岡田 メソッド。 日本サッカーの未来を変える「岡田メソッド」とは|shingo_moriya|note

今治の中高を巡回し「岡田メソッド」を地元にも提供…小野剛氏が岡田武史オーナーの思い語る(2020年6月28日)|BIGLOBEニュース

岡田 メソッド

こんにちは守屋です。 【日本サッカーの未来を変える「岡田メソッド」とは】 についてシェアしたいと思います。 私も岡田メソッドが気になり、以前、FC今治の試合を直接観に行きました。 敵GKと1対1で点が取れないのなら、GKと2対1を作る。 インテリジェンスにより相手に予測をされないプレーをする。 コレクティブに闘い、接近(ボールの周りで常に数的優位を作る) 展開 敵が集まってきたら敵のいないところに早く展開 連続(それを90分続ける)を繰り返す。 破:「KATA」の目的達成の方法を自ら見つけ出す。 離: 完全に解き放ち、本人の潜在意識の欲求に従い生き生きとプレーさせる。 参照: 単なるトレーニングメソッドではなく、サッカーのプレーを「原則」として整理し、その「原則」から導き出されたプレーの「KATA」を含む「プレーモデル」を絶対的なバイブルとしています。 そして、そのバイブルより導き出された基本的な「トレーニングプログラム」、それを支える「コーチング理論」、「ヒューマンルーツプログラム」 「フィジカル」「コンディショニング」「ゲーム分析法(KPI評価)」のすべてを含めて「OKADA METHOD」と呼んでいます。 FC今治のサッカースタイルを確立するために、「守破離」の考えに基づいて一貫指導を行い、プレーモデルを基軸に置きながら、試合の評価を行い、改善のための計画を立て、実行していきます。 でも、そう簡単には出ないと思う。 その想いで2年越しに完成させた岡田メソッドをFC今治の下部組織で、去年9月から活用している。 共通原則は10個以上あり、番組では、 ・ラインの原則 ・レーンの原則 ピッチを5つのレーンに分ける。 攻撃している同じレーンには入らない。 同じレーンに入る場合には1つ飛ばしたレーンに入る。 ・エリアの原則 などを下部組織では徹底的に覚えさせることをさせていると言う。 あるスペイン人のコーチと出会って話をしている時に、スペインには型がある。 日本にはないのか?と言われた。 ヨーロッパと言うのは原則がある中で自由にやらせている。 僕ら(日本)は表面だけ、マネして自由にやらせていた そこが違いなんじゃないか。 原則があって、それを破って離れていく時に、原則があるから違うことをやってみようという発想が起こるのではないか。 僕らは核となる原則がなく、自由に自由にと言っていた。 自由の中から驚くような発想は出ないんじゃないか。 世界の22チームが採用しており、日本ではFC今治が最初のチームとなる。 SAPジャパン佐宗さんは言う。 試行錯誤の中でも、岡田武史は手応えを掴んでいる。 直ぐには結果が出ないかも知れないが、うちの育成チームが試合をしていて、何も知らない人が見ても、このチームはFC今治だ。 プレースタイルが違うとわかると思う。 岡田の目標は2020年にJリーグで優勝争いができるチームを作ること。 さらにその先には日本サッカーの未来を見据えている。 現場の人間として、日本代表に自分のチームから5人の選手を送ったら代表のサッカーが変わる。 バイエルンミュンヘンの選手が5人以上いてドイツ代表のサッカーが変わったし、バルセロナの選手が5人以上出て、スペイン代表のサッカーが変わった。 口で言うよりも、僕らは自分達でやってみようと思っている。 と思ったのですが、もしかしたら協会には利権やしがらみが多く現場で動くことも制限されるのではと思い今に至るのではないかと思います。 岡田さんは、日本代表の監督を二度経験し、感じたこと、体験したことを日本サッカーに還元しようとしています。 協会を中心にやるよりも、地域のサッカーから一歩ずつ上がっていくことの方がより「実績」「自信」を植え付けることが出来るのではないんじゃないかと思って、今取り組んでいるように感じました。 既存の組織やルールに疑問を持った場合、人はルールを変えようとするか、もしくは自分がルールを作る側になるか考えると言われています。 しかし、そんな簡単に実績を証明できるほどサッカーは甘くありません。 もちろん今後はさらに研究されていきます。 それでも打開できるからこそ「原理原則」と言うのではないでしょうか。 情熱を持って取り組み続ける先には、日本サッカーの明るい未来が必ず待っていると信じて応援したいと思います。

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岡田メソッドはいかにして生まれたか バルサではなく、常識を覆すペップに刺激

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日本の伝統芸能になぞらえて「守・破・離」にたとえられたFC今治の「型」。 共有する「型」を身に付け、細かいプレーを言語化することでイメージの共有も容易にする。 このことで試合の状況把握やチームとしての狙いを共有することも簡単になったという。 その一方で、一つの疑問も浮かび上がってくる。 型から入ることを日本人が得意とするのは確かだが、一方で型を破ることや、型から離れることとなると、どうだろうか。 「その疑問はよく分かります。 僕としてもまさに考えながらやっている部分ですね。 僕らはピッチ上で型を教え、伝えていきます。 でも、それだけではきっとダメなんだと思っています」 一般の日本人(これは選手に限らないだろう)も苦手とするのが、教えられたことの枠から飛び出していくこと。 今治のファーストアプローチである型の習得が人間の「理性」による部分ならば、型から飛び出していく「野性」の要素をいかにして身に付けるのか。 「子供たちの生きる力。 それを育んでいかないといけないと思います」と語る渡辺コーチにとっても悩ましい点だ。 「『守』は大事なんですけれど、『守』だけで終わるようではいけないんですよね。 ピッチの中でも押し付けすぎないようには気を付けてます。 型を押し付けるようになってしまうと『型だけ』の選手になってしまうから、どこかでいつか破れるように、ちょっと枠をファジーにしておく必要もあるのかなとは思いながら指導をしています」 悩ましいのは「そのさじ加減こそが指導者の能力」という自覚があるからこそだが、恐らくどの指導者も「正解」を見いだせていない永遠の課題に近い。 同時に極端な言い方をすれば、型を徹底的に教え込んでも、なお破って離れていけるようなメンタリティーを持った選手であれば課題にはならない部分だろう。 「やっぱり野性の部分ですよね。 たとえば、コミュニケーションの能力も今の子供たちは高くないと思います。 これは今治に限らず、今までの指導してきた子供たちもそうでした。 だからこそ言葉を整理してあげる意味はあると思っていますが、同時にピッチ外の部分から働き掛ける意味も感じています」 目指すのはやはり「野性」の獲得だが、それは今治に来てあらためて感じた部分でもあると言う。 「これはちょっと驚いたことだったのですが、『うんてい(遊具)の近くで子供たちは走っていけません』といったルールを書いた紙があるんです。 校庭で遊ぶルールみたいなのが決まっていて、その範囲内で遊びましょうとなっている。 僕らの世代からすると、その間を通り抜けたりとか、遊具を使って鬼ごっこをしたりとか当たり前にやっていましたけれど、今の子供たちはそれができないようになっているんです」 安心・安全を第一にするのが現代の日本社会。 「岡田さん(武史オーナー)はよく『遺伝子にスイッチが入る』という言い方をされますが、ちょっと怖い思いをしたり、リスクを冒して危ない目にあったりとか、そういった一切が排除されているんですよ。 うんていの上を歩いて踏み外すか踏み外さないかみたいなドキドキ感というのが遊びの楽しさだったし、痛い思いをして感じる部分があったりするわけですが、それがなくなっているんです」 複数の指導者が「最近の子供はけんかをしなくなっている」という言い方をするが、こうした見方についても渡辺コーチは首肯する。 「確かに子供たちで言い合うとか衝突するというのはあまり起きないですよね。 でも、本能的な部分をなしにしてしまうと、本当の意味で岡田メソッドを落とし込んだことにはならないと思うんです。 メソッドを表現するのはあくまでも人。 だから人として根本的な部分、たとえば目の前の相手に『勝ちたい』とかいう欲求も本能的なものだと思います。 そこが希薄になると、単に知識のある選手というだけで終わってしまうと思います」.

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【THIS IS MY CLUB】今治を支えるプレーモデル 最年長・橋本英郎が語る“岡田メソッド”の真髄(Football ZONE web)

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元サッカー日本代表監督で、現在は今治.夢スポーツの代表取締役会長として手腕を振るっているが、サッカー番組『』(テレビ東京系、毎週土曜24:20~)にゲスト出演。 岡田が出版した日本サッカーの未来を見据えた指南書「岡田メソッド」の核心に迫った。 現役時代は選手として日本代表で活躍し、引退後は監督として2度のワールドカップで日本代表の指揮を執り、横浜F・マリノスではJリーグ2連覇に導いた岡田。 現在は愛媛でFC今治のオーナーとして手腕を振るっている。 まずは指導者としての足跡をたどることで「岡田メソッド」誕生の秘密に迫った。 現役時代にバイエルン・ミュンヘンとの対戦で世界との差を痛感し、現役を退くことを決意したという岡田。 90年に引退し、翌年から指導者になると「選手のためのチーム作り」を進めた。 しかし、選手もチームも成長させることはできず、92年にドイツへ指導者として留学。 そこで選手と監督の立場の違いを理解し、チームのトップとして孤独と向き合い、決断することの大切さを学ぶ。 93年に帰国しジェフ市原(当時)のサテライトチームのコーチに就任し結果を出すと、翌年には当時日本代表の加茂周監督から代表コーチに抜擢される。 そして97年、加茂監督の更迭を受けて日本代表監督に就任した。 初出場となった98年のフランスワールドカップでは3戦全敗。 バティストゥータなどの世界的なスター選手を前に「スタートラインから5mくらい後ろにいた」と振り返るなど、当時の世界との距離は精神的にも遠かったという。 その後、北海道コンサドーレ札幌の監督を経て、03年に横浜F・マリノスの監督に就任。 1年目にして当時2ステージ制だったJリーグで完全優勝を果たし、翌年にはJ1連覇の偉業を達成した。 しかし、「勝つだけだったら確率論だからそんなに難しくない。 でも、それでは長続きせずに行き詰まる」と当時の心境を吐露。 そのように失点しないことで勝つ確率を高めていった結果、本来ならば中央突破ができるタイミングでも、見もせずにサイドにボールを回すようになってしまったという。 「結果を残す自信はあるが、これが指導者と言えるのか? 様々なトライを重ねても勝つ方向に自分が戻ってしまう。 これが自分の限界かなと感じ始めた」と胸の内を明かした。 そんな中、2度目の日本代表監督に就任。 「ボール際で勝つこと、相手より1人1km多く走ること、中距離パスの精度を上げること」。 この3つを成し遂げないと絶対に勝てないと選手に伝えたという。 この本気というのが大事だった」と考え選手たちに伝えた。 すると選手たちもその思いに応え日韓大会以来となるワールドカップでベスト16を達成。 指導者のキャリアを通じて選手の自主自立の重要性を感じていた岡田にとって、理想に最も近づいたのがこのチームだったという。 そして2014年、岡田に運命の出会いが訪れる。 当時、FCバルセロナのメソッド部長だったジョアン・ヴィラと対面。 「スペインにはプレーモデルというサッカーの型のようなものがあるけど、日本にはないのか?」と尋ねられ、スペインではプレーモデルと呼ばれる原則を16歳までに落とし込み、あとは自由にすると教えられたという。 これを聞いた岡田は、日本でも育成年代からしっかり型を学んだら、その後、主体的にプレーする選手が育てられるのではないかという考えに至る。 岡田がたどり着いたのが、まさに「守破離」という日本に古くからある教え。 最初は師匠の教えを守り基本の型・原則を学ぶ。 そして、教えを守るだけでなく個性を加え発展、やがては型にとらわれず自在となるという考え方だ。 そこで実践の場としたのが、愛媛にある当時アマチュアクラブだったFC今治。 岡田メソッドを導入すると、わずか5年でアマチュアリーグからJ3へ参入。 さらに育成年代のジュニアユースとユースチームはともに四国リーグ昇格を果たした。 さらにFC今治のコーチ陣が地元サッカー部や街クラブの巡回指導をスタートすると、全国高校サッカー選手権でも初出場の今治東がベスト16進出、愛媛県の新人戦決勝は今治の学校同士の対戦が実現するなど結果として効果が表れていく。 岡田が目指すサッカーは、個を最大限に尊重しつつ組織的に戦うスタイル。 それを実現するために「共通原則」「一般原則」「個人とグループの原則」「専門原則」をまとめたプレーモデルを確立。 例えば、ピッチを縦5つ、横3つに分割し、縦をレーン、横をゾーンと名付けた。 ピッチを碁盤の目のように区切り、場所ごとのプレーを原則化したことで、やるべきプレーを明確化。 「あくまで自分のチームの原則として考えられているので、それぞれ違って良い」と解説した。 さらに数々の原則を説明するために着手したのは、用語の統一。 例えば「くさび」という言葉を使った時、指導者は「前線の選手に対する縦パス」をイメージして話していたが、それを聞いた選手の中には「上がっているサイドからセンターフォワードへのパスもくさび」と捉えていた者もいたという。 そのようなサッカーを原則でまとめたのが「岡田メソッド」だという。 番組アナリストのは「理解も早いし、すぐにプレーとして実行できる。 岡田も深くうなずいていた。 さらに岡田の夢は広がっていく。 最初は岡田メソッドを16歳までに落とし込むチームを作るために今治に行ったが、街の活気がなくなりつつあり、クラブが成功しても立つべき場所がなくなってしまうことを危惧。 FC今治を頂点にした育成年代のピラミッドを作り、FC今治の指導者を各チームに派遣し岡田メソッドを指南することにした。 FC今治が強くて面白いサッカーをするようになれば、今治にサッカーをやりたいという人が集まり、ホームステイやアジアからの交流などが行われるようになれば活気に満ちた街にできるのではないか。 これを岡田は「今治モデル」と呼び活動を広げている。 2017年には総工費約3. 8億円をかけてスタジアムを建設。 子供たちが楽しめるゲームやグルメ、サポーター同士の新たな交流の場、そして、サッカーを知らない人々も楽しめる今治市民の憩いの場となっている。 さらにはJ2仕様の新スタジアム構想にも着手。 コロナショックで延期になったが、来るべき未来を既に見据えている。 「地元の人の心のよりどころとして365日人が集まる場所にしたい。 本当にこのままで次世代に譲っていって良いのかと、この社会を何か変えたいと自分の出来る範囲でやっていこうと思っています」と熱い思いを語っていた。

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