おおきに は ばかり さん 意味。 ばかりとは

京ことば「おおきに~」とはんなり言われたら... 意外な裏の意味を徹底調査!

おおきに は ばかり さん 意味

誰もが知っている昔話に「桃太郎」があります。 この「桃太郎」は、冒頭「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。 ある日、おじいさんは山にしばかりに、おばあさんは川へ」という内容で始まります。 今回は、このおじいさんが行ったしばかりに焦点を当ててご説明いたします。 普通に山に草をかりに行っても仕方ないです。 ではなぜおじいさんは、わざわざ山にしばかりに行ったのでしょうか。 「しばかり」という言葉を漢字で表すと、二つの種類の言葉があります。 「柴刈り」と「芝刈り」です。 まずは、それぞれの意味から確認してみましょう。 「柴かり」は山で行う雑木の手入れ 山や林などに生える小さな雑木のことを「柴」もしくは「柴木」といいます。 木の種類は特に限定されないのですが、おおむね3m以下の低木でツツジ科の雑木が多くを占めています。 「柴刈り」というのは、このような柴を刈り取ることです。 また、山林に落ちている木の枝を拾い集めることをいいます。 そして、雑木林の手入れをすることをいいます。 この「柴刈り」してきたものは、昔の人々にとっては炊事やお風呂の炊きつけようの燃料としてとても重要なものでした。 また、落ち枝を拾い取る「柴刈り」は山の健康維持をするためにとても大切な作業でもあります。 「芝かり」は草刈り 庭園やゴルフ場、野球場などで植えている芝の高さを揃えるように切ることを「芝刈り」といいます。 芝生は、とても丈夫な植物ですので、細かい手入れは必要ないのですが、ほったらかしというのも綺麗な芝生を維持することができません。 芝生はほっておくと、20cm程度まで伸びてきます。 この芝生は頻繁に刈ってやることで、密度の高い芝生へとなっていきます。 時期によって芝の手入れをする間隔は変わってきます。 これを手抜きせずに行うことが必要であり、美しい芝生をつくるのが「芝刈り」です。 柴刈りの道具 柴刈りをするときには、生木用の細身の手鋸や高枝鋸があれば便利に枝木を切ることができます。 大工仕事で行うようなミリ単位での切断作業ではないため、力を入れやすいカーブソーがおススメです。 また、鉈も使いやすい道具です。 また、背の低い部分や草などを処理するのに鎌やはさみが便利に使えます。 普通の鋸鎌で構わないのでひとつあれば便利に使えます。 またはさみについては、果物の剪定はさみがいいでしょう。 運搬道具 採取した後、持ち帰るのに便利な道具には「背負い籠」や「背負子」があります。 「背負い籠」は竹などで編まれた大き目の籠で、鞄のように背負えるようになった物です。 「背負子」は、二宮金次郎が薪を背負っているに使っている道具です。 木で作られたものから、アルミ製の軽い製品まであります。 このような道具は、山から多くの刈った柴を持ちかえることができる道具になります。 手で抱えて持って帰るわけにはいかないので、なくてはならない道具です。 柴刈りの時期 柴刈りは、目的によって時期が変わってきます。 化学肥料を使わずに、里山の草木を畑に入れたりするような使い方をする場合は、夏場が柴刈りの時期になります。 初夏の草木であれば、丈が短いことから使いづらく、秋に近づけば種を付けている可能性が高くなることから、畑に雑草を持ち込んでしまうようになります。 夏場の柴刈りでは、マムシや青大将のような毒蛇や蜂や虻、やぶ蚊などの虫類には、気をつけなくてはいけません。 秋から春の時期には、枯れ枝や柴木を刈るのに適したシーズンになります。 また、落ち枝などの燃料源となる枝を集めたりするのにも適しています。 柴刈りに限らず、キノコや木の実を集めたり、冬場の燃料集めをしたりするにも秋は適したシーズンです。 冬場は枯れ枝などを切り落とししやすいシーズンとなります。 このように、特にこのシーズンというのは柴刈りにはないです。 柴刈りと薪はどちらが楽か 里山で刈った柴木や落ち枝を持ち帰り、炊事やお風呂の燃料として使う場合と、山から薪を拾ってきて燃料として使うのとではどちらが楽にすることができるでしょうか。 背負子で持ち帰る場合、どちらも背負える量は変わりませんが、持ち帰るのを比較すれば、柴のほうが楽に運ぶことができます。 これは、柴木を束ねても背負子に乗せた時に、枝と枝の空間が薪と比べても多くできるため、重量的にも軽くなります。 また、薪については、柴に比べて枝よりも太くずっしりしているため、同じ高さまで積むと重くなります。 焚き木として使う場合、炊きつけを楽にすることができるのは、柴木です。 枝が細く燃えやすいことから重宝します。 薪は、一度火がついてから炊き続ける場合に、燃焼時間が長いことから柴木をたびたび投入するよりも楽に燃料として利用することができます。 桃太郎のおじいさんはどこに柴刈りにいったのか 昔話の「桃太郎」では、おじいさんは柴刈りに行っていました。 この時に、草刈と勘違いしていた人も多かったのではないでしょうか。 テレビ番組などでアニメ化されている桃太郎を見た時には、おじいさんが木の枝を集めて背負っているシーンを見て芝を刈るんじゃないんだと気が付いた人もいるでしょう。 昔話の時代ですので、現代のように、電気やガスがあるわけではありませんでした。 おじいさんは畑仕事をしていたのではなく、生活のために柴を刈っていたのでしょう。 近くの里山 「桃太郎」でのおじいさんは、山に柴刈りに行っていました。 この「柴刈り」は、高い山の奥というわけではなく、家のすぐ裏にあるような里山みたいな感じだったのでしょう。 遠くの山まで柴を刈りに行って持ち帰るとなれば、重さもあることからかなりの体力が必要になるので、家のすぐ裏が山だった可能性があります。 なぜおじいさんは柴刈りをしていたのか 今もなお、「桃太郎」のおじいさんがしば刈りをしたのは、芝刈りというイメージを持った方も多いでしょうが、今回取り上げました柴刈りではイメージはどうでしたでしょうか。 柴刈りでは、木材を伐採したり拾い集めたりする作業でしたので、おじいさんが草刈りをしていたわけではないということがお分かりいただけたでしょう。 ほんの数十年前までは、一般の家庭でも焚き木を使って炊事している家庭も多かったのですが、今ではガスや電気に変わってしまい、アウトドアや一部の炊事などで使うくらいになってしまっています。 しかし、ご説明したとおり、需要はあるため、良い値段でも焚き木は売買されています。 あまり日常的に柴刈りという言葉を聞かないため、イメージは庭やゴルフ場の芝の手入れというイメージになってしまっている柴刈りですが、ぜひ、昔ながらの柴刈りという言葉も理解して、どのような作業であるのか覚えておきましょう。

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おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その1 概略

おおきに は ばかり さん 意味

1.はじめに 昔話の「桃太郎」の冒頭は、「おじいさんは山へしばかりに行きました」で始まることが一般的です。 では、この「しばかり」とは何を意味するのか。 このネタは森林学の書籍を読むと、高い確率で出てきます。 現代の日本に生きる我々の感覚としては、「芝刈り」が容易に想像できると思います。 しかし、正解は「柴刈り」です。 「芝」と「柴」はどう違うのか、おじいさんはいかなる目的で「柴刈り」に行ったのか。 今回の記事では、森林の利用と破壊を中心として、日本における環境問題の歴史を考えてみたいと思います。 とても1本の記事でまとめられる分量ではないので、数回に分割して掲載します。 この記事では、導入と内容の整理を兼ねて、概略を示します。 科学論文の冒頭に「abstract」が掲載されているようなものとお考え下さい。 なお、後の記事でも繰り返し強調しますが、 「かつての日本は環境に優しかった」「現代の日本は環境に優しくない」という俗説は必ずしも正しくない、ということは最初に強調しておきます。 現実はそれほど単純ではありません。 現代の日本は森林に非常に優しいこと、 森林資源が急速に回復していること、 かつての日本ははげ山だらけだったことを覚えておいて下さい。 この分野の名著、「」Pより引用します。 今日の青々とした緑は後の数十年の森林回復によるものであって、(中略)この数十年の植林と自然更新により国土の大きな部分が若い造林地と天然林に覆われ、日本は他の温帯地域のどこよりも森林の豊かな国になった。 (P27) 日本の歴史で深刻な森林消失の見られた時期が三つある。 その最初のものが古代の略奪期であって、あとの二つは近世の一五七〇〜一六七〇年と現代の二〇世紀前半に起こっている。 (P30) 参考文献は最後にまとめて紹介します。 (1)日本の植生 世界的に見て日本は気温と降水量に恵まれているため、寒冷な高山地方や、浸水と土壌の浸食・堆積が繰り返される河川沿岸、厳しい潮風や砂嵐に曝される海岸、土壌に水分が多すぎるため樹木が育たない湿地などでない限り、長期的には森林が成立します。 言い換えると、 森林以外の植生(草原など)が成立している場所では、人為的な植生の破壊(改変)が行われたということです。 例えば、のの草千里は広大な草原で有名ですが、あの植生は家畜の放牧と草刈り、火入れにより維持されている植生です。 つまり、純粋な自然の植生ではなく、半人工・半自然の植生です。 人間が農業に利用するために改変した植生です。 だからダメだと言っているわけではありません。 念のため。 の草原は的に非常に重要です。 (2)利用・破壊による植生の変化 人間の影響を全く受けない自然環境でも、植生は常に変化しています。 これを「遷移」と言います。 長期に渡って環境が安定して破壊を受けなかった場合、遷移は止まります。 この遷移の最終段階を「極相」と呼び、極相に至った植生を「極相林」と呼びます。 ただし、極相林と見なされる森林でも、枯死や風水害により樹木が倒れた時にできた隙間(「ギャップ」と呼びます)では、小規模な遷移が起こります。 つまり、極相林でも部分的な破壊と再生は常に起こっています。 また、現在の地球上では人間活動の影響を受けていない植生は事実上存在しないので、「極相」という概念をあまり重視しない研究者も多いようです。 植生は利用(破壊)と保護(放置)により、可逆的に変化します。 植生がなくなったために土壌が風雨による侵食を受けて流失してしまい、植生が回復できなくなった場合は別ですが。 利用(破壊)が弱いと遷移が進み、強いと遷移が逆行します。 主に西日本を中心とした温暖地の植生の変化を簡略に表すと、次のようになります。 同じくイネ科を中心とする背の高い草(主にススキ)は「茅(かや)」と呼びます。 「」の「茅」です。 「柴」とは主に低木の枝を指します。 用途は燃料です。 おじいさんは山へ燃料の調達に行ったわけです。 (3)戦国時代末期〜江戸時代 戦国時代には全国の大名が富国強兵のために城郭や砦、城下町を整備したため、膨大な木材が消費されました。 が江戸に幕府を開いたことにより、日本はとなりました。 政治が安定したため、人口が急増しました。 そのために 農地が拡大し、肥料需要が増加しました。 また、経済活動も発展したため 燃料や建材としての木材の消費量が増加しました。 ゆえに、 江戸時代前半に森林面積は大きく減少しました。 浮世絵を見ると、背景にははげ山が目立つそうです。 江戸時代後半には、幕府や各藩が森林資源の荒廃と水害、土砂災害の多発に危機感を覚えて森護政策を実施し、さらに人口増加が停止したため、森林面積は回復しました。 なお、この時期に日本のは、自然に育つ木を伐採するだけの収奪・放置型から、植林を行う育成型に変化したようです。 また、江戸時代全般に、日本全国で森林や草原の利用権、境界線を巡って紛争や訴訟が絶えなかったそうです。 8.植生の保護をどう考えるか 上に述べたように、日本では利用条件により、様々な植生が成立します。 そして、 植生には非常に多面的な価値があり、単純に評価できるものではありません。 、景観、大気浄化、水害防止、土砂災害防止、水源涵養、娯楽、騒音防止、防火などなど。 例えば、と極相林のどちらが優れているか、という比較は意味がありません。 どちらも保護すべき重要な植生です。 そして現代の日本で最も危機に瀕している生態系は、意外にも農地の草原だったりします。 植生の多様性も保護されてしかるべきです。 的には「」は「種の多様性」と「遺伝子の多様性」と「生態系の多様性」の三つよりなると考えられているわけですから。 参考: また、上に述べたように、日本の農業は森林や草原を必要としていました。 それにより、が生まれました。 これは日本が世界に誇れる農地生態系だと思います。 しかし、現代の農業は構造の変化により、もはや森林や草原を必要としていません。 大げさに言うと、は農業における存在意義を失ってしまったのです。 そのような状況では、産業上の価値がないを守る社会的意義は何かを考えねばなりません。 国も体も財政難に苦しむ現状では、「環境を守れ」とお題目のように唱えるだけでは何も守れません。 9.悪しき懐古主義 養蚕は蚕主義です。 「昔の日本は森林に優しく、現代の日本は森林に優しくない」とは決して言えません。 それは不毛な懐古主義です。 江戸時代の農業がエコロジカルでだったとも必ずしも言えません。 はある意味農地生態系の形としては理想ですが、非常に資源管理が難しかったため、江戸時代には全国各地でとは名ばかりの無惨なはげ山が広がっていたそうです。 このはげ山こそが日本の原風景だったのではないか、と唱える研究者すらいるほどです。 また、人口増加や経済発展に伴う食料と換金作物の増産により、農村では常に肥料が不足していました。 肥料は、で説明したような都市部から運ばれる人間の排泄物や、農地周辺で採集される植物性肥料だけではとても足りず、北海道のニシンやのなどが魚肥として用いられました。 はるか彼方の海から肥料を得たのでは物質循環が成立していたとは言えません。 環境問題を考える上で、「昔は良かった」などというノスタルは何も生みません。 程度の差はあれ、今も昔も環境問題は厳然と存在しています。

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京ことば「おおきに~」とはんなり言われたら... 意外な裏の意味を徹底調査!

おおきに は ばかり さん 意味

1.はじめに 昔話の「桃太郎」の冒頭は、「おじいさんは山へしばかりに行きました」で始まることが一般的です。 では、この「しばかり」とは何を意味するのか。 このネタは森林学の書籍を読むと、高い確率で出てきます。 現代の日本に生きる我々の感覚としては、「芝刈り」が容易に想像できると思います。 しかし、正解は「柴刈り」です。 「芝」と「柴」はどう違うのか、おじいさんはいかなる目的で「柴刈り」に行ったのか。 今回の記事では、森林の利用と破壊を中心として、日本における環境問題の歴史を考えてみたいと思います。 とても1本の記事でまとめられる分量ではないので、数回に分割して掲載します。 この記事では、導入と内容の整理を兼ねて、概略を示します。 科学論文の冒頭に「abstract」が掲載されているようなものとお考え下さい。 なお、後の記事でも繰り返し強調しますが、 「かつての日本は環境に優しかった」「現代の日本は環境に優しくない」という俗説は必ずしも正しくない、ということは最初に強調しておきます。 現実はそれほど単純ではありません。 現代の日本は森林に非常に優しいこと、 森林資源が急速に回復していること、 かつての日本ははげ山だらけだったことを覚えておいて下さい。 この分野の名著、「」Pより引用します。 今日の青々とした緑は後の数十年の森林回復によるものであって、(中略)この数十年の植林と自然更新により国土の大きな部分が若い造林地と天然林に覆われ、日本は他の温帯地域のどこよりも森林の豊かな国になった。 (P27) 日本の歴史で深刻な森林消失の見られた時期が三つある。 その最初のものが古代の略奪期であって、あとの二つは近世の一五七〇〜一六七〇年と現代の二〇世紀前半に起こっている。 (P30) 参考文献は最後にまとめて紹介します。 (1)日本の植生 世界的に見て日本は気温と降水量に恵まれているため、寒冷な高山地方や、浸水と土壌の浸食・堆積が繰り返される河川沿岸、厳しい潮風や砂嵐に曝される海岸、土壌に水分が多すぎるため樹木が育たない湿地などでない限り、長期的には森林が成立します。 言い換えると、 森林以外の植生(草原など)が成立している場所では、人為的な植生の破壊(改変)が行われたということです。 例えば、のの草千里は広大な草原で有名ですが、あの植生は家畜の放牧と草刈り、火入れにより維持されている植生です。 つまり、純粋な自然の植生ではなく、半人工・半自然の植生です。 人間が農業に利用するために改変した植生です。 だからダメだと言っているわけではありません。 念のため。 の草原は的に非常に重要です。 (2)利用・破壊による植生の変化 人間の影響を全く受けない自然環境でも、植生は常に変化しています。 これを「遷移」と言います。 長期に渡って環境が安定して破壊を受けなかった場合、遷移は止まります。 この遷移の最終段階を「極相」と呼び、極相に至った植生を「極相林」と呼びます。 ただし、極相林と見なされる森林でも、枯死や風水害により樹木が倒れた時にできた隙間(「ギャップ」と呼びます)では、小規模な遷移が起こります。 つまり、極相林でも部分的な破壊と再生は常に起こっています。 また、現在の地球上では人間活動の影響を受けていない植生は事実上存在しないので、「極相」という概念をあまり重視しない研究者も多いようです。 植生は利用(破壊)と保護(放置)により、可逆的に変化します。 植生がなくなったために土壌が風雨による侵食を受けて流失してしまい、植生が回復できなくなった場合は別ですが。 利用(破壊)が弱いと遷移が進み、強いと遷移が逆行します。 主に西日本を中心とした温暖地の植生の変化を簡略に表すと、次のようになります。 同じくイネ科を中心とする背の高い草(主にススキ)は「茅(かや)」と呼びます。 「」の「茅」です。 「柴」とは主に低木の枝を指します。 用途は燃料です。 おじいさんは山へ燃料の調達に行ったわけです。 (3)戦国時代末期〜江戸時代 戦国時代には全国の大名が富国強兵のために城郭や砦、城下町を整備したため、膨大な木材が消費されました。 が江戸に幕府を開いたことにより、日本はとなりました。 政治が安定したため、人口が急増しました。 そのために 農地が拡大し、肥料需要が増加しました。 また、経済活動も発展したため 燃料や建材としての木材の消費量が増加しました。 ゆえに、 江戸時代前半に森林面積は大きく減少しました。 浮世絵を見ると、背景にははげ山が目立つそうです。 江戸時代後半には、幕府や各藩が森林資源の荒廃と水害、土砂災害の多発に危機感を覚えて森護政策を実施し、さらに人口増加が停止したため、森林面積は回復しました。 なお、この時期に日本のは、自然に育つ木を伐採するだけの収奪・放置型から、植林を行う育成型に変化したようです。 また、江戸時代全般に、日本全国で森林や草原の利用権、境界線を巡って紛争や訴訟が絶えなかったそうです。 8.植生の保護をどう考えるか 上に述べたように、日本では利用条件により、様々な植生が成立します。 そして、 植生には非常に多面的な価値があり、単純に評価できるものではありません。 、景観、大気浄化、水害防止、土砂災害防止、水源涵養、娯楽、騒音防止、防火などなど。 例えば、と極相林のどちらが優れているか、という比較は意味がありません。 どちらも保護すべき重要な植生です。 そして現代の日本で最も危機に瀕している生態系は、意外にも農地の草原だったりします。 植生の多様性も保護されてしかるべきです。 的には「」は「種の多様性」と「遺伝子の多様性」と「生態系の多様性」の三つよりなると考えられているわけですから。 参考: また、上に述べたように、日本の農業は森林や草原を必要としていました。 それにより、が生まれました。 これは日本が世界に誇れる農地生態系だと思います。 しかし、現代の農業は構造の変化により、もはや森林や草原を必要としていません。 大げさに言うと、は農業における存在意義を失ってしまったのです。 そのような状況では、産業上の価値がないを守る社会的意義は何かを考えねばなりません。 国も体も財政難に苦しむ現状では、「環境を守れ」とお題目のように唱えるだけでは何も守れません。 9.悪しき懐古主義 養蚕は蚕主義です。 「昔の日本は森林に優しく、現代の日本は森林に優しくない」とは決して言えません。 それは不毛な懐古主義です。 江戸時代の農業がエコロジカルでだったとも必ずしも言えません。 はある意味農地生態系の形としては理想ですが、非常に資源管理が難しかったため、江戸時代には全国各地でとは名ばかりの無惨なはげ山が広がっていたそうです。 このはげ山こそが日本の原風景だったのではないか、と唱える研究者すらいるほどです。 また、人口増加や経済発展に伴う食料と換金作物の増産により、農村では常に肥料が不足していました。 肥料は、で説明したような都市部から運ばれる人間の排泄物や、農地周辺で採集される植物性肥料だけではとても足りず、北海道のニシンやのなどが魚肥として用いられました。 はるか彼方の海から肥料を得たのでは物質循環が成立していたとは言えません。 環境問題を考える上で、「昔は良かった」などというノスタルは何も生みません。 程度の差はあれ、今も昔も環境問題は厳然と存在しています。

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