなったか。 ペストは最終的に終息に向かうんです。 ところが、終息が分かった段階でタルーがペストにかかって亡くなる。 これは自己犠牲ではあるんです。 「忘れずにいること」の意義 高橋さん: 最後のほうでリウーは総括をしています。 何万人の人間がオランで死んで、病毒に立ち向かったよき人たちもみんな死んでしまった。 では結局、何が変わって、何が起こったんだ? こう言っています。 タルーは勝負に負けたのであった。 自分で言っていたように。 しかし、彼 リウー は一体何を勝負に勝ち得たであろうか。 彼が勝ち得たところはただペストを知ったこと。 そしてそれを思い出すということ。 友情を知ったこと。 そしてそれを思い出すということ。 愛情を知り、そしていつの日かそれを思い出すことになるということである。 ペストと生との賭けにおいて、およそ人間が勝ち得ることのできたもの、それは知識と記憶であった。 恐らくはこれが「勝負に勝つ」とタルーの呼んでいたところのものなのだ。 たくさん死んでしまったわけじゃないですか。 だから、負けといえば負けなんですよね。 コロナウイルスでもたくさんの人が亡くなりました。 まだ終息していないから勝ち負けで言うのもおかしいんだけど、たくさんの被害が残る。 そのときに僕らに何ができるか。 立ち向かった人と、そのように立ち向かったという記憶。 それを忘れないということ。 それが大事なんだということが、ある意味たった1人で戦ったリウーの総括になるんです。 これはペストを描いているんですけど、彼にとっては2年前に終わった戦争。 戦争もたくさんの人が死んだけど、覚えていればいい。 でも、忘れちゃうでしょう。 日々がたっていくうちに「あの戦争、どうだったっけ」と。 小野アナ: そうか。 そういうふうにペストと戦争が重なっている。 高橋さん: 僕らは、ギリギリまで個人で戦って、負けるかもしれない。 でも、「こういうふうにやったよ」ということを覚えていることだけはできるんじゃないのか。 小野アナ: なるほど。 高橋さん: この小説の最後はこう終わっています。 ペスト菌はけっして死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古 ほご の中に辛抱強く待ち続けていて、そして恐らくはいつか人間に不幸と教訓をもたらすためにペストが再びそのネズミども呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。 ペストは1つの感染症ではあるんですけれど、もっと大きな、人間を陥れる不幸すべて。 「その大きなものに対して、きちんと立ち向かえよ」というのがたぶんカミュが言いたかったことなのかな。 小野アナ: その意味で「勝負に勝つ」ことは私たちにできるのでしょうか。 高橋さん: ねえ…。 小野アナ: まとめのひと言は、いただけるんでしょうか。 高橋さん: まとめるのが難しいんで、このあとゲストと一緒に考えましょう。 小野アナ: 分かりました。 では、ひとまず。 きょうの「秘密の本棚」は、カミュ著『ペスト』から引用させていただきました。 番組の後半では、漫画家のヤマザキマリさんをゲストに迎えて、カミュのペストについてさらに深い話をしました。 またヤマザキさんは、現在の新型コロナウイルスに関して、家族が住むイタリヤと日本では意識の違いや温度差があることにも言及。 ぜひ、聴き逃しでお聴きください!.

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高橋源一郎の飛ぶ教室

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高橋源一郎の飛ぶ教室 NHKラジオ 高橋源一郎の飛ぶ教室 NHKラジオ 高橋源一郎の飛ぶ教室がNHKラジオで毎週金曜日午後9時5分から放送されています。 小さいときラジオっ子だった私にとっては、どこか雰囲気が昔のラジオを思い出させ、しかも中身は知的好奇心を搔き立てる、非常に楽しみなラジオ番組になっています。 高橋源一郎さんと小野文恵さん、そして毎週のゲストのトーク。 何だか大好きだったかつての永六輔さん遠藤泰子さんの「永六輔の誰かとどこかで」 「六輔七転八倒」を思い出させます。 高橋源一郎の飛ぶ教室【秘密の本棚】NHKラジオ 50分の放送は前半後半に分かれ、(間のピアノのチャイムもいいですね) 一コマ目は高橋源一郎さんが現代の世相や時局を分析し、おすすめの一冊の本を「秘密の本棚」として紹介。 高橋源一郎さんが先生ってことですね。 二コマ目は、その道のスペシャリストをゲストに、源一郎さんが知りたいことを聞き出します。 今度が高橋源一郎が私たちリスナーと同じ生徒役。 楽しみな番組なので、今週の「秘密の本棚」はどんな本だったかを備忘のため残していきたいと思います。 秘密の本棚は滝沢カレン著 ゲストはミュージシャンの尾崎世界観さん。 秘密の本棚はブレイディみかこさんの 新作のエッセイ 飛ぶ教室の前半と後半で同じ本を扱うのは初めてではなかったでしょうか。 ブレイディみかこさんといえば、2019年本屋大賞受賞の が有名です。 今日の冒頭の源一郎さんの話 前回の放送の直後、おそらくはSNSでの誹謗中傷のせいで、一人の若い女性が命を絶ちました。 その痛ましいニュースを耳にしながら僕は、この番組でも紹介した新型コロナウイルスの流行以降世界中で最も読まれている本「カミュのペスト」のある登場人物の言葉を思い出しました。 (中略) 誰でもめいめい、自分の内にペストを持っているのだ。 なぜかといえば誰一人、全くこの世に誰一人、その病気を免れている者はないからだ。 そうしてひっきりなしに自分で警戒していなければちょっとうっかりした瞬間に他の者の顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。 自然なものというのは病菌なのだ。 その他(ほか)のもの、健康とか無傷とか、なんなら正常と言ってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決して緩めてはならないのだ。 立派な人間、つまりほとんど誰にも病菌を感染させない人間とは、できるだけ気を緩めない人間のことだ。 しかし、そのためには、それこそよっぽど意志と緊張をもって決して気を緩めないようにしていなければならないのだ。 口から出る息に含まれ他人に感染して傷つけるもの、言うまでもなくそれは言葉に他なりません。 ペストは、いやあらゆる人を傷つけるウイルスを僕たちはみんな持っているのです。 僕は半世紀以上前からカミュの愛読者で、およそ手に入るものはみんな読んできましたが、今の言葉にカミュが生涯をかけたメッセージが詰まっていると思っています。 人を傷つける言葉を吐くことがいけないことは誰でもわかる。 けれどもなぜかカミューは誰一人、全くこの世に誰一人、その病気を免れている者はいない、というのです。 誰でも自分は正しいと思って言葉を発します。 それでもその言葉はどこかで誰かを深く傷つける、どんな言葉でも。 それが嫌なら沈黙するしかありません。 それを知りながらカミューは言葉を発すること、書くことをやめませんでした。 だからカミュの言葉は自信たっぷりではなく、戸惑いながら自分自身を疑いながら、怯えながら書かれています。 それだけが、ペストのように感染し、人を傷つける言葉にならない可能性を持つことを知っていたのです。 あとがきのタイトル「コロナウイルスが過ぎた後も僕が忘れたくないこと」 コロナウイルスの過ぎた後、そのうち復興が始まるだろう。 だから僕らは今からもうよく考えておくべきだ。 いったい何に元通りになって欲しくないのかを。 戦争が終わると誰もが一切を急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。 苦しみが僕たちを普段であれば、ぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓は(?)たちまち煙と化してしまうものだ。 僕たちは今地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。 数々の真実が浮かび上がりつつあるがそのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。 もし僕らが今すぐそれを記憶にとどめぬ限りは。 2コマ目のゲストは詩人伊藤比呂美さんの人生相談。 ちなみに本日朝日新聞にちょうど源一郎先生の記事が載っていたのはこちら(途中から有料会員しか読めませんが・・・) 高橋源一郎朝日新聞「歩かないで考える」 余談ですが、本日は検察法改正法が委員会で強制採決されるかどうかというギリギリのところで来週に結論が持ち越された1日でした。 病気や戦争とは話は全く違うかもしれませんが、絶対反対という今日の思いを忘れないうちに記憶にとどめておかなければ、と思いながら本日の放送を聞きました。 8:05から約2時間の拡大verだそうです。 課題図書は 夏目漱石の そして太宰治の 番組で読書感想文を募集しているそうです。 締め切りは4月30日。 どちらも心が重たくなる本ですが、こういう時期だからこそ、源一郎先生が選んだのかもしれません。 楽しみです。 ゲストは小説家の島田 雅彦さん、文筆業の能町 みね子さん。 2時間楽しませてもらいました。 ドリフターズの停電の中での生放送を彷彿させる、まさかのアクシデント。 「こころ」がboys love とか、「人間失格」の最後のあたりの解釈とか、「好きに読んでいいんだよ」ってことを改めて感じました。 う~ん。 「俺には俺の守るべきダメさがある」ってセリフもまるで自分に言い聞かせたいようなセリフでした。 本日の冒頭の話から 緊急事態宣言が出てからすっかり生活が変わってしまったという方も多いのではないかと思います。 警戒をしながらそれでも外で仕事をしなければならない人たちがいます。 テレワークで今ずっと家にいて仕事をしなければならない人たちもいます。 そしてこの時期仕事をなくしたり、休まざるを得ずずっと家にいらっしゃる人たちも多いと思います。 突然訪れた休暇に戸惑っている。 どう時間を過ごしたらいいのか分からない、そう話しててくれる知人もびっくりするほど多いように思います。 (中略) まるで社会全体が突然の長期休暇を取らされたかのようです。 あるいは、そうですね、子供のころ以来何十年かぶりに夏休みが来たようにも思います。 早く元の世界、社会に戻りたい。 そう思いながら同時にほんの少し、心の底で、夏休みを味わっている自分に気づきます。 とりわけ、小学生の低学年だったころの夏休み。 あの頃夏休みは永遠に続くかのようでした。 そして、終わらなければいいのに、とも思いました。 学校と言う社会、勉強という子供の義務から離れ、それほど教育のプレッシャーが強くなかった60年前、一言でいうなら夏休みは子供の僕にとって自由の象徴そのものでした。 (中略) 子供だった僕たちは夏休みの過ごし方を知っていました。 でも大人になった僕たちはその過ごし方を忘れてしまっているような気がします。 だとするなら、もう一度夏休み、長い休暇の過ごし方を学びなおす必要があるかも知れません。 あの頃夏休みを過ごした僕たちはずっと大人になって、成長して戻ってきました。 今度の夏休みもそうだったら・・・ もっとずっと成長して戻ってこれたらいいですね。 今現在も、最前線でコロナと闘ってくれている方々もたくさんいることには、感謝してもしきれません。 私だって、今後の生活を考えると不安だらけです。 今のこの時間を夏休みと表現することは「不謹慎だ」と感じる人がいるのかも知れません。 それでも、私は生きてはいます。 「この休みが終わらなければ」とどこかで思う自分もいます。 そういった中、この「夏休み」をどう過ごしていくか考えさせられる話でした。 今日の冒頭の話はTED- ベンジャミン・ザンダー: 音楽と情熱からです。 ザンダーはその講演の最後にアウスビッツ強制収容所の生き残りのある女性の言葉を伝えています。 15歳の時列車でアウシュビッツに連れてこられた彼女は、一緒に来た8歳の弟が靴をなくしたのを見て「なんて馬鹿なの自分のこともできないなんて」と言いました。 悲しいことにこれが彼女が弟に最後に言った言葉になりました。 弟は生きて戻れなかったのです。 彼女は誓いを立てました。 生きて戻れるならそれが最後の言葉になるとしたら耐えられないような言葉を二度と言わないこと。 彼女にとって言葉とはそういうものになったのです。 言葉を大切にしてください。 それが音楽家ザンダーのメッセージでした。 今のような時代に、ラジオにおいてもまた。 いやあ、ほんとに源一郎さんの言葉、本当にしびれる。 果たして自分はどれだけ言葉を大切に口にし、そして書けるか・・・あまり考えると書けなくなりそうです。 ザンダーのTED、音楽と情熱は下記からも視聴できますので是非。 今日は、その「風の12方位」という短編集から「オメラスから歩み去る人」の後半の朗読。 マイケルサンデルの「これからの正義の話をしよう」でも例に取り上げられているのだそう。 読み終わった後、小野アナが感想を求められて「ものすごく大きな岩をドーンと投げ込まれて、受け取ったはいいけどどうしたらいいんだろう・・・」と唸ってしまったのもよく分かります。 オメラスから一人立ち去った人はどこに向かったのだろう? 今日の題名のように「自分だけの答えを見つけよう」ってことなのでしょう。 高校の国語の授業は、「論理国語」「文学国語」などと変わっていくとされています。 そういった今、文学のすばらしさを伝える荒川洋治さんの「文学は実学である」というエッセイを、源一郎さんが朗読している部分(聞き逃し視聴だと17分50秒くらいから)は多くの中高生にも是非聞いてもらいたいと思いました。 ちなみにその朗読部分は に載っているそうです。 「我々はなぜ1918年のウイルスがあれほどまで致死的だったのかさえ理解しておらず、したがってそのようなウイルスが再び現れた時にそれを食い止めるために何をなすすべきか未だ知らない。 」という部分はまさに現在にまで続いているのだなと思わされました。 ゲストはいとうせいこうさん。 高橋源一郎の飛ぶ教室「0時間目」【秘密の本棚】はアルベールカミュ著小説「ペスト」 ケストナー「飛ぶ教室」からこの番組名はとったとのこと。 テーマ曲は菊地成孔さんだったんですね。 ゲストはテルマエロマエで有名なヤマザキマリさん。 何だか、小説の中の話しが、あまりに今のコロナ騒ぎと似ていて、0時間目の秘密の本棚の1冊として選んだのもよくわかります。 kasikoi.

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飛ぶ教室の高橋源一郎・ラジオ・ペストが話題

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NHKラジオ第一「すっぴん」(月曜日から金曜日午前8:30~)が3月で終了してしまった。 金曜日「源ちゃんのゲンダイ国語」の愛聴者だった私は少々気落ちしていた。 金曜日には、午後9:00から「飛ぶ教室」が始まると語られていたが、これまでの生活リズムがあり諦めていた。 ところが、何の気なしに聞いてみると・・・。 2020.4. 9(金)「100年前の感染症から学ぶこと」 暫く、拝聴していなかった懐かしい語り?で番組は始まった。 何と「金曜日 すっぴん 源ちゃんのゲンダイ国語」と変わらないではないか。 あの部分だけお引越しして、1時間番組となったことが判明。 それならそうと、番組終了時に言ってほしかったものを。 たぶん私の聞き取り方が悪かったのかもしれない。 お相手のアナウンサーは小野文恵さん。 今日は小野文恵さんはスタジオから、源一郎さんは「新型コロナウイルス」のためテレワーク、つまりご鎌倉の仕事場から電話での放送となっている。 7都府県に「緊急事態宣言」が出され、今日は最初の週末。 絵本作家の五味太郎さんへのインタビューの様子をお伝えしたいで、始まった。 「新型コロナウイルス」でみんなが不安になっている時、どう思いますかと、第一声を。 その前は安定していたのかと、逆に尋ねられてしまった。 子供達には今こそ考える時、今がチャンスと言いたいと。 流行る前に戻りたい、戻るといい、という考えが多いが、あれは良かったのか、あれで良かったのかを考えるべき。 行きたくもないのに学校へ行けと言われているのは、入りたくもないお風呂に100まで数えてイヤイヤ入っているのと同じ。 学校化社会、言われるからイヤイヤ学校に行き卒業して社会へ巣立つ。 その仕事場へ好きで行くのか、ただイヤイヤ行っていたのか。 本当はどういうことなのか。 考える時ではないのか。 一コマ目 秘密の本棚 現代の世相や時局を分析しお勧めの一冊を紹介し、現代社会を生き抜くヒントを与えてくれます 「史上最悪のインフルエンザ:忘れられたパンデミック」アルフレッド・クロスピィー著 みすず書房 当時、20億の人口で5億の人がかかった。 少なく見積もって250万人以上の死者を出したといわれている、1918年~1919年のインフルエンザ(通称「スペイン風邪」 、忘れられた病気、最大の教訓。 第一次世界大戦の最中、戦争で死んだ人より多かった。 社会・政治・医学史入力またがる史上最大規模の疫禍の全貌を初めて明らかにした感染疫学・疫病学史研究の必読書。 「そんなことがあったね。 」で終わっているスペイン風邪。 「スペイン風邪」のことはあまり言われてこなかったが、実はアメリカからだった。 デトロイトとかカンザツ州からという説がある。 第一波は1918年3月から流行って、一時消えたが、兵士がヨーロッパへ持ち込み大流行した。 第二波が一番大きかった。 もう一度、アメリカへ戻って流行った。 再び現れた時にどうするか、未だ知らない。 第三波はアフリカ・アメリカ・ヨーロッパの三ヶ所で同時感染大爆発。 フィラデルフィアで大流行するかもしれないと言われていたが、自分たちは大丈夫だと思っていた。 侮って濃厚接触してしまい、その結果世界中に広がっていった。 ひと月で1万人に広がっていった100年前の「スペイン風邪」。 第一次世界大戦で死んだ人が多かったのに、なぜ「スペイン風邪」は忘れられたのか。 忘れられたファンデミック。 フォークナーとかヘミングウェイなど、当時の作家たちの周りに亡くなった人が多かったのに、「スペイン風邪」のことを殆ど書いていない。 なぜ書かなかったのか。 忘れられているからか。 アメリカでは100万人かかって5万人が亡くなった。 人間は、自分たちがかかりそうにもなく、かかれば死んでしまうペスト・エイズ・結核といった日常にないもの、非日常に怖さを感じ忘れないし書き残すのではないか。 インフルエンザは、所詮、風邪だろうと、響きが吞気。 人間がもつ日常生活にいると安心できる。 心の持ちようが今のコロナと一緒。 怖くないよ、普通だよという人間の気持ち。 しかし、戦争やペストといった非日常は怖い。 人間は楽に生きようとする。 ただ、「正しく恐れよ。 日常のものだ。 」と、都合よく忘れている。 寺田寅彦の言葉にある「正しく知って、正しく恐れる。 」を教訓に、忘れられない過去にするためには、きちんと学ぶこと歴史に学ぶことが大事。 ここで、源一郎さんのリクエスト曲「ジュピター」歌 平原綾香 (「惑星第1組曲」ホルスト作曲 より 1918年9月ロンドンで正しく、「スペイン風邪」大流行の最中に初演された曲。 ) 二コマ目 その道のスペシャリストをゲストに、源一郎さんが知りたいことを聞き出す。 今日の先生はいとうせいこうさん。 いとうせいこう(伊藤正幸)さん、ご自宅から 1961年生、東京都出身 作家、書籍「国境なき医師団を見に行く」「想像ラジオ」「ノーライフキング」「ボタニカルイフ」等、多数 クリエイター 日本語ラップの先駆者 今、この時期にこの人はどう動いているのか、気になる。 「スペイン風邪」で1億人も死んでいるけれど忘れている。 東日本震災の時、東北の日本海沿岸地域には、津波の記録があったのに、過去の津波を無視して道路を造り開発していた。 印刷されたもので残していかなければならない。 未来へバトンをきちんと渡す。 言葉で痕跡、跡を残す。 100年前の「スペイン風邪」の痕跡がないのだ。 今回の「新型コロナウイルス」の100年後、別なピンチがあった時、人類はきちんと冷静に対処できるように、冷静に書いておかなければならない。 生々しいと考える余裕がなくなる。 いとうせいこうさんは、2016年に「国境なき医師団」の取材に出かけられ、書籍「国境なき医師団を見に行く」に表す。 「スペイン風邪」について、当時の日本の様子を調べてみました 当時の日本の「スペイン風邪」の様子はどうだったのだろうか。 今日のお話の中で疑問に思ったので、調べてみた。 現在、「新型コロナウイルス」の渦中でその教訓が生かされているような情報はない。 第一次世界大戦で日本は特に戦場になっていないので、影響はなかったのだろうか。 様子を知りたかった。 ところが、神戸新聞によると、日本では約2300万人が感染し、亡くなった人は約38万人。 この人数に関しては、資料によってかなり違いがある。 当時も、学校が閉じられマスクが高騰し、現在と似た状況だった。 そして同様に外出自粛が呼びかけられていたが、徹底されていなかったことで蔓延の要因となる。 100年前の教訓に学んだのか 終息するまでには、1918.1月~1920. 12月と、約3年にも及んでいる。 その最中、関東大震災も起こった。 更に金融恐慌が追い打ちをかけ、アメリカの株価大暴落に始まる世界恐慌へと進んでいく。 100年前の教訓は現在に活かされているのであろうか。 全く話題になっていないということは、活かされていないことになる。 源一郎さんのお話にあった「100年前の歴史に学ぶ」、なるほどと思う。 明らかに歴史は繰り返すのだから。 いとうせいこうさんが語っていたように、折角書面で残したとしても、都合の悪いことはシュレッターにかけて破棄してしまっては元も子もない。。 何処かで聞いた「時の政府」の話ではないが、こんな事を政治家たる者やってはいけない。 「新型コロナウイルス」について、国内の現状を詳細に書き残しておいてほしい。 100年後の子孫たちの為に。 もしかしたら、長寿社会になっていて書面ではなく語り部が生き証人として存在しているかも知れない。 そうあって欲しい。 100万部という空前のベストセラーとなっているカミュの「ペスト」を今読んでいる。 文庫本であるが、正直、なかなか読み進み辛い。 若い頃に読んだ事があるような気がする。 何とか読み終えよう。 一匹のネズミの死骸から、物語は始まる。 カミュ「ペスト」の翻訳者は、後書きに「カミュがこの小説で描きたかったのは、病気そのものよりも人々に無作為に降りかかり、また人間の技術を持ってしても克服することのできない不条理さでした。 」と、語っている。 「新型コロナウィルス感染症」の現状と全く変わらない。 個人的に、セミナーや講座、講演会等、予定していた学ぶ機会が全てキャンセル状態になってしまった。 致し方ないが、「高橋源一郎 飛ぶ教室」は当面の間、自宅に居ながらにして学ぶことができる唯一の機会なのかもしれない。 考えさせられてしまうし、書物を選択するきっかけにもなっている。 追記 2020. 4.17 緊急事態宣言、外出自粛2週目の夜を鎌倉の施設スタジオからインターネットを使ったテレビ電話で。 鎌倉の街を歩くと人影はまばらで静まり返っている。 いろいろキャンセルが多く、次に人と会うのは9月かもしれない。 違う時間を過ごすようになった。 人と人との距離が遠くなることをソーシャルディスタンスというが、18歳の時、最強のソーシャルディスタンスを経験した。 学生運動で捕まって独房にいたので、8ヶ月の間に、人と全く会わず、たとえ会っても金網越し。 当時、せっかくこれほどまでに人とも会わないので、やれることをやろうと考えた。 生涯で一番本を読んだ。 一番手紙を書き、一番手紙をもらった。 ソーシャルディスタンスの8ヶ月の間、ここから出てからもこの生活を続け、1分1秒を大切にしようと思った。 しかし、出た瞬間忘れた。 その時、一番楽しみだったのは、壁の上から流れてくるラジオだった。 スタジオには小野さん一人。 「慣れましたか、源一郎さん。 スタジオの外が大変です。 電話がつながらなかったとか何とか、シッチャカメッチャカのドタバタです。 始まったばかりなのに離ればなれで寂しいですね。 」 「こういうことは二度とないかもしれないので、貴重な時間だと思っていきましょう。 」 一コマ目 秘密の本棚「霧中の読書」荒川洋治著 荒川洋治(あらかわようじ 本名ひろはる):1949年福井県生まれ 26歳で、詩集「水液」でデビュー、日本の現代詩作家、随筆家、批評家、小林秀雄賞、日本芸術院会員 日本芸術院会員は定員120人で、現在99人 詩人は5人のみ、だから日本のトップ4の詩人 素晴らしい批評家でもありエッセイストで3~4年に1回出品される作品を楽しみにしている。 「霧中の読書」荒川洋治著 ごめんなさい、作品の内容記述については省略させて下さい。 「らじるらじる」で数回試みましたが、内容を押さえ正しく書き留めることは、極めて困難でした。 そして、豊かな表現力と語彙を勝手に変えてしまっては申し訳ないと言う思いがありましたので。 読後、作品について読んだような気になる、読みたくなる作品が多い。 素晴らしい作品がこの世にあるのだという紹介。 つまり、読書感想文だがうまい。 読書感想文を日本人は一番多く書いている。 わずか、800字でわかった気分にさせる。 作家は書きやすいから、良い人ではなくて悪い人を出す作品を多く書く傾向にある。 いい人を書くのは難しい。 この本はいい人ばかり。 読むべき本を紹介してくれる。 知ると知らないでは違う。 読む人を一変させてくれる。 荒川洋治さんのエッセイ「忘れられる過去」2004年講談社エッセイ賞受賞 「文学は実学である」と、荒川洋治さんの思いを いい文学を紹介するのを課されている。 この世を深く豊かに生きたいという人になりかわって。 この目に見える現実が現実。 文学は世間では役に立たないと言われている。 魅力を教えない、語ろうとしない。 社会問題を機に、漱石、鴎外は教科書から消えた。 大学から、看板が外された。 文学像が壊れているというのに。 何でもいいから、知ることと知らないことでは大違いで、一変させる。 文学は虚学ではない。 実学と言われている医学、経済学、哲学、法律学科学等など、目に見えて役立つと言われてきた学問が怪しくなってきている。 文学も実学だ。 今の時代、どのようにして生きるのか、何が大切なのか。 生き方を5000年、考え続けてきているのが文学。 その中で、「ペスト」が一番ではないか。 何よりも心を強く持たせてくれる。 文学は実学である。 源一郎さんが選んだ1曲 「ミスティー」 エロール・ガーター 作曲、自らピアノ演奏 初めて聴いた曲ですが、「霧中」の雰囲気を漂わせていた。 まるで荒川洋治さんの世界そのもの。

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