ジョーカー ネタバレ 解説。 映画「ジョーカー」感想ネタバレあり解説 笑いの仮面の下に隠された過去が辛すぎる。

ジョーカー(Joker)のネタバレ解説まとめ

ジョーカー ネタバレ 解説

英国の映画雑誌エンパイアが、2018年に投票で決めた「映画史上最も印象に残る悪役ランキング」というのを参考にして見ると、「 サイコ」のノーマン・ベイツや「 羊たちの沈黙」のレクター博士などの有名な悪役が並ぶ中、「 スター・ウォーズ」のダース・ベイダーに次いで2位となった人物が、今作の主人公「ジョーカー」であります。 DCコミックが誇る闇の騎士、バットマンが掲げる正義と対極にあたる価値観を持つヴィランとして作り出された彼ですが、実は原作コミックで1話限りの登場予定だったそうで、紆余曲折を経て今も尚愛されているキャラクターであります。 バットマンは鍛え抜かれた筋肉と様々なガジェットを駆使して悪を成敗するヒーローですが、ジョーカーは決して特殊な能力を持った悪役ではありません。 トランプを使ったり銃を撃ち鳴らす程度の武器で応戦しますが、彼の最大の武器は先読みする頭脳と様々な知識や知性によって生まれた歪んだ考えをバットマンにぶつけ、彼が掲げる正義を篩い落とすのであります。 この魅力あふれるヴィランを、 ジャック・ニコルソンや、 ヒース・レジャー、 ジャレット・レトといった個性派俳優たちが演じてきました。 コメディ寄りであったものの独特な高笑いで怖さを助長させたものもいれば、あまりに役に入り過ぎて苦悩し命を落とした者、限りなく美的なビジュアルを追求した者。 どれも根っこはジョーカーの持つサイコパスをどう表現するかって所にたどり着くわけですが、演者によって全く違うジョーカー像に我々は常に興奮してきました。 さて今回、このジョーカーを主人公にしたお話が公開されます。 予告編を見る限り、明らかにこれまでのアメコミ映画が漂わせる空気はありません。 どこか悲しげで虚ろげで、哀愁と狂気が同居した何とも言えない雰囲気。 彼の誕生譚をなぜこれまでやってこなかったのか、そしてなぜ今になってやるのか。 分断が濃く表れた現代に標準を合わせてる気がする今作。 早速鑑賞してまいりました!!!• 作品情報 DCコミックのヒーロー・バットマンの最大のライバルと称されたヴィラン、ジョーカーの誕生譚。 コメディアンを夢見る純粋で優しい男が、なぜ狂気に駆られた悪のカリスマに変貌を遂げたのか。 歴代アカデミー賞俳優たちが積み重ねてきたジョーカー像。 気が付けば下手に演じることの出来なくなったこのキャラクターに、怪優が迫真の演技で新たな歴史の1ページを刻んでいく。 第76回ヴェネツイア国際映画祭で最高の賞にあたる金獅子賞を受賞した今作。 アメコミ映画が歴史ある賞で栄誉に輝くことは前代未聞であり、その中身に世界中が注目。 自分こそがよければいいと弱者に無関心になりつつある現代社会に、彼はどんな牙をむけるのか。 予想もつかない展開に見る者の心をつかんで離さない衝撃作がいよいよ幕を開ける。 あらすじ 本当の悪は、人間の笑顔の中にある。 「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー( ホアキン・フェニックス)。 笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる【悪のカリスマ】ジョーカーに変貌したのか? 切なくも衝撃の真実が明かされる!(HPより抜粋) 監督 今作を手掛けるのは、 トッド・フィリップス。 これまでたくさんのコメディ映画を手掛けてきた監督が、なぜ急にシリアスなドラマに舵を切ったのか。 フランク・ミラー原作の「 ダークナイト」を読んでジョーカーに興味をもったそうで、大混乱の象徴であり、過去が明らかにされていない数少ないキャラを映画にしたいと思ったんだとか。 そして 今作にどんなメッセージが込められているのか監督は明確に発言せず、見た人に委ねています。 あくまで自分が育った70年代を舞台にし、「 キング・オブ・コメディ」や「 タクシードライバー」のような空気感を映し、そこにホアキン・フェニックスがジョーカーを演じる。 これを実現したかった、と。 彼のこだわりにこだわった今作を堪能したいですね。 そんな監督の過去作をサクッと紹介。 いくつかのドキュメンタリー映画が評価され、劇場版監督になった彼は、恋人に間違って浮気の証拠ビデオを送ってしまった主人公と悪友がビデオを取り戻す旅にでるコメディロードムービー「 ロード・トリップ」や、真面目な刑事とテキトー刑事の凸凹コンビが捜査に繰り出す、人気を博したTVドラマをアクションコメディとして映画化した「 スタスキー&ハッチ」などでキャリアを積んでいきます。 その後、結婚式前夜の独身パーティーで記憶を無くすほどの二日酔いをしでかし、消えた花婿探しに奔走する男3人のドタバタコメディ「 ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」が特大ヒットとなる快挙。 ゴールデングローブ賞で作品賞を受賞するまでとなった今作は、後に2作製作され、彼の代表作となりました。 キャスト 今作の主人公、アーサー・フレックを演じるのはホアキン・フェニックス。 言わずと知れた実力派俳優。 今年は「 ゴールデン・リバー」で匠の芝居を堪能させていただきましたが、今作は彼の真骨頂を目の当たりにしそうな予感です。 今回役になりきるために20キロもの減量を敢行したそうで、去年の「 ビューティフル・デイ」とはまるで違う体型になってるのが理解できるかと思います。 頬はコケ、肋骨も浮き出るほどガリガリ。 これぞ役者ですね。 彼に関してはこちらをどうぞ。 他のキャストはこんな感じ。 TVの司会者・マレー・フランクリン役に、「キング・オブ・コメディ」、「タクシードライバー」、Netflix作品「 アイリッシュマン」が控えるロバート・デ・ニーロ。 アーサーが思いを寄せる女性・ソフィー・デュモンド役に、「 デッドプール2」のドミノ役でお馴染み、ザジー・ビーツ。 アーサーの母・ペニー・フレック役に、「 マンハッタン」、「 キャットウーマン」の フランセス・コンロイなどが出演します。 アメコミ映画としては「 スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」以来の公開作品になると思いますが、明らかにMCU作品や、DCEUのそれらとは一線を画したテイストになっていることは間違いないでしょう。 ここから鑑賞後の感想です!!! 感想 ものすごく哀しかった。 でも悲しんじゃいけない、とも思った。 アメコミ映画の仮面をかぶった、社会派エンタメ映画でした。 以下、核心に触れずネタバレします。 悪いのは僕か、社会か。 幼少期の経験から「笑ってしまう」病を抱えながらも、何とか普通に振る舞い社会に溶け込もうと生活する主人公の、悲哀と狂気の階段を駆け下りていく姿を、 70年代から80年代の確かに存在した鬱屈した世界観、ホアキン・フェニックスの卓越した芝居、どのシーンも心に突き刺さるような演出、そしてコメディ映画で名を馳せた監督だからこそたどり着いた不謹慎さと溢れるセリフ、 これらが合わさったことで、「ダークナイト」以降語り継がれてきたジョーカー伝説にさらなるカリスマ性が高まった、非常に危険で非常にリアルな作品でございました。 SNSの多用により誰もが匿名で自由気ままに言いたいことを発信できる世の中になったことで、圧迫されてきた生活や環境にさらされてきた者たちの「痛み」を知ることで、自身の価値観を大きく変化させたり気づかされることがたくさんある、素晴らしい機能を持っている反面、その利便性よりも人間や社会の膿みが可視化されてしまったことで憎しみの部分の方が独り歩きしてしまっているように感じる現在。 人の心に必ず存在する善悪は、今や徐々に開いている格差や分断によって、悪の方に傾いているように感じざるを得ない状況だ。 毎朝Twitterに流れてくる交通機関での出来事。 目の前にヘルプマークをぶら下げた者に気付きもせず優先席に座り続ける人、バスの中で場所を取ってしまうベビーカーに苛立ち、母親の胸で赤ん坊を支えるための縛り紐をわざとほどき、赤ん坊を危険にさらし、捨て台詞を吐いて何事もなく降車する人、自分よりも力の弱い女性にひたすらぶつかり続けて歩行する男。 彼らは一体何のためにそんな愚行を繰り返しているのだろうか。 現代人は思いやりの精神や弱者を救うようなゆとりある心を失ってしまったのだろうか。 悪いのはそんな心の狭い行動をしている人なのか、それともこんな世の中にしてしまった社会が悪いのか。 今作を見ていて、 なぜ今ここまで苦しみながら生きなければいけないのかということを振り返らされた感覚を覚えました。 主人公アーサーは精神的な病を抱えながらも懸命に生きようと貧困ながらも努力してきました。 しかし社会的弱者である彼の話など誰も聞くことはなく、自分よりも弱い人間だと思われ言葉や力で暴力を振るわれてしまう毎日。 少しづつ膨らむ憎悪を、何とか笑顔と高らかな笑いで自分を抑え続けてきた彼にも限界が訪れてしまう、というもの。 彼のスタンダップコメディを「誰でもコメディアンになれる」と冷笑し恥をかかせるマレー、子供を笑わせようとふざけた顔を見せるも構うなと罵る母親、今度誰かに暴力を振るわれたらこれで脅せばいいと拳銃を与える職場の同僚が、自分の職を守るために付く嘘、それを鵜呑みにして立場の弱いアーサーを切り捨ててしまう職場のボス、いたずら心から看板を奪い路地裏でアーサーを蹴り倒す少年たち、福祉サービスであるにもかかわらずアーサーの話を聞いてくれないカウンセリングスタッフ、そして街を変えたいよりよい社会にしたいといいながらも弱者たちをピエロ扱いし反感を買ってしまうトーマス・ウェイン。 人に笑いを提供したいと望む彼が、生活の面ではひたすら笑いものにされてしまうという辛さをまじまじと見せつけ、周囲のその言動や行動が一体何を生んでしまうのかということを今作では見せつけていたように思えます。 もし アーサーを取り巻く環境や携わる人たちがほんの少しでも彼に寄り添ってくれれば「ジョーカー」という悪は生まれなかったのではないか。 誰もが一番かわいいのは自分であり、弱い立場の人に救いの手を差し伸べることをしないこんな世の中は、ジョーカーのような者たちが溢れかえっても仕方のないことにも思えてしまう。 この醜くも美しい世界、いや、この美しくも醜い世界は、この映画をきっかけにさらに拍車をかけてしまうのではないか、とも。 とにかく、 ただのアメコミ映画ではなく、今の社会を反映させた、いやそれ以上に今後こうなってしまうのではないかと感じた映画でございました。 怪物ホアキン・フェニックス この映画、何が凄いってアーサーを演じたホアキン・フェニックスです。 彼の芝居が映画の推進力を担っていることもあり、アーサーが抱える怒りや悲しみ、それによって怪物が生まれてしまう瞬間とその爆発力は、どのカットやシーンを切り取っても素晴らしいの一言。 一番鳥肌が立ったのは、悲しみをこらえながら笑うという演技。 アーサー自体何かの拍子で笑ってしまうという病気を抱えた人間であることが後に描かれていますが、序盤のカウンセリングスタッフとのシーンで、いきなりこの悲しみをこらえながら笑うという演技を披露します。 目は垂れ下がっていながらも口角を上げて笑みを浮かべてしまうという相反する表情を一度に見せるんですね。 しかもそのはずみで咽ながら笑ってしまうという辛いシーンなんです。 心で泣いて顔で笑う、ってちぐはぐな感情になるってこと、日々の生活でも実際あったりする人多いと思うんですよ、笑いたくもねえのに笑わなきゃいけない時みたいな。 それとははるかにレベルの違う苦しさが、そこにはありました。 また20キロもの減量で挑んだという逸話も手伝ってか、彼の上半身はとにかくガリガリ。 背中は結構大きく残ってるけど、肩から腕は木の枝のような細さで肋骨は浮き出て腹はへこんでる。 顔も頬がこけているせいで、どんな笑顔も気味悪く見えてしまう。 笑い方も独特で、例えていうならニワトリとかカラスの泣きまねにも聞こえるような、不快を感じさせる高らかな笑い。 これを職場の更衣室からボスの部屋に移動するシーンで、笑った後に急に沈んだ表情をする所はゾクッとしました。 そこからジョーカーへと変貌を遂げた辺りからは、心も体も笑わずの入られないという表情へと変化し、それが狂気じみた笑いになっている、ように見えるのも匠の演技。 正に悲劇と喜劇は表裏一体と感じた瞬間でした。 またエンディングでの取り調べの時のアップでの表情も怖い。 タバコを吸いながら眉を顰めほくそえむ表情は、序盤の時のアーサーではなく、れっきとしたジョーカーの顔でした。 他にも薬局で薬をもらい肩を落とし背中を丸めながら長い階段をゆっくりと重い足取りでトボトボと歩くアーサーと、マレーの番組に出演するためにジョーカーメイクを施し軽快なステップで踊りながら階段を下りる彼という対比もお見事。 これまで素晴らしい俳優陣が演じたジョーカーですが、彼らとは全く違うアプローチでジョーカーへと変身していったホアキンに、終始心を揺さぶられる作品だったと思います。 最後に ちゃんとバットマンの世界にいる一般人、という世界観もしっかり設定されており、格差社会の行きつく世界ともいえるゴッサムシティの富裕層と貧困層のバランスや、その世界の頂点に立とうとしているブルースの父親トーマスの登場、アーカム精神病院も出てましたねぇ。 途中、まさかアーサーの父親が・・・て事は・・・みたいな、え!? そんな設定にしちゃうの!? そりゃないだろう!!と驚く場面がありましたし、悪のシンボル爆誕と共に、取り残された少年が後の闇の騎士になるんだな、っていう善と悪の誕生の瞬間もしっかり描いていたのはアメコミファンとしても満足です。 また 監督がハングオーバー!のようなおバカコメディから足を洗い、笑いものにされてきた男の悲哀とその顛末をテーマにしたのも感慨深いかなと。 誰にでも人間には尊厳があることから、人を馬鹿にするようなコメディ映画はもう作れないという領域に達したのかなと、僕は考えます。 日本の若手お笑い芸人が人を小バカにするネタで人を笑わせることに批判が殺到しましたが、もうそういう笑いはできない世の中になったし、それでもそういうネタでまだ笑う人がいる世の中で、そういう笑いをやることで傷つく人がいる世の中で、もうコメディってやること自体が難しくなってて。 僕としては過去作のようなコメディをまたやってほしいというのはありますが、もうやらないのかなぁ。 あくまでフィクションなんですけどね~。 こういうこと言うと怒られるのかな。 あぁ不寛容な時代。 またイントロダクションでも触れた「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」をイメージさせる描写が多々あり、これも見事でした。 鏡の前で拳銃を構えたりこめかみに銃を突きつける仕草、部屋でTVショーを見ながら出演時の妄想を膨らませるアーサーなんて正にそれ。 妄想と暴走で一躍時の人にったパプキンを演じたデ・ニーロが司会者ってのも粋なキャスティングで、それをジョーカーと並んで座らせ喜劇と悲劇を語らせるって構図がなんとも。 とにかく、アーサーの抱えた苦しみや悲しみに同情はしたし、こうなってしまうのも無理はない、と感じたと同時に、こんな世界はあってはならないし、ジョークだよと言ってほしいなぁと。 だからこそ哀しいと思ったけど悲しんじゃいけないなぁと思えた良作でございました。 また、結末は「夢オチ」とも取れる終わり方。 この話を鵜呑みにしてしまった僕は、彼のジョークを解らずに見終えてしまった、のかもしれませんし、もしかしたらこの話は本当だったのかも。 みんなで議論したい映画でもありましたよね。 というわけで以上!あざっしたっ!!.

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映画『ジョーカー』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

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しかし、今作のジョーカー(アーサー)が初めからそんな人物だったかというとそうではありませんでした。 アーサーは突然大声で笑ってしまう精神障害を持っていて、年老いた母と暮らす彼は母想いで、コメディアンを目指して日々頑張ってはいますが、あまり笑いのセンスがあるようには思えません。 映画の冒頭では、ピエロのメイクをしたアーサーが看板を持ってお店の宣伝をする仕事をしていますが、看板を10代くらいのストリートチルドレンたちに奪われてしまい、追いかけたアーサーは路地裏でボコボコに殴られてしまいます。 映画の冒頭からアーサーは不運なんですよね。 完全にアーサーが被害者あるにもかかわらず、社長(?)に盗まれた看板を会社に返さないのであれば次の給料から代金分を引くなんてことを言われてしまいます。 序盤だけでも、アーサーの周りには優しい味方がいないことが分かります。 そして、アーサーは身の安全を守るために同僚から銃を受け取りますが、小児病院にてピエロの姿で踊っている際に、ポケットから銃を落としてしまうんですね。 あのアーサーの焦った感じはフフっとなるシーンではありましたが、小児病院に銃を持ち込んだアーサーは会社をクビになってしまいます。 さらに追い討ちをかけるかのように、精神疾患を患っているアーサーが通っている社会奉仕プログラムの活動が、市の資金援助を受けることができなくなってしまい閉鎖となってしまいます。 これによって、アーサーは病気の薬をもらえなくなってしまうのです。 その帰り途中にまた不運な出来事が起きます。 電車に乗ったアーサーは大声で笑ってしまう発作が起き、3人の証券マンにしつこく絡まれてしまいます。 ヘタな歌を歌いながら絡んでくる証券マンに対し、アーサーは銃を取り出して3人を殺害してしまいます。 このシーンが、彼の中にジョーカーとしての人格が芽生えた瞬間でもありました。 銃弾を当てて倒れた死体にさらに何発も撃つ姿は、ジョーカーそのものなんですよね。 そして、この殺された3人というのがトーマス・ウェイン(ブルースの父)の会社に務める3人でした。 大企業に務める彼らはエリートだったわけですが、そんな彼らを殺したアーサー(ピエロのメイクをしていたため、まだ犯人とは知られていない)は貧困層から英雄視され 、ピエロがゴッサムの金持ちに対する抗議運動のシンボルとなります。 ほとんどの人から見向きもされなかった彼が人を殺したことで担ぎ上げられ、英雄視されてしまうこの社会に恐ろしさを感じてしまいますが、貧困層にとってはそれくらい不満が溜まっていた社会だったのでしょう。 番組は盛り上がりを見せてマーレイからも感謝をされますが、その後のマーレイの番組では、コメディアンとしてお笑いトークライブに参加するアーサーの姿が映し出され、スベりまくるアーサーに対して、マーレイはバカにする様な態度をとり、コメディアンとしての才能が無い的なこと言います。 それを見ていたアーサーは裏切られ、怒りを覚えるのですね。 ただ、マーレイの番組観覧に参加した際に盛り上がりを見せたと書きましたが、これはアーサーの思い込みである可能性が高いです。 アーサーは精神疾患が原因で、実際にはしていないことをしたと錯覚してしまうことがあります。 例えば、アーサーは近所に住む女性・ソフィーと仲良くなり、デートをしたり恋人のような関係の二人が映し出されていましたが、後々これはアーサーの脳内での出来事で、ソフィーとデートをしていた事実は無いことがわかります。 なので映画の中で映し出されるものが実際に起きたことなのか、それともアーサーの脳内で作られた錯覚なのか分からない部分もあり、個人的には番組観覧でステージ上にあげられ、拍手喝采を受けたあのシーンは錯覚だと感じました。 そして、番組内でぞんざいに扱われたアーサーでしたが、スベりまくっていた映像が話題となったようで、番組から出演のオファーを受けて出演することになります。 この時には証券マンの3人の他に、自分の母と以前の職場の同僚も殺しているので、あのサイコパスなジョーカーとしてのアーサーがほぼ出来上がっています。 番組に出演したジョーカーは証券マンを殺したのは自分であること、腐敗した世の中や金持ちへの批判をし、司会者のマーレイを射殺します。 そして、ゴッサムは荒れに荒れてしまいます。 てっきりジョーカーという人間は、周りに優しい家族や友達がいて何不自由ない生活をしていたとしても、凶悪な犯罪を起こしてしまうサイコパス的な人物だと思っていたのですが、実際のジョーカーを見てみると、コメディアンという夢を追い続け、母の面倒を見て子供を笑顔にさせようとする優しくて普通の人間でした。 その普通の人間が幼少期に虐待を受け、精神的な病を患い、周りの人に優しくされることはなく、テレビで夢を笑われ、仕事も失ってしまったとなれば、悪の道に進んでしまうことも理解できます。 悪の道に好き好んで進むというよりかは、仕方なく悪の道に進むことしか、居場所がなかったのかもしれません。 そして、本作を見て「誰もがジョーカーになりうる」と感じました。 実際、テロの背景には差別や不遇、社会への不満を感じて事件を起こす人がいます。 どんな理由があってもテロ行為が許されることではありませんし、罪のない人が犠牲になることは断じて許されませんが、相手の視点に立ってみると、事件を起こす人も何かの被害者である可能性があります。 世界中で格差が広がる昨今、この映画が教えてくれるメッセージは重要だ思いましたし、誰かを思いやる優しさの大切さを改めて感じましたね。 正義を信じ続けてきた彼は裏切られ、人の命を奪うような人間になってしまいます。 ジョーカーが凶悪な事件の数々を起こして証明してみせた「ハービー・デントのような正義の象徴も悪に堕とせる」ということは、アーサーが悪のカリスマ・ジョーカーになった経緯と同じでした。 普通の人間も善人も、何かのきっかけでジョーカーのような人間になる可能性があるというのは認めたくはないですが、これが正しい答えなんだろうなと思いました。 特に大声で笑うシーンでは、こちらも初めはつられてフフと笑ってしまうのですが、笑っている時間の長さに不安になり、不気味で逆に恐くなってしまうんですよね。 そして、時折笑いすぎて息を詰ませる演技では、こちらも呼吸をするのを忘れてしまって息苦しくなってしまうような演技でした。 それに、笑いってたまに泣いているように聞こえる時がありませんか?笑うように泣く人とか、泣くように笑う人っていますよね。 アーサーが病院から母(ペニー)の診断書を盗み取った時、自分が養子であることやペニーが精神障害であることを知ります。 ペニーにも裏切られていたことに気付いた時、アーサーの発作がでて笑ってしまうのですが、その時のアーサーの笑いは泣いているように聞こえました。 悲しみを感じさせる笑いが出来るのはすごかったですし、現実か錯覚か分からない中で、徐々に悪へと堕ちていくジョーカーの演技は素晴らしいものがありました。 【考察】悪の神となったジョーカー.

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映画『ジョーカー』ネタバレ感想&トリビア疑問の徹底解説

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『ジョーカー』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話 フィリップス監督は反体制的で問題提起性の高い作品を撮ることを夢みていた 監督であるトッド・フィリップスには、元々アメリカン・ニューシネマと言われる反体制的で問題提起性の高いヒューマンドラマを作りたいという願望があったが、今の映画業界ではそのような映画には予算やスポンサーがつきにくいのが現状であった。 そこで、スポンサーの付きやすいアメコミ映画を題材に、アメリカン・ニューシネマ的な社会風刺の要素を脚本に取り入れることで、自身の夢であった問題提起性の高い映画の制作を実現した。 なお本作はマーティン・スコセッシが監督し、フィリップスが大ファンだと公言しているアメリカン・ニューシネマ映画の名作『キング・オブ・コメディ』(1982)の影響を受けており、その作品内で誇大妄想を抱くコメディアンの主人公を演じたロバート・デニーロが、本作ではトップコメディアンのマレーを演じている。 DCコミックスと映画『ジョーカー』との相違点 今作はあくまでDCコミックスの人気ヴィランが主人公という前提の中で、どのように一市民のアーサー・フレックが変貌しジョーカーとして覚醒したかを描くという筋書きは共通しているが、原作コミックにあるような「元々は強盗」「化学薬品に落下してピエロの様な顔面になった」という内容からは、大きく改変された仕上がりとなっている。 映画作品としてはDCコミックス内で同一世界線を共有する『ジャスティス・リーグ』シリーズや、過去の『バットマン』とは繋がりがなく、舞台は原作通り架空の都市ゴッサム・シティだが、チャールズ・チャップリンの映画が登場するなど、1981年のニューヨークがモチーフとなっている。 当初のアーサー役はレオナルド・ディカプリオだった 当初は『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』を監督したマーティン・スコセッシがメガホンをとる予定で、アーサー役もスコセッシと関わりの深いレオナルド・ディカプリオがキャスティングされると予想されていた。 だが実際に監督を務めたトッド・フィリップスは脚本の段階からホアキン・フェニックスを起用することを考えており、そのままホアキンがアーサー役として正式に決定した。 ジョーカーの起源とこれまでのジョーカーとの共通点・相違点 DCコミックスを代表する人気のスーパーヴィラン、ジョーカーは、1940年4月に発行されたアメリカンコミック『Batman 1』で初登場した。 原作では明確な誕生の起源は明かされていない。 映像作品では、シーザー・ロメロ、 ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトなどがそれぞれ個性のあるジョーカーを演じており、ピエロのような白い肌と緑の髪、真っ赤な唇で、裂けた口元には常にほほえみを浮かべている、という姿は共通している。 今回のジョーカーがゴッサム・シティで母と暮らす貧しい青年である点、コメディアンの仮装として白い肌や緑の髪色にしている点、真っ赤なジャケットを着用している点は、本作のトッド・フィリップスとスコット・シルヴァーの脚本がオリジナルである。 ジョーカーのロケ地が新たな観光名所に ゴッサム・シティはアメリカ国内における架空都市であるが、ニュージャージー州のある場所に位置しているとされている。 過去の『バットマン』の映画作品では、シカゴ、ピッツバーグ、ロサンゼルス、ニュージャージー、ニューヨークなどがロケ地として使用されてきた。 本作の撮影は2018年9月にニューヨークでスタートし、ブルックリンのチャーチ・アベニュー駅、ブロンクスのベッドフォード・パーク・ブールバード駅、クイーンズなどが撮影に使われた。 またニュージャージーのジャージーシティ、ニューアーク、郡道501号でも撮影されている。 特にニューヨークのブルックリンにある作中でジョーカーとなったアーサーがダンスを踊る急な階段は、映画公開後は新しい観光名所として多くの人が訪れることとなった。 『ジョーカー』の予告編動画.

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